歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

あくまで政治家

2011年06月01日 | 社会
バカな考え方かもしれないけど、なんで政治は政治家なんかに任されているんだろうか?
なんで政治家にあんなに権限があるんだろうか?
政治がこんなにだめなのは、政治家を選挙で選んだ我々の責任なんだろうか?
文句をいうなら自分が政治家になるべきなのか?

誰に責任を押し付けるにしても、誰がこれからの社会を変えるにしても、日本の社会構造は複雑になりすぎた。
なにが民主主義なものか。
だからといって、現状を受け入れただうなだれているわけにもいかない。

今の混沌とした時代において、インターネットを利用する人しない人の間には大きな壁がある。
それは、ツイッターなどで田中優さんが言っていた事だ。
3.11の大震災を受けて、今日本ではネットを中心としメディア革命なる動きが生まれ始めている。
今や多くの若者は、テレビよりネットを主流の情報源としているといえよう。
そうした環境下で、多くの真摯なジャーナリストが自身の信じる情報をネット配信している。
そこからエジプトのFacebook革命(大げさかな)のような、おもしろい何かが始るかもしれない。

以前にも書いたが、今回の原発問題などについてネットとテレビの発信する情報の温度差には違和感を覚える。
少しずつテレビや新聞もまともな情報を流すようになってきたといわれているが、私は未だに全くもって信用できないでいる。
極端な考え方かもしれないけど、最初からテレビなんてヤラセだと思っていた。
だからやはりテレビは何かを知る場所ではない。
(もちろん例外もあるが。)
あんなにも影響力があるというのに。

とにかく、私も及ばずながら自分の信じる情報を発信していきたい。
田中優さんはウィングを広げろという。
また、今日のツイッターでこうも言っていた。
「僕は2050年の子孫たちに「こんな良い社会になったのは2011.3.11がターニングポイントだった」と言ってもらいたい。その選択権は我々の手元にしかなく、何を選択するかによって子孫たちの未来は決まる。僕は子孫のために生きたい。」
自分一人に何ができる?
でも、ただうなだれて文句いうばかりじゃきまりが悪い。

ところで、政治家はなんであんなに力を持っていながら、国会で足の引っ張りあいしかできないのだろうか?
今日ニュースで明日内閣不信任案が国会に提出されるとかされないとか言っていた。
しかもその戦陣を切っているのが、小沢と鳩山。
こんなときに彼らは何を考えているのだろうか。
こんなときに国民に選挙をさせるというのだろうか。
小沢さんが「国民が期待した民主党を取り戻す」とか言っていたそうだが、正直な所、彼自身がその期待を裏切った中心人物ではないか。
管さん云々の話ではない。
本当にどうにかしたいと思うなら、全力で協力することとかできないものだろうか。
今の政治は文句をいう事しかできない。
政権や首相が変わったところで、誰が今に変わる政治をつくる事ができるのか、甚だ疑問だ。

国会もひどい。
ちょっと前の国会でのもっぱらの話題は、3月12日の東電福島第1原発への海水注入中断問題、あるいはそれを管さんが指示したのか、他。
はっきり言って、時間がもったいない。
福島や他の被災者も呆れていた。
本当に彼らは雲の上にいるのだと感じる。
国民の声など届かないのだ。
彼らはいつ見ても冷静でない。

やる気のある政治家が党を超えて、一緒にがんばってくれないものかな。
そのためには日本の政治構造は複雑になりすぎた、か。

なぜいつも影響力を持っているものは、地位や権力に左右されてしまうのだろうか。
これはある種宿命のようなものなのか。

地道にウィングを広げていくしかない。
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