歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

ナイトクローラー

2019年09月11日 | 映画


『ナイトクローラー』

監督:ダン・ギルロイ
脚本:ダン・ギルロイ
製作:ジェニファー・フォックス
   ジェイク・ジレンホール他
製作総指揮:ゲイリー・マイケル・ウォルターズ
      ベッツィー・ダンバリー
出演者:ジェイク・ジレンホール
    レネ・ルッソ
    リズ・アーメッド
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
日本公開:2015


久々のジェイク・ギレンホール映画。

私の好きなハリウッド俳優ツートップが内一人なのです。

ちなみにもう一人はエイドリアンブロディです。

我ながら濃いのが好きだな。





今回はどんなかっこいいジェイク・ギレンホールを拝めるのかと思いきや、

撮影のために12キロ減量したという彼は大きな目をギラつかせた不気味な男になっていた。

ジェイク・ギレンホール扮するルイスは最初からつかみどころのない不思議な男だった。

舞台は深夜のロザンゼルス、

仕事を探していたルイスは偶然事故現場に出くわしそこでナイトクローラーなる職種に出会う。

ナイトクローラーとはいち早く事件・事故現場に駆け付けて現場をカメラにおさめ、

それをテレビ局に売りさばく報道スクープ専門の映像パパラッチのことらしい。



これならできると踏んだルイスは他人のロードバイクを転売し簡素なカメラと無線機を手に入れる。

今思うとはじめからある程度モラルに欠けていたわけだ。

最初はとにかく無線に従って現場へ駆けつけ見よう見まねで映像を撮っていたのだが、

血まみれの被害者をどアップでとらえた映像がローカル局の女性ディレクターニーナにひっかかり道が開けていく。

ここら辺からのルイスの行動力は凄まじい。

何かのスイッチが入ったように仕事に没入しステップアップしていく姿は、

一見サクセスストーリーを観ているようにも思えるのだが、

その先にあるのは果てない欲求と、エスカレートしていく猟奇的行動だった。





昨日の『タクシードライバー』に引き続き不健康で危険な男が主人公だ。

ジェイク・ギレンホールってやはしすごい。

1ミリも「ジェイク・ギレンホール」をちらつかせない。

なぜあんなにイケメンなのに(本来は)、そんなに貪欲なの!?



元はお金を稼ぐ手段だったのに途中からルイスは何かに取り憑かれたようにカメラを回すようになる。

どんどん釣り上がる報酬を鑑みるとやはりあくまでお金は根っこにあるのかね。

ルイスは報道マンとして超えてはいけない一線を超え、あまつさえ事件をコントロールしようとし始める。

カメラの中にしか興味がないのか、人の生き死にに対する無感情なルイスの表情がとっても怖い。

同業者をおとしめて見下ろすカットは鳥肌ものだ。



しかしここで思うのはルイスだけが異常なのかということ。

否、ニュース番組のディレクターであるニーナはルイスの成長(変貌)にはじめこそ不信感を抱くが、

少しずつ彼の撮ってくる唯一無二の過激な映像に魅了されそっち側の人間になっていく。

犯人と警察の銃撃戦のビデオを見て女の顔になるニーナもかな〜り恐ろしい。



報道とは何かを考えさせられる映画だった。

この映画では「真実を伝えるもの」ではなく「客層に合わせた商品」として描かれている。

高く売れる商品はないかと街を這いずり回るナイトクローラー、

もっともっと視聴率がとれる過激な商品はどれだと選別する制作陣は、

いずれもどこかぶっ壊れていてお金に群がるハイエナのようだった。

事実として多少なりともそういう部分はあるのかもしれない。

というかスポンサーが付いている時点で商品であることには違いないのだろうとも思う。



面白かったし、いい映画だと思う。

しかし、昨日の『タクシードライバー』同様、最後がなんともはや。

終始ハードな映画なのに、最後のシーンでコミカルな後味が残ってしまう。

あれは必要だったのだろうか。

怖さを助長させたかったのか、単なるユーモアか、終わり方って難しいね。
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タクシードライバー

2019年09月10日 | 映画


『タクシードライバー』

監督:マーティン・スコセッシ
製作:マイケル・フィリップス
   ジュリア・フィリップス
音楽:バーナード・ハーマン
出演者:ロバート・デ・ニーロ
    シビル・シェパード
公開:1976年



40年も前の映画だから今更ネタバレも何もないかな。

大学時代、映画研究部の部室のくすんだ壁にトラビスのポスターが貼ってあった。

喫煙者ばかりの煙たい部屋に妙に溶け込んでいたような記憶がある。

先輩がよく指で銃の形をつくり頭に当てて、トラビスの真似をしていた。


部室に貼ってあったポスター



実のところこの有名映画を最後まで観たのは今回が初めてなのだ。

以前観たときは寝てしまい気づいたときにはエンドロールだった。

今だから観れたような気もする。

理由は2つ、まず映像がとても綺麗になったということ、

もう一つはあんまり若い頃に観たら、しんどくなりそうだから。



超有名映画には違いないけど、そういえばこの映画のこと何も知らない。

どういう映画なんだろう、観終わった後もよくわからない。

映画自体がカルチャーアイコン化していてモヒカン頭のアイコンをクリックすれば、

それらしい雰囲気や用語がもろもろ出てくるのでなんだかわかった気分になってしまう。



トラビスが女衒を撃って一緒に死んで終わっていればわかりやすかったんだけど、

後日談によって頭が混乱してしまった。

あれはハッピーエンドだったのか、それとも何かの暗喩だったのか、

あるいは何のメッセージもないのか。



暗い話のはずなんだ。

逃れられない孤独の先の暴力。

それは外に向けた衝動的なものではなく、銃を持っている優越感のように感じた。

それとも銃が他者とつながるためのアイテムだったのか。

スーパーマーケットで強盗をいとも簡単に撃ったのは結構衝撃的だった。

元々繊細な感じだったけど、ベツィに振られてから危うさが加速していく。



頭に強く刻まれたのは、タクシーで走る夜の町の風景。

信号やネオン、煌びやかなようでどす黒い名もなき有象無象。



最近集中力のない私だけど、最後まで集中が切れずに観れた。

ということは面白かったということなのかな。

うーむ、わからない。
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