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碑文谷アピアに2ヶ月に一度出演する二人楽団でたんの大きい方。スカイツリーが見える町に住む。

もやしチャーシュー

2008年08月21日 21時09分06秒 | Kanother旅日記
で、『居酒屋「民宿」』の後、やっぱ〆めはラーメンっしょっちうこって、徒歩にて一路、千番へ。千番のラーメンやら白肉天ぷらやらは既に何度かご紹介済みかと思うんで、今回は他のメニューを。

写真奥右がギョーザで奥左がもやしチャーシュー、手前が牛スジ煮込みです。写真でご覧のようにもやしチャーシュー、牛スジ煮込みともに大したボリューム。独りでフラリと立ち寄ってラーメン前にビールのアテに喰えるようなレベルの量ではないんです。故にしてKanother、Konoとも相当に久々な邂逅。てか、邂逅って字、ケータイで出すの苦労すんね。

一見してお分かり頂けるかと思うのが、もやしチャーシューと牛スジ煮込みの表面を覆う青ネギの凄まじい量。これ。これなんすよ。広島では煮込みでもラーメンでも蕎麦でもうどんでもお好み焼きでも、基本ネギと言えば青ネギ。東京での蕎麦・うどん系への西出身者の違和感と言えば「ツユの濃さ」が一般に良く知られてますが、Kanother的には麺でも何でも東京は白ネギで、これが辛くて辛くて馴染めんかったんを思い出しやす。

青ネギの下に隠れるもやしチャーシューは、広島風の細もやしに脂身プルプルのチャーシュー。広島ラーメンの醤油トンコツなスープもさることながら、青ネギ、細もやし、脂身プルプルチャーシューの3種の神器の醸すトリニティ感が、実は広島ラーメンの一つのキモだったりするんではないか?との思いを新たにした、千番の「もやしチャーシュー」なんでした。旨かった~。



アラ煮

2008年08月20日 22時41分37秒 | Kanother旅日記
今回は鱧、小いわしに引き続き『居酒屋「民宿」』メニューのご紹介。今回は鯛のアラ煮です。

鯛ってぇと鳴門だの明石だのの辺りから広島やら宇和島辺りに至るまで瀬戸内全域にわたる名物で、山陽エリアではお土産物として「鯛の浜焼き」ってのが有名です。

鯛の浜焼きの由来は平安時代に遡るくらい古いらしく、当時は朝廷に、後の江戸時代には幕府への献上品にもなってたとのこと。そもそもは塩田の塩釜から揚げられた熱い塩の中に鯛を丸一匹入れて蒸し焼きにして作ってたそうで、瀬戸の魚介と塩田文化が産んだ名産品ってなことなんでしょうね。

もっとも、浜焼き自体は地元でも結構なお値段だし、てか土産もんだしみたいな感じで、フツーに地元庶民の食卓に上ったりすることは少ないんですが、その分、庶民の食卓にあがりやすいのが、このアラ煮ってぇわけです。

居酒屋「民宿」では、鯛のアラを豆腐と一緒に少し濃いめに煮てカイワレと共に供しておりやした。この他に、ネギと一緒に煮たり牛蒡と一緒に煮たり、或いは焼きほぐして炊き込みメシに添えたり、あるいは潮汁にしたりそこに素麺を投入して暖かにゅうめんにしたりなど、鯛のアラを使った料理は瀬戸内周辺ではかなり堪んない訴求力を持つですよ。

アラだけでなくって、鯛の真子とか白子とかもアラ煮と一緒に煮込んだりポン酢仕立てにしたり筍とかと炊き合わせたり、これがまた良いんですよ。Kanother的には、子供の頃は鯛の身よりもむしろアラだの真子やら白子やらの方が好きだったですよ。てか、今でも割りかしそうかもですよ。

そういった意味で、結局あんまし子供の頃から味の嗜好って変わって無いんやなあ、というのを実感しつつ広島で喰うた、鯛のアラ煮のご紹介でした。



紅三

2008年08月19日 23時57分00秒 | 関心事
でたん江東支部から少し歩いた、隅田川にほど近い辺りに「ベニサンスタジオ」ってぇところがあるんです。

てか「ベニサン」って何すか?て感じですが、元々ここは1875年創業の染色会社「紅三」の工場跡地。創業者の阿部三之助氏が紅染めを主体とした絹染業を興こして「紅屋三之助」と名のり、これが縮まって「紅三」になったんだとか。

で、その紅三が昭和30年代前半に建てた本社工場の跡を改造、松竹と提携して「ベニサンスタジオ」を新規事業として開始し、翌々年には隣接のボイラー室を改装して「ベニサン・ピット」てな芝居小屋をオープン、柿落とし興行は坂東玉三郎がつとめたりしたんだそうな。意外とやるヤツなんですわ。

その後も蜷川幸雄が主催する「ニナガワ・スタジオ」が本拠地にしてたりと長年にわたり演劇界を支えて来たんだそうですが、今日の日刊スポーツによると、そんな下町の小劇場が建物の老朽化により来年1月に閉鎖、建物自体も解体になるんだとか。

Kanother的には、お芝居を観に行ったりなんてぇことは普段からあんましないワケですが、このベニサンスタジオは江東支部周辺のぶらり散歩時に偶然前を通りがかって以来、凄ぇ雰囲気のある建物なんでちょいと気に入ってたんでした。例えて言うなら松田優作の『探偵物語(TVドラマの方)』のロケで工藤探偵事務所として使われてた建物「同和病院」のような感じと言えば、分かるヒトには分かって頂けるでしょうか。

しかも周辺は民家、商店、町工場などが混在する、典型的な墨田~江東辺りの下町風景。そんななかの古びた工場が実は芝居小屋ってぇ意外性のあるシチュエーション。それって、ちょっと素敵やん(島田紳助風)?

Kanother個人としてはここに芝居観に来たことは皆無なワケですが、何しろ隅田川からこっち側の下町エリアってのは、向こうっかしに比べて文化施設が少ないんでそういった意味でも、また戦前戦後の江東エリアの産業を支えた企業の歴史建造物としても、区として意味のある建物なんでないかねぇ。何より味のある佇まいやし。区で何とか出来んのかなあ。勿体ねぇなあ。

でもしょうがないんかねぇ・・・てか、入ったことすらないもんが何言うてんの?て言われちまえば、全くその通りなワケなんですが。同和病院も既にないんよなぁ。形ある物は消え行くってぇことっすね。諸行無常やなぁ・・・



元祖ちゃんこラーメン

2008年08月18日 01時09分09秒 | 関心事
富岡本祭りの連合渡御観戦時のこと、ツレアイさん&イモートさんと昼エサ喰おうってんで門前仲町界隈を物色してたんですが、何せ3年に一度の富岡本祭り、支部近祭りとは違って大変な人出で何処のお店も行列に継ぐ行列。こら困ったな~なんて思いつつ裏路地の方に入ってうろついてると、「2F ちゃんこ三重ノ海」の看板が。

2階なら何気に空いてんではなかろうかと上がってみたところ、まさにビンゴ。割りかしヨユーで入れそうな感じだったんで、迷わずにINです。で、そこで喰うたんが写真の「元祖ちゃんこラーメン」。

他にも旨そうなメニューはあったんですが、お品書き見てる間に隣に運ばれてきたそれが余りに旨そうな匂いをさせてたんで、思わず3名揃って「ちゃんこラーメン!」と頼んでしまいやした。



実際に喰うと、旨そうな匂いをさせてたスープはいわゆる塩出汁ちゃんこのスープで、「塩出汁ちゃんこ鍋を喰い終え、最後にラーメンを投入」と言った趣き。鶏と野菜でジックリ取ったと思われるそれは、クリーミーでいてそれほどしつこくなく、天下一品系の口当たり。そして具の鶏つくね、焼海苔、キャベツ、水菜も押し過ぎず引き過ぎずの良いバランスで、且つラーメンにちゃんこテイストを然り気無く添えるいいシゴトっぷり。このラーメンとしての確固たる成立っぷりは、ちゃんこ屋のランチメニューって以上のクオリティかと思いやす。

しかも、上述のようにスープが旨いので、次は夜に来て塩出汁ちゃんこ鍋を喰うてみてぇ~と思わせる味わいで、ランチメニューとして夜への客を誘う役割も十二分に果たしてます。マジでやるヤツですよ、コイツは。

てなこって、次は是非ちゃんこ喰いに来ようと思った、Kanotherご一行なんでした。旨かった。

磯野藻屑源素多皆

2008年08月17日 22時30分00秒 | ぶちでたん
今日のでたん稽古は吉祥寺。Kanother的に今日の日中は富岡で連合渡御観戦だったんで、吉祥寺18時スタートと先週に引き続いて遅めな稽古でした。

で、そんなこんなな稽古中に「Kanother的には結構夏バテ気味である」「Kono的にもそれは否めず」「では何か滋養のあるものでも食すべし」「如何にも」・・・みたいな内容の合意形成が概ね成された結果、今日の稽古後打合せは「うな鐵」。目前のでたんライヴ&この夏をガッチリ乗り切るスタミナをつけるべく、吉祥寺の鰻専門店に行ったんでした。

ところで今日のうな鐵、どうも明日から夏休みってなことらしく、串関係メニューのいくつかが早々と売り切れており、残ってた串巻、カブト、ヒレ、短尺などの串物に鰻豆腐やら茗荷スライスやらを頼んで瓶ビールで軽呑み後、うな丼をモリッと喰うて打ち上げたんでした。

ケータイで今夜のカーブ勝利を確認しつつ、うな丼をかっ喰らってたでたん2名を尻目に、明日から休みってことで食材を残しとけんのでしょうか、店の奥では厨房とバイトさんが串焼きだの何だのカウンターに並べた持帰り容器にガンガン詰め込む傍ら、串など喰らいながらダベってました。生野菜に至ってはビニール袋に生ゴミの如く持帰り用を無造作に突っ込んでて、そんな景色を眺めながら、日本ってなあやっぱアジアなんだな~ってな感想を持った、Kanotherなんでした。