歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

ブルースウイルスはどうしてるかな

2022年02月19日 | 日記
夫に頼まれて夜に大切な書類をポストに出しに行った。

自転車で行こうとも考えたが、ゆっくり夜風に当たりたい気分だった。

歩いても5分かからない場所だ。

家の密集地を抜けると急に空が広くなり、右上が少し欠けた月が見えた。

雲一つない晴れやかな月夜だ。



月は昔から私の妄想を刺激する。

実家は家から離れた場所にお風呂場があり、子どもの頃よくお風呂から出て外のベンチで涼んでいた。

月が出ている日は薄闇の中に畑や小屋がうっすら見えるのでそれをぼーっと眺めるのが好きだった。

雲が多くなってくると、雲の奥から魔法使いの集団が飛んでくるという妄想をよくした。

頭の中ではペジテの船からナウシカが飛び立つときのデデデデ、デデデデという音楽が鳴っている。

当時ハリーポッターの本が大好きで、この世界にただならぬ危機が迫っていると考えると胸が高鳴った。



月を見ているとこの世界が同時進行していることを実感することがよくあった。

アメリカの人は、ヨーロッパの人は、アフリカの人は、ブラジルの人は今頃何をしているだろう。

見知らぬ人の名もなき営みを想像するととても幸福な気持ちになった。

目の前の小さな日常から抜け出すおまじないや慰めみたいなものだったのかもしれない。

グーグルアースがある一点をフォーカスするように私の妄想も詳細がはっきりしていた。

パリの街角のオープンテラスで笑いあう人、同じ月の元ベッドに入る黒髪の女の人、

アメリカのガラス張りの邸宅の中で佇むブルース・ウイルス。

映画『キッド』の一場面だ。

『キッド』がどんな内容で面白かったのかどうかは全然思い出せないのに、

なぜかこの妄想をするときは決まってあのガラス張りの家を思い出す。

映画を観た当時確かにあの家に衝撃を受けた。

こんな家が存在するのかと驚き、将来アメリカでこんな家に住みたいと強烈に憧れた。

でもガラス越しのブルース・ウイルスはうつむき加減だったんだよな。

当時はそのことなど気にもかけなかったけど。



右上が少し欠けた月を見て、久しぶりにブルース・ウイルスのことを考えた。

今頃彼はどうしているだろう。

私は結局アメリカにもガラス張りの家にも住んでいない。

今日もそれぞれの場所で営まれているそれぞれの暮らしのディティールを想像して自分の位置を確かめる。

子どもの頃と少し違うのは、その妄想の中に苦しみや悲しみが多く含まれていること。



昔は「ウイルス」で通っていたのに久々に調べたら日本語表記が「ウィリス」になっていた。

英語の発音により忠実に従ったのだろうけど、私の見てきた彼はウイルスだからそのまま行こうと思う。

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