勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

孤立死

2012-03-24 00:06:20 | Weblog
 各地で独居老人などの単身者や家族単位の孤立死が相次いでいる。埼玉では障碍のある息子を介助していた母親が亡くなり、危うく息子も巻き添えになる寸前に、ヤクルトの配達員の機転による通報で、布団の中で倒れていた息子が保護されたという。

 生活保護などの差別感や疎外感による制度や社会の隅で、誰にも助けを求められず、誰の助けも得られず亡くなる人たちがいる。そのような死を、不快な響きの「孤独死」から「孤立死」といい換えるようになったとか。

 孤独と孤立とはどう違うのだろうか?我が辞書によると、孤独とは�「頼りになる人や心の通じ合う人がなく、ひとりぼっちであること。さびしいこと」。�「孤児と、子のない老人。寄るべなき身」。また、孤立とは「他から離れてひとつだけ立っていること。頼るものがなくひとつだけで存在すること」とある。

 孤独の意味にある「子のない老人」にドキッ!だが、「孤立死」のニュースを見るにつけ、明日は我が身と他人(ひと)ごととは思えない。兄弟も多く、その家族も含めて、我がブログは彼らへの生きている証にもなっている。

 しかし、他から離れてひとつ(ひとり)だけ立って孤立している我が身、いつ孤立死の憂き目に会うかわからない。誰にも必ず訪れる死、その日のために10年以上前に永代供養の墓に申し込みを済ませているのだが、孤立死が多いためか、最近その霊苑から送られてきたラミネート加工されたファイルを、部屋の一角の見えやすい場所に置いてある。


 死後1ヶ月も経って発見されることのないよう、このブログは、副タイトルでもある相田みつをさんのことば、「一生感動一生青春」を生きる証とし、生きている証の発信でもある。