青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

サンケイホールと桜橋ボウル!

2022-02-18 | 昭和・懐かしい大阪の風景

「サンケイホール」は、昭和29年に完成したホールで、新聞社系のホールとしては1番最初に出来たホールでした。客席数は1,425人。映画の試写会で僕は何度もここを訪れたことがありました。この写真は昭和61年(1986年)撮影のものです。

毎日ホールと同じ多目的ホールでしたが、2カ月に1度は大阪労演の定期公演が行われるなど、大阪ではひ弱いとされている新劇の公演会場としてユニークな位置を占めていました。また劇団「四季」と提携していて、大阪での公演はサンケイホールで行われていました。

2005年7月の産経新聞大阪本社の浪速区湊町への移転と、それに伴う西梅田再開発計画の一環により閉鎖が決定。53年の歴史にピリオドが打たれましたが、2008年同地に完成したブリーゼタワーに新ホール「サンケイホールブリーゼ」として再開場して現在に至っています。

そして、サンケイホールの右隣、西梅田の桜橋交差点近くにあるボウリング場「桜橋ボウル」も、老朽化したビルの建て替えに伴い、2020年1月12日に閉館しました。ここも学生時代に何度も行きました。

桜橋ボウルは昭和47年(1972年)桜橋吉豊ビルディングの完工と同時に開業。5~7階の3フロアに計60レーンを備えていました。1階が喫茶店、2階がバー・宴会場の「パブ・レストラン バンダリア」。

梅田でボウリングと言えばここと、百又ビル(現イースクエア茶屋町)内にあった「茶屋町ボウル」(16レーン)、梅田スポーツガーデンでしたが、前者は2007年、後者は1989年に閉館しており、残すは「ラウンドワン梅田店」だけとなりました。

僕はサンケイホールブリーゼとして生まれ変わった後は、2015年1月18日に「太田裕美・まごころ倍返し」コンサートで1度だけ足を運びました。チケットはS席5,400円。綺麗なホールになっていました。

◆セットリスト

1.赤いハイヒール
2.雨だれ
3.私は忘れない
4.ガールフレンド
5.Romantic が止まらない
6.さらば恋人
7.恋人達の100 の偽り
8.初恋ノスタルジー
9.シングルガール
10.パパとあなたの影法師
11.金平糖
12.君と歩いた青春
13.しあわせ未満
14.九月の雨
15.さらばシベリア鉄道
16.青空の翳り
17.魂のピリオド
アンコール
18.強い気持ち・強い愛
19.木綿のハンカチーフ


映画館マップ ~昭和の大阪ミナミ

2022-02-17 | 昭和の映画館

僕は相当な数の映画館で、映画を楽しみました。出張の際には映画というよりも「映画館」を見ることを楽しみに、映画館に足を運んだこともあります。でも、僕の庭はあくまでも大阪・キタ。つまり大阪梅田駅周辺でした。同じ大阪でも、ミナミに足を運ぶのは名画座が中心で、「南街劇場」のような大きな劇場は別として、ミナミにはほとんど行きませんでした。

その理由は、キタとミナミは地理的にも大阪の中心を二分しており、それぞれで同じ映画を上映していたからです。原則、キタで観れる作品は、ミナミでも上映している。逆も同じということで、ミナミに行く必要が無かった。ただ、ロードショーですので、人気が無ければ上映打ち切りということもあります。だからキタで見逃した映画を、ミナミで観れたということは、時々起こりました。

このマップはかなり古い。懐かしい70年代初頭のものです。遥か昔に閉館してしまった映画館が沢山載っています。映画のチラシ集めに走り回りましたので、さすがにどの映画館も、今でも思い出すことが出来ます。

ここはスバル座。「イージー・ライダー」は、1970年公開でした。ミナミの真ん中、南街劇場のすぐ近くにありました。この写真のスバル座はこの年に一旦閉館。1975年に同じ場所に完成した、ミナミOSビル5階で再開しました。2006年9月に惜しまれつつ閉館となりました。

こちらは「東宝敷島劇場」。1956年に「東宝敷島劇場」(洋画系)と「敷島シネマ」(邦画系)の2館に改築されましたが、1999年に閉館・解体されました。その後跡地に東宝敷島ビルが建設され、名前や運営母体を変えながら、現在「TOHOシネマなんば別館」となっています。

今日最後のご紹介は、「大阪松竹座」。ここは正面玄関の特徴ある姿からも察せられるように、イタリア・ミラノのスカラ座をモデルに設計された、日本初の鉄骨・鉄筋コンクリートの映画館であり、大阪初の洋式劇場として、1923年に開場しました。キタの北野劇場と並ぶ、大阪の洋画の殿堂であり、1970年代からは洋画のロードショー館となっていました。僕はここで、「ジョーズ」を観ました。

1994年の「風と共に去りぬ」の上映を最後に、映画館としての役目を終えて閉館。1997年からは外観はそのままに、歌舞伎やミュージカル、コンサートも行う劇場として、今も愛されています。僕は劇場として再出発してからでは、2015年の秋にスーパー歌舞伎を観劇しました。


ただ今建設中!~大阪万博

2022-02-16 | 昭和・懐かしい北摂の風景

大阪万博の開催中のパビリオンの写真や、解体工事中の寂しい写真を見る機会は結構ありますが、建設中の現場写真を見るチャンスはあまり無いように思えます。

これは昭和44年(1969年)の工事現場見学の際の写真です。

エキスポタワーの足元!勿論当時は工事現場は部外者立ち入り禁止でした。看板を見ると、この当時既に「ランドマーク」というハイカラな名称が使われていたことが分かります。

これがエキスポタワーで、高さ127メートルの展望台。大阪万博の「ランドマーク」として建設されました。万博閉会後もエキスポランドのアトラクションとして残りましたが、敷地から離れた丘の上という立地の悪さから来場者は少なく、1990年9月30日をもって展望塔としての営業を終了。塔は閉鎖され解体までほぼ放置されました。また、携帯電話のアンテナとしても使われていました。2002年8月から、2003年3月にかけて解体・撤去されました。

免許を取得し、滋賀・岐阜・京都方面にドライブに行き、大阪への帰りに名神高速道路を使うと、茨木ICに近づいた辺りで名神の左前方にこのタワーが見え、「帰って来たな~」とホッと一息つけたものでした。80年代からそういうことがず~っと続いていたのに、2000年代のある日、エキスポタワーが無くなっているのに気が付いた時は、結構寂しさを感じました。

大阪万博・パビリオンの建設は、起工式が昭和42年(1967年)3月15日、立柱式が43年3月15日でした。この写真の撮影は44年3月15日。そして45年3月15日、大阪万博がスタートしました。


大毎地下劇場 ~堂島の顔・毎日大阪会館

2022-02-15 | 昭和の映画館

「堂島地下センター」・・四つ橋線の西梅田駅から南へ約300メートルの地下街で、1本道の両サイドにファッション、食事のお店、喫茶店、書店、スポーツ店が軒を並べています。今もこの筋にスポーツ店が生き残っているのが、ちょっと不思議。大きなジュンク堂もあるし、花屋さんなど案外いろんなお店があります。

またこの道は、朝日新聞、毎日新聞、サンケイ新聞などへの通路になっていたのが特色でした。サンケイのサンケイホール、毎日の毎日ホール等が新聞社の建物の近くにあり、夜9時過ぎになると、興奮から冷め切らない表情の男女が梅田方面へ歩く姿が見られたものです。大阪フェスティバルホールへ行く人も、この道を利用しました。

この写真は昭和61年(1986年)の毎日新聞社と毎日大阪会館。毎日大阪会館は北館と南館に分かれており、1956年に北館が、1958年に南館がそれぞれ落成。北館に毎日文化ホール、南館に毎日ホールと大毎地下劇場がありました。

毎日ホールは昭和33年(1958年)に完成した多目的ホールで、客席数は1,418人。毎日大阪会館の南館の2~4階を占めており、芝居、映画会、講演会などを開催していました。

僕は、1980年12月22日に太田裕美の「まごころこんさあとⅨ」と、翌1981年12月15日の太田裕美「まごころこんさあとⅩ」を、毎日ホールで観ました。後者のチケットは2500円でした。今考えると・・安い!(笑)LPレコード1枚の値段より安いですから。

そして地下にあった「大毎地下劇場」は、過去の洋画・邦画の中から秀作を選んで上映していて、80年代にポルノばやりの映画館の中で気を吐いて頑張っていました。ムーブオーバー作品を2本立ての低料金で提供してくれていましたが、1993年3月28日に閉館となりました。

過去に封切りされた映画のパンフレットの販売も好評で、梅田東映パラスの入口の横にも封切り後のパンフを置いていましたが、ここも好評でした。1983年に「狼男アメリカン」と、ジャック・ニコルソンの「郵便配達は2度ベルを鳴らす」を観たことが印象に残っています。

現在はここには、北館跡には堂島アバンザ、南館跡にはホテルエルセラーン大阪と堂島プラザビルが建っています。


ジェフ・ベック来日コンサート 2009

2022-02-14 | 素晴らしかった興行・イベント

バレンタイン・デー、昔はともかく年老いた今でも、チョコレートを頂けるのはとても嬉しいものです。ありがとうございます。

バレンタイン・デーで思い出したのが、2009年2月6日と12日のジェフ・ベック来日コンサート。当時のベックは相変わらず気まぐれ。64歳にもなれば、もう少し丸くなれよと思いました。12日のコンサートでは、弾き始めたフレーズを突然やめたり、演奏で入るべきところに、入らなかったり。また間の悪いことに機材が不調で、ギター音に「ジーッ」というノイズが出た!演奏中にも関わらず、スタッフが復旧を試みるものの、ノイズが消えない為に、「機材が治ったらまた・・・」と言って観客に向って合掌して、途中で引っ込んでしまいました。

でも、見せ場はありました。「Behind the Veil」の後、「機材の調子が悪くてすみません」と謝り、復旧作業を眺めている不機嫌なベックを見て、ドラムのヴィニー・カリウタが突然ビートを刻み出したのです。そして、ベースのタル嬢が即座にそれに呼応し、即興セッションがスタート。すると、それを見たベックが、タル嬢の左に立ってネック側から腕を伸ばしてベースの低音弦を弾き始めた。するとタル嬢はハイポジションでソロを取る。分かり易く言えば、1本のギターを二人で演奏、つまり二人羽織奏法を披露したのです。これはサプライズでした。

タル嬢というのは、あの時の来日メンバーで特筆すべき、紅一点の若干23歳のベーシスト、タル・ウィルケンフェルドのこと。150数センチのその愛くるしい佇まいから想像出来ない的確なテクニックと、しなやかなリズム。さすがチック・コリアやオールマン・ブラザーズ・バンドと共演しただけあって、来日前から彼女目当ての観客が多かった。

ジェフ・ベックの3年半ぶりのジャパン・ツアー初日6日の公演は満員御礼ソールドアウト!5,000人の観衆。会場に訪れていたファンのほとんどが、チョイ悪親父風の50~60代。しかしこんなに雰囲気の良いROCKの会場も近年にない感じでした。後半に掛けて徐々にノってきたのが手に取るように分かったコンサートでした。



来日メンバーは4人。Jeff Beck(g)、Tal Wilkenfeld(b)、David Sancious(key)、Vinnie Colaiuta(dr) 。笑ってしまったのは、照明が落ちた途端に客席からベック・コールではなく、タルちゃんコールが起きたことでした。みんなが注目していたのは分かりますが、すっかり人気者になっていました。

オープニングは定番となっていたジミー・ペイジ作の「Beck's Bolero」。まさにベックの音としか言いようのないギターの音色。ピックをほとんど使わない演奏に加え、アームとスライドを多用して演奏する。このあたりの演奏はクラプトンとは趣が違います。昔懐かしい『Blow By Blow』や『ワイアード』からの選曲が懐かしい。

MCは一切無く、次から次へと演奏が続いて行き、「Cause We've Ended as Lovers」あたりから会場も盛り上がって行く。MCが無かったと言うより、ベックが喋ったのはアンコール前のラストで、メンバー紹介をした時だけでした。あ、最後の最後に「THANK YOU」とも言いました。(笑)ショーは約1時間30分、観客を魅了しました。

 

2009年2月6日@東京国際フォーラムホールA セットリスト

1. Beck's Bolero
2. The Pump
3. Eternity's Breath
4. You Never Know
5. Cause We've Ended as Lovers
6. Behind the Veil
7. Blast from the East
8. Stratus
9. Angel
10. Led Boots
11. Nadia
12. Snake Oil
13. Goodbye Pork Pie Hat / Brush with the Blues
14. Blue Wind
15. A Day in the Life
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16. Where Were You
17. Big Block
18. Scottish One