(今朝の拙宅周辺の様子)
その日(2011年3月11日)の午後2時45分過ぎ、私たちはニセコの自宅の居間で、午後のお茶を飲もうとしていた。
突然、ドンという音と共に天井からぶら下がっている4灯式のペンダントが激しく(上下に)揺れ出した。
自宅はログハウスで、居間は吹き抜けになっていたから、見上げるほどに高い天井から吊り下げられたペンダントが、ガシャガシャという音を立てて(上下に)揺れるのを見てとても怖かったのを覚えている。
「これは大きいね。(震源は)釧路沖かな」と話し合っている内に、テレビは宮城県沖を震源とする巨大地震で、太平洋岸一帯に津波警報が出されたことを伝え始めた。
それ以後の(福島第一原発の事故を含め)経過はご承知の通りで、この災害で亡くなられた大勢の方々、また、家を失ったり、大小さまざまな被害を受け、且つ、放射能被害から逃れるため全国各地に避難を余儀なくされた方々にお悔やみとお見舞いを申し上げたい。
私たちはその後、2018年9月6日の胆振東部地震とこれに伴うブラックアウトを経験して、災害はいつも身近にあることを思い知らされた。
結果、常に災害に備える大切さを学んだ。
その意味でも、3.11を決して忘れてはならないと思っている。
しかし、福島には友人もおり、いまだ4万人以上が避難している「原発」にはとても悔しい悲しい思いを禁じえません。
そうですね。
あの大震災と原発事故から10年ですね。
大震災とは言え、やはり実体験していない身には、それはテレビ画面の中での災害でしかなく、真の意味の実感を伴いません。
その点、18年の胆振東部地震とそれに伴うブラックアウトは、体験しただけにより身近な災害でした。
その意味で、それらをどう自身の問題として生かすかを真剣に考え、且つ、実行に移す(例えば、食料や水の備蓄など)ことが大切だと思っています。