愛知で中止となった「表現の不自由展」。
これまた賛否両論飛び交っている。
普通に考えれば民主主義の根幹である表現の自由に反する愚かな決定。
直接の中止理由はテロ予告のような苦情が多数あったからだというが、そんなことは予測できたはず。
何しろ、様々な理由で展示できなかったものを展示しているのだから。
名古屋市長も税金投入を理由に中止要求はいただけない。
きっかけとなったのは、あの慰安婦問題を象徴する少女像。
これがけしからんというのである。
展示物には「展示されなかった理由」などが説明されているらしい。
少女像が展示されなかった理由がどう書かれているかは知らないが、「芸術性の欠如」という理由なら納得する。
ボクはあの少女像から芸術性のカケラも感じない。
芸術作品としての意図も感じられない。
感じられるのは極めて政治的な意図。
醜悪な意図である。
あるイギリスのアーティストが韓国のベトナムに対する蛮行を伝えるライダイハン像を作ったが、少女像とは雲泥の差。
ライダイハン像と比べると少女像は小学生の夏休みの宿題にしか見えない。
それでも中止には反対だし、政治が介入することは是としない。