「オレオレに 亭主と知りつつ 電話切る」
「酔ってても ギャルを選んで 寄りかかる」
誰の作かは知らないが、サラリーマン川柳で紹介された人気作だ。私のような平々凡々の中年サラリーマンの悲哀が感じられて、ついつい嬉しくなる。私と同じような考えの人がいるのだ、と。
一生懸命に働くお父様方の愚痴として、
「昼食は 妻がセレブで 俺セルフ」
「妻の声 昔ときめき 今動悸」
なども、我がことのように感じる。バブルがはじけてなのか、男女同権時代なのか、世の中は女性の時代に移りつつあるかのような感もする。「やめてやる 3億当たれば 言ってやる」も、まさに!と思う。
女に比べて、男は繊細である。(と思う)女は最後の最後は開き直って、正面から物事を捉えられると思うが、男はどうなんだろうか? 競争社会の一員として、逃げることができない社会の枠組みの中に、自分の意思ではないかもしれないが、きちんと組み込まれている男は、自由が無いし、いやでも協調せねばならない。ストレスも多い。そんなストレスを川柳はにやりと発散させてくれる。アルコールもいいが、川柳では「よう、ご同輩」と声を掛けたくなるのだ。
笑う門には福来る! という。しばらく前までは大声で心の底から笑えなかったように思える。唇の端をちょっとゆがめるだけの、おとなしい笑いだった。心のどこかに暗いわだかまりがあったのだろう。それが最近は声を出して笑えるようになってきた。また、自分の失敗談を家族に話して互いに笑いあうことも多くなってきた。どこかに達観できた部分があるのだろうか。
来年は還暦を迎える。「えっ、もう」と自分で思う。何にも分かっていない自分に驚く。60年生きてきて自慢できるものが無い。そうであれば、自分の感情にもう少し正直に、喜怒哀楽を素直に表現できるようになりたいと思う。死ぬ間際にまで自分を偽って生きていくのは、何のために生きてきたのか、存在を否定するかのようで嫌だ。だからといって、むやみに怒るのではない。笑顔が明るい顔になりたいのだ。和音君は何も見えず、何も聞こえないはずなのに、周りを見回して声がするほうに顔を傾ける。時々笑顔を見せる。この笑顔が邪心のない実に嬉しげな笑顔なのである。このような笑顔の持ち主になりたいものだ。