今の立回り先である雑居ビル界隈の江戸の残り香が感じられるスポット。界隈立回り期間中に可能な限り訪れておきたいと思っているわけですが、今日はお出かけの帰り道に立ち寄った神社で、その名も「日比谷神社」
Kanotherの立ち回っているこの界隈は全く日比谷ではないのですが、元々は日比谷公園内の大塚山に鎮座していた「日比谷稲荷明神旅泊稲荷明神」と称していたものが、江戸城築城やら東海道線敷設やら震災後の都市計画やらの紆余曲折を経て、昭和3年に今の雑居ビル界隈に落ち着いたんだそうですが、名前だけはずっと「日比谷神社」を名乗ってるんだとか。下の写真中央、木に囲まれた中に小さな石造りの鳥居が見えるのが日比谷神社です。

しかし、そんな日比谷神社、この度またまたお引っ越しをせねばならんそうです。ご覧の通り、神社の周辺はすっかり工事現場状態で、神社だけがポツンと残されてるような状況。なんでそんなことになってんのかというと「環状第2号線新橋・虎の門地区市街地再開発事業」、通称「マッカーサー道路」建設予定地のど真ん中に建ってるからなんす。
なんでまた「マッカーサー」なんて通称が?と思えば、この再開発事業が都市計画決定されたのは1946年に「東京都戦災復興都市計画街路」の一つとして計画されたことから、当時占領下にあった日本を間接統治した連合国軍最高司令官総司令部・最高司令官の名前に因んで「マッカーサー道路」と呼ばれるようになったんだとか。
そんな半世紀前の都市計画が汐留地区の再開発に伴って事業計画決定され、着工に至ったんだそうな。何だか壮大な話しやねぇ。そんなこんなで日比谷神社も何度目かのお引っ越しをせねばならんくなったんだとか。神様も今度こそ終の棲家になると良いですねぇ。
ちなみにこの日比谷神社、昔から「虫歯封じ」に霊験があるとされ、当時のこの辺りは海っ端だったってことで、祈願成就の暁には鯖を奉納する習わしがあったことから別名「鯖稲荷明神」とも呼ばれてんだとか。そんなニックネームにも当時の江戸の地形や風俗が偲ばれて、何だか楽しくなりやす。「マッカーサー」と「都市計画」と「神社」ってな不思議な取り合わせが、三題噺っぽくてまた面白いっすよね。
雑居ビル界隈の江戸残り香スポット。界隈立回り期間も残り短くなってきてんですが、折りを見ながらまだまだ訪れたいと思っておりやす。
Kanotherの立ち回っているこの界隈は全く日比谷ではないのですが、元々は日比谷公園内の大塚山に鎮座していた「日比谷稲荷明神旅泊稲荷明神」と称していたものが、江戸城築城やら東海道線敷設やら震災後の都市計画やらの紆余曲折を経て、昭和3年に今の雑居ビル界隈に落ち着いたんだそうですが、名前だけはずっと「日比谷神社」を名乗ってるんだとか。下の写真中央、木に囲まれた中に小さな石造りの鳥居が見えるのが日比谷神社です。

しかし、そんな日比谷神社、この度またまたお引っ越しをせねばならんそうです。ご覧の通り、神社の周辺はすっかり工事現場状態で、神社だけがポツンと残されてるような状況。なんでそんなことになってんのかというと「環状第2号線新橋・虎の門地区市街地再開発事業」、通称「マッカーサー道路」建設予定地のど真ん中に建ってるからなんす。
なんでまた「マッカーサー」なんて通称が?と思えば、この再開発事業が都市計画決定されたのは1946年に「東京都戦災復興都市計画街路」の一つとして計画されたことから、当時占領下にあった日本を間接統治した連合国軍最高司令官総司令部・最高司令官の名前に因んで「マッカーサー道路」と呼ばれるようになったんだとか。
そんな半世紀前の都市計画が汐留地区の再開発に伴って事業計画決定され、着工に至ったんだそうな。何だか壮大な話しやねぇ。そんなこんなで日比谷神社も何度目かのお引っ越しをせねばならんくなったんだとか。神様も今度こそ終の棲家になると良いですねぇ。
ちなみにこの日比谷神社、昔から「虫歯封じ」に霊験があるとされ、当時のこの辺りは海っ端だったってことで、祈願成就の暁には鯖を奉納する習わしがあったことから別名「鯖稲荷明神」とも呼ばれてんだとか。そんなニックネームにも当時の江戸の地形や風俗が偲ばれて、何だか楽しくなりやす。「マッカーサー」と「都市計画」と「神社」ってな不思議な取り合わせが、三題噺っぽくてまた面白いっすよね。
雑居ビル界隈の江戸残り香スポット。界隈立回り期間も残り短くなってきてんですが、折りを見ながらまだまだ訪れたいと思っておりやす。