花も人も自己主張する目立ちたがり屋よりも、楚々として控えめが好きな僕。初めて見たとき、あまりの豪華さと鮮やかな色に、可愛げのない花だと思った。
その花を育てていた人から、挿し芽をした一鉢をいただいた。それから20年近くが経つだろうか、愛情もそこそこ、放っておくことも多かったが、それでも気まぐれに時々は咲いてくれていた。今年は手入れも怠らず、愛情も注ぎ、継子扱いをやめた。すると、数日前から膨らみ始めていた蕾が、ついに花開いた。
どんな花でも咲けばうれしい。ましてや自分で育てた花であれば、うれしさも格別である。改めてその美しさを見直し、その短い命を近くで見届けようと、部屋に移動した。今日は梅雨晴れの爽やかな日だが、じめじめした梅雨のこの時期には、孔雀が羽根を広げたような華やかさで、部屋を一段と明るくしてくれる。クジャクサボテンの花言葉は、「儚い美」だというが、儚いが故に、華やかで美しいのかもしれない。
その花を育てていた人から、挿し芽をした一鉢をいただいた。それから20年近くが経つだろうか、愛情もそこそこ、放っておくことも多かったが、それでも気まぐれに時々は咲いてくれていた。今年は手入れも怠らず、愛情も注ぎ、継子扱いをやめた。すると、数日前から膨らみ始めていた蕾が、ついに花開いた。
どんな花でも咲けばうれしい。ましてや自分で育てた花であれば、うれしさも格別である。改めてその美しさを見直し、その短い命を近くで見届けようと、部屋に移動した。今日は梅雨晴れの爽やかな日だが、じめじめした梅雨のこの時期には、孔雀が羽根を広げたような華やかさで、部屋を一段と明るくしてくれる。クジャクサボテンの花言葉は、「儚い美」だというが、儚いが故に、華やかで美しいのかもしれない。