企業のネットが星を被い
電子や光が駆け巡っても
国家や民族が消えてなくなるほど
情報化されていない近未来ー
黒の背景にこの白文字が浮かび上がると、未だに背筋がぞくっとする。
1995年に作られた押井守監督作品『Ghost In The Shell』の冒頭文だ。
テクノロジーの飛躍的な進化と非合理的な精神性が入り交じったハイテクでいて人間臭い世界は、
私の持つ「近未来」という曖昧なイメージを甚く現実的なものにした。
そう遠くない未来、例えば私が順当に年を重ね90歳まで生きれたとして、
待ち構える60年後の世界はやはり今とは全く違うものなのだろうか。
ごく一部では既に何らかのチップを人間の体内に埋め込んだり、
まだ実用化されていないにしろ空飛ぶ車が開発されたり、
世界で一番強い囲碁棋士がAIに大敗したりと、
この世界は私たちが想像する未来予想図に少しずつだが着実に近づいていっている。
スパイクジョーンズ監督映画『her』で主人公が恋をしてしまう人工知能型のOSサマンサは、
マイクロソフト中国が実際に提供する会話型のAIシャオアイスと似ている。
アメリカの起業家イーロン・マスクは本気で火星移住計画を企てており、
彼の話を聞いていると夢物語ではないのかもしれないなんて思ってしまう。
『ドラえもん』のように技術が発展しすぎた何でもありの未来、
映画『ガタカ』のような遺伝子までコントロールされる現実的な管理型社会、
『風の谷のナウシカ』のような一度すべてが焼き尽され再生の途にあるはじまったばかり、あるいは全てが終わる少し手前の未来、
『ターミネーター』のようにAIが暴走し人間の敵となる未来、
『アキラ』のように強力な力を地下に封じ込め恐れ崇めながら生きる未来、
作家乙一が『ひだまりの詩』で描いたような人間のいない未来。
想像しうるいくつもの未来像は私の好奇心を刺激する。
全部とまではいかないにしろ、どれかは実際におとずれるような気がしてならない。
私の知的好奇心を最も刺激するのは『Ghost In The Shell』や『イノセンス』で描かれる世界。
技術的発展による著しい情報化の一方には様々な価値観が入り交じった煩雑な町並みと退廃的なムードがある。
以前音楽番組で有名な音楽プロデューサーが曲のタイトルの付け方をレクチャーしていた。
彼は矛盾する2つの言葉を取り入れると人の興味をひくことができると言っていた。
歌の話ではないけれど、私の好奇心はそういう組み合わせに弱いのかもしれない。
光と影、生と死、発展と荒廃、デジタルとアナログ、慈愛の念と暴力性、創造と破壊。
超未来的でありながら同時に退廃的である未来をそのまんま「退廃的超未来」と呼ぼう。
この退廃的超未来を形にしたハリウッド映画がある。
先日新作が公開となったリドリー・スコット監督作品『ブレードランナー』だ。
この映画の世界観は押井守版攻殻機動隊の世界に非常に似ている。
多民族多文化が入り交じった秩序ないサイバーパンクな町並みと、終始漂う暗く荒んだ空気感。
漢字の看板に煌びやかなネオンなど、種々雑多な都市の風景はアジアの大都会を彷彿とさせる。
新作『ブレードランナー2049』を観るために、前作を久々に見返した。
不思議なことに今まで何度も観た中で今回が一番胸を打たれた。
こんな映画はもう作れまい。
世界観が徹底されていて35年経った今観ても遜色がないどころか今の映画より現実味がある。
もちろんCGが使われている部分もあるけれど、街のセットは本物だ。
→CGはまったく使われていなかった。公式メイキングムービーで確認したので間違いない。
CGと思われる場面は全て技術的な撮影によって作られている。
全てが映画のために人工的に作られたものであると考えると途方なく、ちょっとした場面も見逃せないほど。
いかにもハリウッド的な大味の映画ではなく、細部まできめ細やかなセンスに満ち満ちている。
たまらん。
心を持ちはじめたレプリカントたちの苦悩は、
『Ghost In The Shell』における人間でありながら全身義体の主人公草薙素子が抱くアイデンティティへの懐疑心と真逆だが重なる。
そうした思念の先にはどんな未来が待っているのだろうか。
レプリカントは用意された死を迎え、素子は体を捨て広大なネットの海へ消えた。
人間が人間性を失わない限り未来はあり続ける。
ハイテク化からこぼれ落ち置いてけぼりにされたヒューマニティが退廃的なムードをつくる。
止まらない技術的進化と変われない人間の溝がどんどん広がっていく。
それが面白い。
人間の人間による人間のための未来。
そろそろ『ブレードランナー2049』観に行こうかな。
電子や光が駆け巡っても
国家や民族が消えてなくなるほど
情報化されていない近未来ー
黒の背景にこの白文字が浮かび上がると、未だに背筋がぞくっとする。
1995年に作られた押井守監督作品『Ghost In The Shell』の冒頭文だ。
テクノロジーの飛躍的な進化と非合理的な精神性が入り交じったハイテクでいて人間臭い世界は、
私の持つ「近未来」という曖昧なイメージを甚く現実的なものにした。
そう遠くない未来、例えば私が順当に年を重ね90歳まで生きれたとして、
待ち構える60年後の世界はやはり今とは全く違うものなのだろうか。
ごく一部では既に何らかのチップを人間の体内に埋め込んだり、
まだ実用化されていないにしろ空飛ぶ車が開発されたり、
世界で一番強い囲碁棋士がAIに大敗したりと、
この世界は私たちが想像する未来予想図に少しずつだが着実に近づいていっている。
スパイクジョーンズ監督映画『her』で主人公が恋をしてしまう人工知能型のOSサマンサは、
マイクロソフト中国が実際に提供する会話型のAIシャオアイスと似ている。
アメリカの起業家イーロン・マスクは本気で火星移住計画を企てており、
彼の話を聞いていると夢物語ではないのかもしれないなんて思ってしまう。
『ドラえもん』のように技術が発展しすぎた何でもありの未来、
映画『ガタカ』のような遺伝子までコントロールされる現実的な管理型社会、
『風の谷のナウシカ』のような一度すべてが焼き尽され再生の途にあるはじまったばかり、あるいは全てが終わる少し手前の未来、
『ターミネーター』のようにAIが暴走し人間の敵となる未来、
『アキラ』のように強力な力を地下に封じ込め恐れ崇めながら生きる未来、
作家乙一が『ひだまりの詩』で描いたような人間のいない未来。
想像しうるいくつもの未来像は私の好奇心を刺激する。
全部とまではいかないにしろ、どれかは実際におとずれるような気がしてならない。
私の知的好奇心を最も刺激するのは『Ghost In The Shell』や『イノセンス』で描かれる世界。
技術的発展による著しい情報化の一方には様々な価値観が入り交じった煩雑な町並みと退廃的なムードがある。
以前音楽番組で有名な音楽プロデューサーが曲のタイトルの付け方をレクチャーしていた。
彼は矛盾する2つの言葉を取り入れると人の興味をひくことができると言っていた。
歌の話ではないけれど、私の好奇心はそういう組み合わせに弱いのかもしれない。
光と影、生と死、発展と荒廃、デジタルとアナログ、慈愛の念と暴力性、創造と破壊。
超未来的でありながら同時に退廃的である未来をそのまんま「退廃的超未来」と呼ぼう。
この退廃的超未来を形にしたハリウッド映画がある。
先日新作が公開となったリドリー・スコット監督作品『ブレードランナー』だ。
この映画の世界観は押井守版攻殻機動隊の世界に非常に似ている。
多民族多文化が入り交じった秩序ないサイバーパンクな町並みと、終始漂う暗く荒んだ空気感。
漢字の看板に煌びやかなネオンなど、種々雑多な都市の風景はアジアの大都会を彷彿とさせる。
新作『ブレードランナー2049』を観るために、前作を久々に見返した。
不思議なことに今まで何度も観た中で今回が一番胸を打たれた。
こんな映画はもう作れまい。
世界観が徹底されていて35年経った今観ても遜色がないどころか今の映画より現実味がある。
→CGはまったく使われていなかった。公式メイキングムービーで確認したので間違いない。
CGと思われる場面は全て技術的な撮影によって作られている。
全てが映画のために人工的に作られたものであると考えると途方なく、ちょっとした場面も見逃せないほど。
いかにもハリウッド的な大味の映画ではなく、細部まできめ細やかなセンスに満ち満ちている。
たまらん。
心を持ちはじめたレプリカントたちの苦悩は、
『Ghost In The Shell』における人間でありながら全身義体の主人公草薙素子が抱くアイデンティティへの懐疑心と真逆だが重なる。
そうした思念の先にはどんな未来が待っているのだろうか。
レプリカントは用意された死を迎え、素子は体を捨て広大なネットの海へ消えた。
人間が人間性を失わない限り未来はあり続ける。
ハイテク化からこぼれ落ち置いてけぼりにされたヒューマニティが退廃的なムードをつくる。
止まらない技術的進化と変われない人間の溝がどんどん広がっていく。
それが面白い。
人間の人間による人間のための未来。
そろそろ『ブレードランナー2049』観に行こうかな。