僕が「平成」という時代において、1つだけ忘れられないことがあります。平成元年、つまり1989年11月9日に起きたことです。そう、ベルリンの壁崩壊。遠いドイツでの出来事でしたが、これを間近に感じた出来事がありました。
当時、高校時代からの友人Sはドイツ語を学び、ドイツに渡っていました。その後日本に帰国後は、ドイツの工具を扱う会社でに就職、その会社の日本支社代表まで勤めました。ドイツ語がペラペラ・・・これには驚きました。
僕はドイツ語の単位をドイツ語1と2は1回生で取得しましたが、3と4は2回、3回生でも落とし、ドイツ語のせいで卒業の危機に。僕は英文学科の生徒で優をズラリと並べているのに、ドイツ語のせいで卒業出来ないなんて!
そこで白羽の矢が立ったのがS。「ドイツ語を教えてくれ!」、僕は彼に泣きつきました。ところが、彼はマイペースで、どうでもいいことまで教える。しかもビール、ハイネケンを飲みながら。(笑)まあ、授業で当てられる部分は教えてもらいましたので、出席点は稼ぎました。試験はもう教科書を丸暗記。AとBという単語が出て、これくらい長い文はこういう意味と、何1つ単語を覚えず教科書の翻訳を丸暗記し、ドイツ語3と4は「可」と「優」を取って卒業しました。今でも卒業できない夢を年に1度は見て、卒業証書を確認する朝があります。
話を戻し、そのSが帰国の際に「楽しみにしておけ」と、国際電話で言っていたお土産を持って、僕の家に来た時のことが忘れられないのです。目の前に置かれたのはコンクリートの塊というか破片。そう、ベルリンの壁の塊でした。ゴツゴツとした石。この石を超えようとしてどれだけの人が命を落としたのだろうか・・・「寒い国から来たスパイ」などの映画のシーンが脳裏をよぎりました。インターネットもない、ネット通販もない時代、ドイツからSの手で運ばれて来たベルリンの壁。しかもSが自分で現場で採取してきた石。これは印象に残っています。
僕は当時営業職をしていましたので、この石を行く先々で見せて、お客に非常に喜ばれました。「ベルリンの壁も崩れました。僕らの壁も、もういいでしょう。買いましょうよ」と、石ネタで契約にまで持って行くこともあり、販売ツールとして「壁」は力を発揮してくれました。
昭和から平成は暗いムードの中の改元でしたので、同じ年に起きた歴史的な事件と、それを身近に感じさせてくれたSの石は忘れられません。