歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

悩ましき机上の一角

2021年01月24日 | 日記
夫婦共々自由業で子供もいないとなると、時間感覚が一般とずれることもある。

夫の場合、仕事が立て込むと特に曜日感覚が損なわれてしまうらしい。

私はといえばまさに生活リズムが壊滅的なのだ。

我ながら30を超えた大人の生活とは到底思えない。

作業に没頭してしまうと、いつの間にか空が白んでいるなんて日常茶飯事。

遅まきながら布団に入るが、その場合午前の荷物を受け取るのも一苦労だ。



そもそも体によくない。

人間たるもの朝起きて夜に寝るようにできている。

こればっかしは朝起きて夜に寝るのが紛うことなき正解なのだ。

一端に常識を胸に掲げ、同時にぬぐいきれない罪悪感を懐にしまいこんでいる。

社会と自分自身に対する言い訳がましい的外れな罪悪感ね。

奥へ奥へ押し込んでいたらいつか消えるかもなんて期待するだけ不毛。

年を重ねるごとに漬物石みたいにずっしりのしかかってくるのはわかっている。

話は簡単なのだよ。

朝起きて夜に寝ればいいだけ。



だからいつものごとくまた寝る時間と起きる時間を決めてしばらくやってみる訳だ。

しかしこれがうまくいかない。

肉体的な疲労が足りておらず、夜に眠くならないのだ。

サイクリング30分から1時間ではどうやら体は疲れないらしい。

こんな寒空でもじっとり汗をかくのでその気になっていたけれど、

決まった時間に寝るだけの権利はまだ与えてくれないらしい。

それを補完するために本を読む。

これが誠に優秀な睡眠導入剤となる訳だ。

もう本なしでは眠れる気がしない。

できれば面白くない本の方がいいけれど、

ここ最近はずっと京極夏彦の百鬼夜行シリーズを読んでいるので、

面白くて興奮するのか反対に眠れなくなる夜が多々。

して寝る時間と面白さとのせめぎ合いが始まるのだ。



ついにその時間が訪れると一旦は潔く本を閉じ電気を消し目を瞑る。

思考が激しく飛び交っている時は羊ならぬ佐野史郎を数えて頭の中を落ち着かせる。

そのイメージは詳細であるほど眠気を誘う。

柵をまたいでゆっくり奥の方に消えていく佐野史郎を手前の薄闇からじっと眺めている。

なぜ佐野史郎なのかと言うと、落ち着いているし個人的に眠気を誘う顔だから。

余談だけど以前友達にこの話をしたら友達が何の気なしに

「佐野史郎が柵を越えて来るのはどうのこうの」と言ったので、

佐野史郎が遠のいて行くのではなく近づいて来る絵を想像し驚愕したことがある。

それは必死に訂正しておいた。

ちなみにその友達は佐野史郎は怖いから目が覚めると言っていた。

彼にしてみればどこを切り取っても失礼な話だ。



忍耐力が足りないのか、

そういうことでもダメなら諦めて自然に眠れるまで再度読書に励む。

しかし今日はそれもダメだった。

京極夏彦の『塗仏の宴(ぬりぼとけのうたげ)』だが、やはり面白い。

面白くて読み進めてしまう。

しかしそれが面倒臭い。

眠れないのも、寝る時間に本が面白いのもなんだかどうしようもなく面倒臭い。

珍しい感情だ。

これまで面白さに身を委ねることになんの躊躇もなかったのに、

今日はなんだか面白いってことが面倒臭い。

つまらない本でも探そうかって思考を一旦ストップして、

眠ることに執着しすぎている自分にはっと気づく。

何かがおかしくない?

スケールが小さいというか、大事なものを見失っているというか。

そんな自分に呆れて思い切って布団から飛び出した。

すると呪縛から解放されてとてもすっきりした気分になった。

ヒャッホーイ!



その時点ではまだ本末転倒だってことに気づいていないのだ。

1時間後に本格的に眠たくなって改めて当初の目的を思い出す。

あれこれって最初に戻っただけじゃない?


悩ましき机上の一角
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