黄昏時にコセンダングサの繁茂している所がありました。
花はすでに盛りを過ぎていますが、花の名前は知らなくても、
その種子がトゲのようになっていて、衣類につくと取れにくいと知っている人は多いでしょう。
コセンダングサは「生態系被害防止外来種」に指定されているので、
種子になる前の時期に駆除するのが良いでしょうが、棘が付くと厄介です。
夕暮れ時の言葉と黄昏時と言うは違うのでしょうか?
夕暮れ時は、日が暮れる頃を言い、
黄昏時も同じような夕方の薄す暗くなる頃で同じですが、
その意味だけではなく、人生の盛りを過ぎた年代を例えて言う言葉でもあります。
と言うことは自分は完全に黄昏時?いやそれをも過ぎているようです。
78歳で持病があり身体の衰えは年々増幅していきます。
視覚、聴覚と言うより5感全てに衰えを感じています。
その衰えを感じる時に無性に苛立ちを覚えます、昔出来てたことが出来なくなりつつあるからです、
記憶があいまいになる、チョットしたことを思い出せない。
先日こんなパニクリなことがありました。
実はマイカーで買い物に出掛ける途中でカタカタ音がして振動し、見たらタイヤがパンクしていた。
50年間車に乗っていたが、バッテリ不良等はあったが、パンクは初めの経験でした。
そこでタイヤ交換するために近くの空き地へ、そこでトランクを開けスペアタイヤはとあったがジャッキは見当たらない。
困ってしまい、車検を出した販売所に連絡したら、整備マンの都合がつかないから、
保険会社のロードサービスに電話してくれとのこと。
これが又、車の車検証のボックスを探すも自賠責保険のみで任意保険書類がない、
12月更新の為に出して家に置いたままで電話番号が分からない。
ここで又困ってしまいました。スマホで調べるのも面倒。
そこに近くの親切な年配のオジサンが声をかけてくれてたのですが、
やはり自分の車のジャッキの位置が分からず電話で問い合わせて持って来て取り替えてくれました。
昔は、タイヤ交換やチエーンの交換を自分でしていましたから出来ると思っていましたが、
30年以上も昔の話です、いざとなると気が回らなくなります。
ジャッキはタイヤと同じ位置にあると思っていましたが、
後で落ち着いて調べたら、スマホケースに任意保険の連絡場所のカードを入れていました。
又、ジャッキの位置もフロント助手席のマットの下の隠しボックスにありました。
前もって非常用のものも確認をしていなかったから起きた問題でした。
又、ロードサービスも任意保険に入っていれば内容に関わらず付くものでした。
知らないことが多かっただけですが、
人様の親切心が身に浸みて有難かったです、その後直ぐにお礼に伺いました。
些細なことでも、気が回らなくなると大きな問題になってしまいます。
年取れば尚更のことです。
話は変わりますが、終活の一つとして身の周り整理があり、本もその内の一つです。
若い時は小説等も多く読みましたが。現役を離れてから読む本と言えばほとんどが新書版ばかりです、
整理と言って読み返すことが多いのでなかなか進みませんが、
最近読んだその中でひとつ気になったことがありました。
*蟻と同じレベルになったくらいで、満足するな! とのくだり(条)です。
成人男子が、職を得て、独立し生活が出来、なんとなく我が家を建て、望みどうりに結婚し、
子供も生まれ、一通りの教育もして、不時の出費に備えた貯金もでき、
自分はこれで独立の生活を得たと満足し、世間も立派な人物だと評価し、得意になったとしても、
私は彼を立派な人物とは思わない、この人は単に蟻と同様の事をしただけで、蟻以上のものではない。
これは福沢諭吉が、「学問のすすめ」の中で旧友に贈った手紙よりの抜粋です。
「世の中のために」を目指しなさいとの意味です。
どんな人間でも、多少なりとも身に長所があれば、それを世の中に役立てたいと思うのが人情であろう、
世の中にこのような人物がいなかったら、
われわれはこんにち世界中に満ちあふれている文明の恩恵に浴することも出来ないでしょう。
明治時代の話です、文明開化の発端がようやく開けたのは、先人たちの遺産、恩恵に浴しているからだと説いているようです。
少し長くなり申し訳ありませんでしたが、何時になっても個人の満足だけで終わらず、
世の中に貢献せよとの大きな話でしたが、
私は、少しでも小さなことでも人様の役に立てるようにしていかないと思うものです。
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