僕が子供時代を過ごした大阪の北摂は、かつてはほとんどが農村地域で、ため池が多く、防空壕跡もあったりして、あちこちに秘密基地を作って遊ぶことが出来ました。
学校の校舎も木造。ブロック塀なんかはなくて木の植え込みが塀の換わりでした。校庭には相撲の土俵が常設でありましたし、空き地には土管も放置されていました。身体を使って外で遊び回る環境が揃っていました。逆に、ケガをしたり、事故に遭う危険性も隣り合わせでしたが、あれをやったらダメ、これをやったらダメというのは火遊びくらいのもので、何事も経験から学んだものです。今は学校の運動会で組体操が消えて行っていますが、僕らの時代には組体操で骨折するような子供は皆無でした。
還暦を過ぎても、若者と柔道やゴルフをしても負ける事が無いのは、子供の頃から養った体幹の強さと、ずっと若い時から運動を絶えず継続しているからだと思います。時代に感謝です。
さて、この写真ですが・・・
「野つぼ」です。肥料として使うために排泄物を貯めて置くところ。昭和40年代までは、写真のような野つぼがあちこちに置かれていました。子供が誤ってはまる事故も多く、肥料の改良もあって、野つぼは次第に減少して行きましたし、そのそも田んぼや畑も宅地になって消えて行きました。