風のたより

つれづれに

                  ~~~   「農村景観日本一」の岩村町   ~~~

2016-04-25 | 根尾、岩村城、坂折棚田ドライブの旅



岩村城を見た後城山を下りて細い県道を走っていると、畑の中ののどかな道の向こうに、
鯉のぼりがいっぱい泳いで知る風景に出会いました。





思わぬ光景に感激し、さっそく近くまで行き車を止めて、、、

青空に風を受けて勢いよくたくさんの鯉のぼりが泳いでいます。





その数はゆうに100は越えているようです。





鯉のぼりの向こうには、どこか懐かしいような農村風景が広がっています。

きっとこの鯉のぼりも近くの方々の呼びかけで催されているイベントかもしれません。





色もとりどり、、、、

周りの畦道に降りて、あちこちから鯉のぼりを見上げました。





青空の下、風を受けて勢いよく泳ぐ鯉のぼり。

童心に帰りいつまでも眺めていたいような風景です。





さらに行くと、道沿いの「農村景観日本一」という看板が目に入りました。

その光景を上から眺める高台があるとのこと。
やっと見つけ高台に上ってみると、、、、のどかな農村風景が広がっています。
目を凝らしてよく見ると、さっき見て来た鯉のぼりの場所もここから見えました。





「農村景観日本一」の称号は、平成元年に全国の環境問題を専門に研究している京都教育大学の
木村教授が名付け親で、その後マスコミが一斉に報道し一躍脚光を浴びたのだそうです。
全く知りませんでした。





この場所はは、東から西に少し傾斜した穏やかな岩村盆地の中にあり、周りには茅葺きや白壁の
昔ながらの農家や土蔵が点在する、昔ながらの農村風景が見られる場所です。





また眼下に広がる田園風景は、岩村町の約半分にもなるのだとか。

鯉のぼりが悠然と泳ぐのどかな岩村町は、偶然に知った「農村景観 日本一」の町でした。


                 ~~~  女城主(信長の叔母)で有名な「岩村城」  ~~~

2016-04-24 | 根尾、岩村城、坂折棚田ドライブの旅



娘との気ままなドライブは続き、偶然交差点で見かけた「岩村城」の標識に心動かされ「岩村城跡」へ。

とは言っても岩村城に関しては女城主で有名ということぐらいで、いつもながら詳しい予備知識は全くなし。
とりあえず城内の駐車場まで上り、ここから石垣の脇の石段を上ります。





着いてから場内の案内図や頂いたパンフレットでその概要がやっとわかりました

岩村城は恵那市の南部に位置し鎌倉時代(1185年)に築城された日本三大山城の一つとか。
他の二つは、大和の高取城(奈良県)備中の松山城(岡山県)だそうです。

本丸のある場所は、諸藩の居城中最も高い海抜717mに位置していたといいます。





石積みの階段を上りやっと上に上がってみると、さらに高く堅固な石垣が現れます。
ここが山城だったことが忍ばれます。





城は明治になり廃城令で解体されてしまいましたが遺構の保存状態は良く、曲輪や高石垣、井戸等が
今もよく残っています。





本丸と二ノ丸を繋ぐ埋門(うずみもん)跡。

ここには大きな櫓が上に載っていたようです。
この奥が本丸になり、かなり狭い通路になっていました。





やっと本丸の広場まで上がってきました。
ここから城下町を見下ろすことができ、更に四方の山々を一望することができる高台です。





足元の崖下には山桜が綺麗に咲いていました。

このゆったりと静かな眺めとは裏腹に、この城の歴史は波乱万丈だったようで、女城主といわれた
織田信長の叔母の悲惨な生涯は胸を打ちます。





またこの岩村城は、別名「霧ヶ城」ともいわれているとか。

岩村城には、敵が急襲した際、城主秘蔵の蛇骨を城内の井戸に投げ入れると、たちまちのうちに深い霧が
辺りに立ち込めて城山を覆い、敵の侵入を阻んだという「霧ヶ城伝説」があるようです。

その様子はまさに東洋のマチュピチュともいわれているとか。





本丸の横にある「昇龍の井戸」

標高の高い山城にあって今でも満々と水をたたえているといいます。
周りには策が張られているので、中をのぞくことはできませんでしたが、、、

こんな井戸が岩村城には17もあるそうです。





大きな石碑の裏に刻まれた700年にも及ぶ連綿とした歴史、、、

この城が築かれてから鎌倉・室町の300年間、戦国の100年間、更に江戸期の300年間にわたり城と城主が
変わりつつも連綿と続き、明治に至り廃城令で解体されるまで存在したこの城の長い歴史に圧倒されました。





そしてこの岩村城に居城していた信長の叔母にあたるお直の方が、甥の信長によって処刑されるという
悲惨な事実があったことに驚きました。

城内に咲いていた桜は、お直の方が信長への最後の言葉を残し
気高く散っていった様子を物語っているようでした。

                    ~~~  飛水峡と坂折(さかおり)棚田 ~~~

2016-04-18 | 根尾、岩村城、坂折棚田ドライブの旅



国道41号線を北上し、娘との気ままなドライブ途中に、渓谷美で有名な飛水峡に立ち寄りました。

岐阜県内を流れる飛騨川の白川町から七宗町に渡る約12kmに渡る峡谷は、飛水峡として有名です。
飛水峡を含めた流域一帯は、飛騨木曽川国定公園に指定されています。





「道の駅 ロックガーデンひちそう」の直ぐ横には展望台があり、
上から素晴らしい渓谷美を眺めることができます。





深く澄んだエメラルドグリーンの色が綺麗です。

もう少しすると、このあたりの岩に咲く岩つつじが見れるとか。
今はちょっと早いようで~~~





ドライブ中に眺める初夏の山々の色は、何とも言えない淡い萌黄色。

ところどころに見えるピンクの色は、山桜でしょうか?





車はさらに進み、恵那市中野方町にあり「日本の棚田百選」に選ばれている「坂折棚田」にやってきました。

ここには以前カメラのお友達と何度か来ていますが、この時期は初めて。
”桜にはちょっと遅く、田植えにはちょっと早い”中途半端な時期です。





坂折棚田は、「日本の棚田百選」に認定されている棚田で、今から約400年ほど前から築かれはじめ、
明治時代初期には現在の形になったといわれています。

向こうに見えるのは笠置山。





高台から畦道を下りて下の方へ~~~。
下から眺める棚田。

辺り一面に広がる全国的にも珍しい石積みの棚田には菜の花が咲いていました。





棚田の向こうには山間のためか、まだ数本の桜も咲いていました。





畦にはタンポポの花も咲いて~~~

のどかな風景に癒されます。





一番高い場所には東屋があり、上から棚田の全体を見渡すことができます。





棚田の一部にはもう水が入った棚田もありましたが、多くは今月末頃から水が張られるとか。

棚田は一面づつオーナーさんが違うため、一斉に水が張られることはないようですが、水の入った時や
田植えの時期に、もう一度行けるといいのですが、、、、





坂を下りてくると、可愛いピンクのモモの花が満開をむかえて咲いているのに出会いました。





坂折棚田を降りて県道に出て、、、、遠くから桜の花越しに眺めた坂折棚田。

にっぽんの美しい農村風景です。




              ~~~  根尾谷断層と”うだつの街”の美濃市 ~~~

2016-04-15 | 根尾、岩村城、坂折棚田ドライブの旅



昨夜九州地方の熊本で震度7を記録する大きな地震がありました。

震源地の近くには大きな断層が走っているということですが,淡墨桜で有名なこの根尾
にも根尾谷断層が走っていて1891年にマグニチュード8.0の大きな地震を起こしました。
その大きな被害を記録した地震断層観察館があり見学してきました。





濃尾地震として知られるこの地震は、日本の内陸部で起きた直下型の地震でした。

会館内部では当時の地震の状況を示した展示がされています。
震源地の水鳥地区では上下6メートルにもなる断層崖が隆起しました。

またいつ起こるかわからない大地震です。
今回の熊本の大きな地震は、決して他人事ではありません。





根尾の淡墨桜を見た帰り立ち寄った”うだつの街”で知られる美濃市。

夕方近かったせいか街には人の姿もなく、町並みを歩きながらゆっくりと見学できました。





”うだつ”とは隣家との境界に取り付けられた土造りの防火壁のこと。

この”うだつ”を造るにはかなりの費用がかかったため、裕福な家しか作ることができませんでした。

そんなことから「うだつが上がる」ということは富の象徴であり、財力のある家ということを表しています。





”うだつが上がるとか””うだつが上がらない”という言葉は、この”うだつ”から来ているのだとか。





立派な見越しの松と”うだつ”、なんだか風情がありますね。





見事な”うだつ”を持った家。

この”うだつ”には家々の家紋や華麗な細工が施されていて見ごたえ十分!!

切妻造や入母屋造の屋根の妻の三角形の部分を破風(はふ)といい、その下の部分を懸魚(げぎょ)
というのだそうです。





見事に並んだ二つの”うだつ”珍しい光景です。





”うだつ”が隣家との境界に取り付けられた土造りの防火壁ということが
ここから見るとよく分かります。





屋根の上に祭られているのは???

これもあまり見かけない光景です。





美しい「起り(むくり)」屋根を持つ江戸時代の造り酒屋の小坂家住宅。

現在は国指定重要文化財になっています。





美濃市は美濃和紙で財を蓄えた江戸時代に栄えた商人の街ですが、今でもこうして往時を
忍ことができる貴重な街です。

その美濃和紙の原料でもあるコウゾ、ミツマタのミツマタの花。
黄色い可愛い花です。



                ~~~  樹齢1500年を誇る根尾の「淡墨桜」  ~~~

2016-04-11 | 根尾、岩村城、坂折棚田ドライブの旅



一度は桜の時期に行きたいと思いつつ、なかなかチャンスがなく延び延びになっていた
「淡墨桜」を、今回念願叶いやっと満開の「淡墨桜」を見ることができました。

最近買ったカーナビを使い、何処かへ行きたいと娘と話し合っているうち話がまとまり、急に思い立って
出かけたのですが、幸いなことにこの日ほぼ満開で、思いがけず「淡墨桜」の素晴らしい姿を堪能できました。

「淡墨桜」の咲く淡墨公園は、この根尾川の赤い橋を渡って~~~





駐車場から少々坂道を上ること数分。
広い淡墨公園の奥に「淡墨桜」が見えてきました!!

”うわー満開!!”





思わず近寄って~~~

桜の周りにはすでに大勢の観光客の姿が、、、、





これが見たかった満開の「淡墨桜」です。
噂にたがわず素晴らしい佇まいです。

根尾の「淡墨桜」は樹齢1500余年のエドヒガンサクラ。
樹高16.3m、幹囲目通り9.91m、枝張りは東西26.90m、南北20.20mもあり
継体天皇お手植えという伝承があるそうです。





長年の間に幹内部にできた空洞も広がるなど幹の老化が著しくなり、昭和23年思い切った大手術が行われ
その後見事に甦ったのでした。

たくさんの支え木がそのことを物語っています。





見事に甦った「淡墨桜」は、満開の為か花びらの色は白!!

この「淡墨桜」つぼみの時は薄いピンク、満開の時は白、そして散り際には淡い墨を引いたような色
になるところから「淡墨桜」の名がついたといわれています。





それにしてもこの見事な幹、どっしりと大地に根を下ろし1500年余の風雪に耐えた幹です。
貫禄がありますね。
1922年、大正11年に国の天然記念物に指定されています。

いつまで眺めていても見飽きることがありませんでした。





思う存分「淡墨桜」を眺めた後は、淡墨公園内をちょっと散策~~~

公園内には三々五々ゆっくりと桜を眺める人々の姿が、、、、





園内に設けられた池を渡り、北側の高台まで登ってみることに、、、





高台から眺める淡墨公園。

北側には頂に雪が残った能郷白山の姿がありました。





広い園内には右側の「淡墨桜」とその後ろの「淡墨桜」二世の他にも、作家の宇野千代さんや水上勉さんが
植えられたという記念樹も数本ありました。





最初は花曇りだった天気も午後には青空も望めすっきりと、、、、

右側には淡墨観音を祭ったお堂がありました。





帰り際もう一度「淡墨桜」を振り返り、満開の時期に巡り合えた幸せに感謝でした。