コント55号のコントは欽ちゃんが二郎さんに、他愛もないことに難癖つけて何度も同じことをやらせるところに笑いが生まれていた。
悪名高きマイク・ホンダが韓国で安倍首相に謝罪を求めたのを見て、ボクはコント55号のコントを思い出した。
日本人にしたら、河野談話にしろ村山談話にしろ、安倍晋三の慰安婦合意にしろ、その都度謝罪して来たと思うのだが、そうは思わない人たちがいる。
これでは永遠に解決しない。
この世に完璧なものなど存在しないということが真理であるならば、完璧な謝罪も存在しないことになる。
それは即ち欽ちゃん的にはツッコミ放題ということで、二郎さんとしては困ってしまうのである。
これはもう善意で解釈するか悪意で解釈するかだけのことなんだろうね。
ニッポン人としては、もういい加減にしてよという気持ちで、前を向きたいのだが向かせてもらえない。
戦後74年も恨み続ける執念深さは、まるで今話題のあおり運転の加害者。
普通、怒りは瞬間的であそこまで持続はしないもの。
あれはエネルギーの浪費。
他で発揮すれば良いものを。