青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

値上!“大スポ” が驚きの250円に!

2024-04-06 | スポーツの話題
東スポ(大阪スポーツ)が、昨日から金曜&土曜を180円からいきなりの250円への一挙値上げを断行!
 
しかも、値上げを武豊を使って裏1面で正当化するとは・・恐るべし東スポ‼
 
 
大阪スポーツ(東京スポーツ)・・中学時代から自分で買っています。それ以前は父親が持って帰って来るのを楽しみに待っていました。勿論プロレス報道が目当て。当時は1部「20円」でした。
 
 
昭和49年(1974年)3月、猪木のストロング小林との昭和の巌流島決戦をきっかけに、30円に値上げしました。
 
如何に10円の値上がりが大きかったか!プロレスに興味がなくても、ここは雑学です。当時、国際プロレスのエースだった小林を新日本プロレスが引き抜き、この一戦を実現したのですが、その実現の為に東京スポーツは国際プロレスに1,500万円の移籍料を払い、小林を東スポ所属選手として試合を実現しました。
 
部数拡大と収入増にこの試合が必要だった東京スポーツ。この年、昭和49年、前年から1日あたり5万部アップの105万2090部を記録。収入は10円の値上げで1日あたり単純に約1,000万円、年間36億円の大幅増収になったのです。国際に支払った1,500万円は損失どころか経営を潤す優良投資だったのです。
 
 
猪木がアリと世紀の異種格闘技戦(1976年)を行い、40円に値上げ。タイガーマスクの人気爆発で50円。
 
 
昭和58年(1983年)IWGPで新日本プロレスがわが世の春を謳歌して、60円。大スポはプロレス人気と共に値上げしました。
 
 
猪木が参院選に出馬する前、長州力や藤波、前田が「おれたちの時代」を叫んだ頃70円に。
 
 
その後、プロレス人気が陰り、1面は「マドンナ痔だった」「人面魚」などの芸能バラエティネタが賑わせ90円に。この頃が東スポの絶頂時代で、売れに売れてわが世の春を謳歌していました。
 
 
時は流れて・・・猪木が亡くなった時は160円、その後180円に値上げ。21世紀に入ってからはインターネットの普及によって出版不況となり、今日まで生き残りの為に時と共に定期的に「暗い」値上げが行われて来ました。
 
 
そして、昨日からは週末は競馬面を充実させるということで、金曜&土曜は何と250円に😱😱😱
 
競馬専門の新聞が500円超えですので、出走表さえあれば良い僕には、半額以下は有難い。でも、驚きの値上げです。競馬に興味が無い人は、週末は東京スポーツから離れてしまうでしょう。これまで競馬面は新聞の中央部分だったのが、1面から競馬。スポーツや芸能、エロ面はどこに行った?と探すと、中央の2枚だけ抜き出せるようになっていて、つまり、これまでの競馬とその他の関係が逆転していました。11面が大谷、12~17面がスポーツ芸能。18面がエロ。1~10と19~28面が全て競馬。
 
 
それにしても大谷の第一号ホームランの見出しが「大谷顔射」とは。大スポ(東スポ)らしいと言えばそれまでですが、ちょっと言葉のセンスが古すぎますね。