麻原彰晃らオウムの元幹部らの死刑が執行されて、当然いろいろな意見が噴出している。「死刑」という最高で最強で最悪の国家権力を行使するわけだから、議論噴出は当然だろう。
麻原含め7人が一斉に処刑されたことを批判する声もある。
もっと語らせるべきだったと。
彼らが凶悪な犯行に至った経緯をメカニズムを解明すべきだと。
でなければ何の教訓も残せないと。
こうした批判はボクには全く的外れに聞こえる。
いわゆる人権派の弁護士とかジャーナリストが言いそうな「きれいごと」「幻想」に思える。
犯罪の仕組み、犯行に至る経緯を解明して(本当に解明できるかどうかも疑問)、犯罪の抑止が達成できるとは思えない。
未成年者の残酷な犯罪は何度も繰り返されている。
その度に犯人の「心の闇」とか「不幸な家庭環境」とかが明らかにされていくが、また何処かで罪なき命が犠牲になり続ける。
一つの犯罪のメカニズムを解明したところで、新たな犯罪者は生まれ続け犯行に及ぶ。
暗い沼の底から浮かび上がるメタンガスのように、それは後を絶つことはない。
100の殺人には100の殺意があり、動機がある。
それを分析したところで、101個目の殺意を消し去ることは儚き希望でしかない。
「夏の流れ」という小説がある。
主人公は刑務官。死刑執行にも立ち会う。
主人公が仕事になじめない若い刑務官にこういうシーンがある。
「奴ら、人間じゃないんだ」
「形は人間の形をしてるけどな。どんな優秀な機械にしたって、数多く作るうちにゃ必ず不良品を出すだろう。その不良品はどうする?捨てるよりほかないんだ。人間だってこんなに多くいれば同じことさ」
死刑囚は子供をも殺した凶悪犯。
死刑に躊躇いは当然あっても、その犯罪を憎めと主人公は後輩を諭す。
恐らく「不良品」と割り切って、自分に言い聞かせなければやり通せない酷な仕事なんだろう。
7人が死刑となった。
3人が同時にボタンを押すらしいから、21人が己に正当性を言い聞かせながら苦悩の内にボタンを押したのだろう。
そしてそれよりもっと多くの人が処刑には関わっている。
史上稀に見る殺人集団オウム真理教。
死刑は残酷ではあるが、多くの犠牲者、そして処刑に関わった人たちの苦悩の方にこそ思いを馳せるべきだろう。