偶然というのは、精緻に組み合された必然のようにも思えます。
この日僕は、たまたまこの会があることをネットで知り、妹に伝えて二人で出席するつもりだったのですが、たまたま妹が母に伝え、気がつくと母と三人で同席していたのです。
簡単な自己紹介をし、近況報告をし、母の番になったとき、彼女はこれまでのことを語り始めました。途中、泣き出して嗚咽しながらそれでも語り、その声音は弱々しくとも止めることを拒んでいました。
カミングアウトしてまもなくの頃、僕はむきになって「結婚、家庭、こども」という、ひどく世間的なものにしか幸せを見出せない視野の狭さをなじったのですが、逆に言えば、母はそういう世間的な幸せだけで十分満足だったのです。それを考えると、そのくらいのことも与えてあげられない自分の心が久々に禍々しいもやのようなものに覆われて、辛くなってきました。
しかしながら尾辻さんをはじめ「つなぐ会」の方々は、寄り添いながら、それでいて力強くそのもやをなぎはらってくれました。特に同じ立場のお母さん方のことばは母の心にも響いたようで、同じような経験を乗り越えてきた者のことばの説得力には、僕ら当事者にはかなわないものがあるようです。もちろん、当事者しか持てない説得力も別にあって、尾辻さんのように偏見に負けずに前に出てゆくその信念には、とても勇気付けられます。彼女の存在自体が「エンパワーメント」です。
会を終えた帰り道、母はいくぶんスッキリした表情をしていました。これまでの堂々巡りから抜け出すきっかけにはなったでしょう。特に、ゲイであることをカムアウトして活動していた息子さんを若くして亡くし、その遺志を継ぐという親御さんがご夫婦で来ておられ、そのお二人には母も感心するばかりでした。そのお母さんに「ゲイであっても息子であることに変わりはないですよ。 元気に生きていてくれることが一番の幸せなんです」と声をかけられたとき、母は嗚咽しながらも何度もうなづいていたのが、目に焼きついています。
自分たちの辛さはいったん脇へおいて、目の前の泣いている人に優しい言葉をかけられるようになるまで、どれだけ辛く苦しい夜を過ごしあぐねたことでしょう。どれほど運命は過酷でも、人は前を向いて生きていけるということをことばだけでなく、その場で寄り添うことで指し示してくれているような気がしたのです。
カミングアウトしたくても出来ずに悩んでいる人も、した後こじれて辛い人も、まあ、一度来てみてください。そうすれば、そこにまで足を運ぶ家族の決意のほどに思いを馳せられることでしょう。とてつもない勇気です。そこで優等生になる必要はないんです。いくらでもわが身の不幸をかきくどいて構いません。心の奥に堪った涙の湖を放っていては、いつまでも前に進めないんですから。せいぜい泣き喚いて、循環をよくすることに専念してください。そうすれば体と同じく、心も軽くなります。
一方で、連れてこようとする子どもの方にも、親や家族は思いを馳せてあげてください。彼らはあなたがたに理解してもらいたくて、誘っているのだから。双方の想いが交差することを願って歩み寄ろうとする、その一歩一歩が、生きるということなんですから。
H.K
☆お母様と妹さんと一緒に参加してくださった方からの投稿です。この時はみんなで一緒に涙してしまいましたが、そのあとのすがすがしさを今でも覚えています。泣きたい時には泣けばいいんですね。そして前へ進んで行けば・・。
この日僕は、たまたまこの会があることをネットで知り、妹に伝えて二人で出席するつもりだったのですが、たまたま妹が母に伝え、気がつくと母と三人で同席していたのです。
簡単な自己紹介をし、近況報告をし、母の番になったとき、彼女はこれまでのことを語り始めました。途中、泣き出して嗚咽しながらそれでも語り、その声音は弱々しくとも止めることを拒んでいました。
カミングアウトしてまもなくの頃、僕はむきになって「結婚、家庭、こども」という、ひどく世間的なものにしか幸せを見出せない視野の狭さをなじったのですが、逆に言えば、母はそういう世間的な幸せだけで十分満足だったのです。それを考えると、そのくらいのことも与えてあげられない自分の心が久々に禍々しいもやのようなものに覆われて、辛くなってきました。
しかしながら尾辻さんをはじめ「つなぐ会」の方々は、寄り添いながら、それでいて力強くそのもやをなぎはらってくれました。特に同じ立場のお母さん方のことばは母の心にも響いたようで、同じような経験を乗り越えてきた者のことばの説得力には、僕ら当事者にはかなわないものがあるようです。もちろん、当事者しか持てない説得力も別にあって、尾辻さんのように偏見に負けずに前に出てゆくその信念には、とても勇気付けられます。彼女の存在自体が「エンパワーメント」です。
会を終えた帰り道、母はいくぶんスッキリした表情をしていました。これまでの堂々巡りから抜け出すきっかけにはなったでしょう。特に、ゲイであることをカムアウトして活動していた息子さんを若くして亡くし、その遺志を継ぐという親御さんがご夫婦で来ておられ、そのお二人には母も感心するばかりでした。そのお母さんに「ゲイであっても息子であることに変わりはないですよ。 元気に生きていてくれることが一番の幸せなんです」と声をかけられたとき、母は嗚咽しながらも何度もうなづいていたのが、目に焼きついています。
自分たちの辛さはいったん脇へおいて、目の前の泣いている人に優しい言葉をかけられるようになるまで、どれだけ辛く苦しい夜を過ごしあぐねたことでしょう。どれほど運命は過酷でも、人は前を向いて生きていけるということをことばだけでなく、その場で寄り添うことで指し示してくれているような気がしたのです。
カミングアウトしたくても出来ずに悩んでいる人も、した後こじれて辛い人も、まあ、一度来てみてください。そうすれば、そこにまで足を運ぶ家族の決意のほどに思いを馳せられることでしょう。とてつもない勇気です。そこで優等生になる必要はないんです。いくらでもわが身の不幸をかきくどいて構いません。心の奥に堪った涙の湖を放っていては、いつまでも前に進めないんですから。せいぜい泣き喚いて、循環をよくすることに専念してください。そうすれば体と同じく、心も軽くなります。
一方で、連れてこようとする子どもの方にも、親や家族は思いを馳せてあげてください。彼らはあなたがたに理解してもらいたくて、誘っているのだから。双方の想いが交差することを願って歩み寄ろうとする、その一歩一歩が、生きるということなんですから。
H.K
☆お母様と妹さんと一緒に参加してくださった方からの投稿です。この時はみんなで一緒に涙してしまいましたが、そのあとのすがすがしさを今でも覚えています。泣きたい時には泣けばいいんですね。そして前へ進んで行けば・・。