これは昭和40年の庄内駅です。まだこの頃は、線路の東西を行き来できる「地下通路」もありません。下のカラー写真が、現在の同じ場所です。随分変わったものです。
僕の両親は高知県から出て来て、父親は福島(大阪タワーやホテルプラザのあった近く)の運送屋で働き、母親は服部の洋裁店で働いていました。それで、両親は両方に便利の良い庄内に住んでおり、僕はこの町で生まれました。その当時の住所や産婦人科の住所も分かっていますが、現在と住所表示が違う為、「ここ!」とは特定できません。いつかは古地図を調べたいと。(笑)
庄内は当時、宝塚線では乗降客の多い駅だったそうです。ところが、庄内地域は大阪に近く便利な反面、住民登録をしていない人々が多く、幽霊人口の多い地域とも言われていました。
そういうこともあり、環境の良い所に引っ越したいと、両親は考えていました。アパートの2階の部屋に住んでいたので、小さな僕が歩く音さえ、階下に気を使ったそうです。そして運命の事件!母親が掃除中のバケツの水を、僕がつまづいてひっくり返し、階下を水浸しにしたのです。これをきっかけに、蛍池で売り出された建売の新築二戸一の庭付き住宅を買い、引っ越しをしました。そこが僕が結婚するまで住んでいた家です。小学生の時には隣を買い取り、一軒家に改築しました。だから僕の記憶は庄内については、ほとんどありません。
蛍池の家に引っ越しした時、「ここなら飛んでも怒られない?」と、両親に訊いたことは、僕も両親も鮮明に覚えています。僕は当時、2~3歳だったそうです。
このカラー写真は庄内の豊南市場。昭和50年頃撮影。正面突き当りの右が、白黒写真の改札口になります。ここの市場は値段が安く、普段も年末年始の買い出しでも、すごく賑わっていたのを覚えています。