こんばんは。
昨日は暖かかったのに今日はとても寒かったですね。
朝から冷え込んでいましたね。
ところでところで、私もとても驚いているのですが、
昨日、高校の同級生からお手紙が来たのです。なんだろうと何気に開けると
驚きました。50年前に私が先生に送った手紙が2通入っていたのです。
本当に驚きましたよ。丁度50年前の、半世紀前の手紙。
私は、もう自分が書いて先生に出していたことなどすっかり忘れてしまっていました。
その同級生の言うことには、同窓会終了後(今年5月)A先生を囲んで出席できなかった人たちで
集まったそうです。その時先生が身の回りの整理をしていて、20通余りの手紙を本人に
お返ししたいようなことをおっしゃったそうです。
なんか以前、他校で「10年後の自分」宛に手紙を書くことを企画し、大きな反響があった経験
もあり、先生の返してあげたいとの思いを強く感じられたそうです。
なんと、よく50年間も持っておられたとただただ感謝で一杯です。
卒業して一度もお会いしてはいないのですが、お礼のお手紙と今度帰省した時は
是非お会いしたいものです。
今、A先生74歳になられ豊北高校が初めての赴任高校だったようです。
それから
山口県立豊北高校、来年の4月より名前が消え下関北高校になるそうです。
なんだか寂しい気持ちになります。
気持ちは、今でも50年前と変わっていないなと・・・。
セピア色に変色した手紙をみて、これから先いつまで元気でいられるのかな?
何にチャレンジするのかな?
育子でした。
出来事で、芝居の脚本に
なりそうなお話ですね。
先生にとっても思い出深い
出会いだったのでしょう。
生徒からいただいた手紙を
大事して保管して、懐かしく
思っていたのでしょうか。
当時のうるわしき十代の乙女、
育子様は先生にどんな手紙を
書いていたんでしょうか?
恋愛の相談か、進路のことか、
はたまた部活の悩みか?
内緒で教えて下さい。
ウソのような本当の話なんです。
まだ初々しい不安いっぱいの乙女のいのり?
私が上京してすぐのころでした。
一口に50年前といっても半世紀ですものね。
でもよく保管されていたと先生を尊敬します。
今74歳らしいですけど、交通事故で腰を痛めて
整骨院通いらしいです。
お会いしてみたいです。