寒い朝、やっっと生活ごみ2袋を徒歩で収集箱へ納めてきました。
まだ日差しは明るいが、冬中、寒い。薄氷が張っていて、子供の様に踏んできた!薄い!途中74才の独身爺さんに出会い、昔話展開。咳をして首回りが寒そうな爺さんに首巻をまくように言ったが、曲がりくねった爺さんは聞かない!
素直じゃない昭和男だ。ムラ中も人が年々減り、景色が変わってきた。
出会えば声かけを意識してるが、若い人には迷惑千万なので、爺さんと婆さんの立ち話です。
お天気もいいので、午後から出かけよう。
今、日ソ戦争をパラパラしているので、引き揚げ記念館に出かけてこよう。
かって語り部の会で色々学んだけれど、まだ他人事であった。
理解不足で語り部の会を終えたが、無理だと思います。何度足を運ぶのか忘れたが、また行ってきます。午後から。
途中友達を誘うかと思うが、関心の程度が分からないので、一人でゆっくり納得いくまで回ろう。
イギリスのキャサリンが80年のホロコースト記念集会に行かれたとか、また息子さんにもその話をされたと言われています。
むごい戦争があちこちで展開しているので、無関心でいられないです。
小学校時代父が連れて行ってくれた人間の条件という映画が頭に残っていて、知らぬ間に関心があります。また過去20年間に私に起こった様々な不愉快な事は、すべてこんな戦争につながっていく人間の所業と考えているので、尚更です。シンドラーの映画もホロコーストを知るきっかけでした。
私達戦争を知らぬ世代、しっかり学んで伝えていくことが大切だと、イギリスのウイリアムさんやキャサリンさんの息子さんに伝える行為を知り、尚更感を抱きます。父は語らなかったけれど、映画に連れ出しました。
サンフランシスコのエドナさんは日本進駐時、近衛さんの家に住んでいたと言われていました。その頃の私はまだ20歳代、なんの関心もなかったのに、やけに今思い出します。何人かの戦争花嫁と言われる方々にも出会いました。
テネシーのオークリッジで原爆製造の場をシニアクラブの面々と行った事もありました。今思えば、若いころのばらばらな経験が今また戦争や人間を考える機会を与えているようです。多分これが最後の学ぶチャンスだと思うので自分なりの確固たる意見を持ちたいと思っています。
高齢になると、若い時のさまざまな見聞が一つに収斂していくようです。
やはり人間の殺し合いはNoと言い切れる力を得なければ長生きの意味をないなと思い始めました。
高齢期、色々な点々がつながってきてその探索面白いです。
昔の上司は長崎県出身で中学校教師でした。
最近彼女のハガキから知ったのですが、指定難病2つ抱えていることを伝えてこられました。全く知りませんでした、原爆の影響なのかと心配になります。やっと彼女もこころを伝えてくださいました。
インドネシアと友達に手紙をかてあげてとメール。
彼女のアメリカ留学時代からの友人なので、即決でした。
彼女にハガキを書いてあげてと親しい元同僚にもお願いします。
彼女のお陰で、私達は繋がり、その繋がりは東南アジアに広がっています。
42才の頃、暑い夏の日、冷蔵庫掃除をしている中、今から東南ア研の面接に来てと言われた日を思い出します。彼女のその電話がなかったら、今の私もなかっただろうと思います。
出会いって面白いし、それによりそれぞれの人生に色を添えているのが楽しいです。
こんな風な生き方を許した何も言わぬが母にも感謝です。
目黒駅で別れた時の解放感を母は知らないが、母はどう感じていたのだろう。
母の圧から離れられた解放感です。
今自然に101才の母との生活、なんの不満もありません。自然な流れです。
ちょっとしたことから色々ねじれた糸が解けますな。
生きるとは、それぞれの糸のねじれをほどくことかもしれない。
皆さんはいかがでしょうか?
それにしても英国の若いロイヤル夫婦は子供に 長男のジョージにホロコーストを伝えておられる。すごいと思います。