★今日はあるMTFの方からいただきましたご投稿をご紹介いたします。彼女は昨年からの不況により男性として働いておられた前の職場の退職を余儀なくされたのですが、今度はMTFの女性として働ける新しい仕事への一歩を踏み出されたとのこと。すばらしいことだと思いました。TG(トランスジェンダー)やGID(性同一性障害)の方たちにとって就職が大きな壁になっているというお話をよく聞きますが、人間にとって仕事が社会とのつながりを確認したり自己肯定感を持つ上で大きな位置を占めていることを考えれば、一日も早く多様な個性を持つ人間が自分らしく働ける職場を持てる社会になってほしいと思います。
伊東さんのこの半生記を読ませていただきながら、性の多様性について改めて考えさせられました。そして「自分らしく生きる」ということを子どもの時から考えられる豊かな社会にしたいと強く思いました。
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MTFの私の歩みについて
伊東 晴子
1・以前の私と今の私のセクシュアリティ及びそのように変化した理由について
(1)トランスベスタイト(TV)だった以前の私とは?!
身体の性だけでなく性自認の性も男性でありながら女性のファッションをしたい人でした。
(2)狭義のトランスジェンダー(TG)となった今の私とは?!
私自身、SRS(性別適合手術=性転換手術)を望んでおりませんが、身体の性は男性であっても性自認の性は女性となりました。これを狭義のTGといいます。
SRSを望まない理由は生殖機能がなくなってしまうことの他、身体への何らかの変異が生じかねないリスクもあるからです。それよりも私は持って生まれた身体は大事にしたい考えです。
ということは、戸籍制度そのものの変更を願いたい考えでもあるのです。性別記載欄に「男性」と明記されたくありませんからね。そうかといって真の女性の身体を得られない等の理由もあるため、私には「女性」と明記できなくて悔しい面もあります。
ですから、「身体の性」と「性自認の性」の双方を明記されるものが望ましいと私は思います。またSRSされた人については、その履歴も明記するものが望ましいと私は思います。
(3)変化した大きな理由とは?!
2年前の春頃からメイクをやりはじめ、これが私のセクシュアリティの変化が生じたきっかけとなりました。しかしこれだけで私の性自認の性が変化したとは思えませんでした。ですから色々と考えてみましたところ、以下の二つのことが大きな要因ではなかっただろうかと分析致しました。いずれのことも男性嫌悪感の強さからです。
第一に、子供の頃から私はいわゆる女らしいという理由で、同級生から暴力やいじめを受けることが多かったのです。
第二に、TVだった頃に私が女性のファッションをしたいことや性の多様性について、友達関係だった男性達へ伝えても、本当に聞く耳を持っていただけずに嫌われました。だから私は彼らを恨みに思った時期もあったぐらいでした。
その一方で性について学習するサークル(性教協)と出会い、女性の人達が多い集いであることについても、またそれ以外の女性の人達と関わることが増えてきたら、私にとっては落ち着ける環境だと思いました。そしてかなり過ぎてみると、気がついてみたら私の性自認の性は女性ではないだろうかと思えてきたのでした。
2・変化した私の歩んできた経過について
(1)子供の頃からいわゆる女らしかったから・・・
私は殴り合いの喧嘩では弱かったので、同級生からはいつも暴力やいじめを受けて泣かされ、女みたいだといわれました。プロレスやボクシングなどの格闘技は、遊びでも嫌でした。また昆虫や両生類を触るのはかなり苦手で、多くの女子達同様に男子達から昆虫や両生類を見せられると怖がるぐらいでした。計算するのも好きでしたが、漢字や作文を書くことも好きでしたので、それを理由に女みたいだともいわれました。
しかし私としては腕力のある男子が子供社会の中で実権を握るのには許しがたかったこともありましたし、私の受けた痛みをわからせてやろうと思ってか、容赦なく相手への激しい復讐をよくやったものでした。本当に同級生とは突っつき合った思い出しかないぐらいの少年時代でした。そのせいか、人と話し合うことが苦手でもありました。
(2)なぜ私もMTFに多い鉄道好きなのか?!
いわゆる男らしいタイプですが、その人達とはなじめませんでした。そのような立場の男子であれば、どうしても落ち着けるような趣味に走りやすいものです。しかしいわゆる女らしいことをすることについては、子供ながらに自己肯定しがたい面もあったせいか、例えば鉄道趣味ならそうでもないと思ったのではないだろうかと私は分析しております。
何を言いたいのかといえば、それは子供ながらに女の子のようにスカート穿きたいと少年時代の私も思ったのは事実だったことです。
(3)両親からいわゆる男らしく育てられてきたから・・・
私には妹二人いますが、女の子であるという理由で穏やかに育てられていました。その点、私に対しては男の子であるという理由で、軍事戦士ならぬ企業戦士になってもらうべく育てられてきました。ですから4年制大学を卒業して一部上場企業へ就職するべく、学業成績のことではかなり厳しくいわれ続けました。この道以外に生きる人生がないかのようにでした。かといって、そういう私も女らしくするのには自己肯定できませんでしたし、とりあえず大学進学すれば人生はどうにかなると思い込んでしまいました。
(4)無理に男らしくしようとしたこともあったから・・・
女らしくすることに自己肯定できなかったせいからか、煙草や酒、麻雀に手を出したり、また単車で過激な運転をして格好つけるようになりました。しかし度重なる交通違反で免許停止になってしまい、その後の1年間はちょっとの交通違反でもすれば免許取り消しになるぐらいの時期もあったほどでした。でもそうやってみて、自分にかなり無理をしていたと思い知らされたのでした。
(5)自分探しの期間が長く続いたから・・・
その後、旅行ばかりするようになりました。本州内の高速道路を自走した上で、北海道や四国・九州をドライブ旅行したこともあったぐらいです。これはその代表例です。
しかし旅行してばかりいても、なかなか自分がどうなのかを見つけられませんでした。
(6)企業社会になじめなかったから・・・
4年制大学卒業後、入社時から大卒コース(キャリアーコース)と高卒・専門卒コース(ノンキャリアーコース)とに分かれて雇用されたメーカーに就職しました。
入社からの現場研修はわずか数か月間でした。しかしそんな短期間では現場のことが一通りわかるには程遠く、色々と戸惑うことばかりでした。ですからそのことを一通りわかるまで数年間の期間をかけ、その後にキャリアーコースに戻してくれても遅くないのではないのかと私から経営陣に申し出たこともあったぐらいです。しかし1年の短期間で直ぐに元のコースに直ぐに戻されました。それなのに、将来は役職にならなくてはならないことに嫌で仕方なかったのです。そうなっても部下に対していばるようになるだけで、彼らからは信頼されるようにはなれないと思ったからです。夫が妻へのDVと構図が似ている気がします。
ですから石の上にも3年も経たない期間中に退職しました。他所はよく見えすぎたせいか、他社へ転職しても似たような思いしかせず、履歴を増やすばかりで自分に不利なことをしてしまった時期がありました。そのせいか、どうせ私は努力してもだめではないかと悲観ばかりするようになってしまったのでした。
(7)女性的になろうと思うきっかけがあったから・・・
メーカー勤務は合わなかったため、思い切って違う職業へ変えました。元々、私は運転そのものが得意だったのもあったのですが、運送業で宅配便の乗務員をやることになりました。
しかし前述の通り、この職場以前に私が悲観的になっていたせいか、努力してもやっていける自信を全く抱けず、鬱になっていました。でもそんな最中、その職場のある人から私に対して努力したらやれるのではないのかなと助言されたことがきっかけとなり、段々と前向きにやっていく気持ちになれてきました。そして勤務先で特に誰にも仕事のやり方等を上司などから教育されずにいても、自分なりに努力したら乗務員としての売り上げも飛躍的に伸び、それが私自身も自分らしく生きて行ければいいのではないのかと確信できるきっかけとなったのでした。
ということで、女性のファッションをしてオシャレしたい想いからスタートしたのでした。今でもそうですが、私はほとんどスカートスタイルでパンツスタイルになることは滅多にないです。
(8)(性自認の性が)女性として生きようと思うきっかけがあったから・・・
そのきっかけについては前述しました。それがあったからこそ、今の私はようやく本来の自分の姿になれたと確信できたことを強く訴えたいです。かなりの回り道をさせられた上での達成感です。
(9)女性として生きていたら・・・
第一に自然にそう思ったことですが、日常、公衆トイレを利用する際は女性用を使わせていただきたくなりました。そのようにしていると、私には安心感を得られて落ち着きました。長距離特急用車両に女性専用トイレがあると、また通勤電車で女性専用車両があると、私はそういう気持ちになれます。ただMTFでもSRSを望まない立場の人には、さすがに女性用更衣室・浴室を利用するのにはちょっと躊躇してしまいます。温泉の利用にも消極的ですので、外泊の際は個室のビジネスホテルなどに限定されてしまうのが辛いです。
第二に労働についてですが、やはりMTFの女性として働きたいと思うようになりました。確かに、所得のことを考えたら男性として働くのも仕方ないと割り切っていた時期がありました。そして長年勤続できたものの労働条件悪化が顕著になった宅配会社を辞めた後、トヨタの部品輸送会社に転職して労働条件も休暇も適度でよかったのです。しかし昨年のいわゆるトヨタショック以降、段々と急激に仕事が減り、今年に入ってからとうとう失業しました。これをきっかけに、運送ではもうやっていけないと悟りました。そして同時に、MTFの女性として働くことを真剣に考えたくなり、未経験の介護分野を目指すべく、この4月以降、職安から専門学校へ委託される職業訓練を受講中です。2年間の予定で、私はMTFの女性として入学できたことに感謝しています。
第三に私の性的指向(恋愛対象)は女性であることについてですが、私の「性自認の性」が女性であると認知した際、私はMTFのレズビアンであると認知できました。2年前の関西レインボーパレードの時、レズビアンの女性達と出会ったことでそれを実感できました。しかし私には不安も生じました。彼女達の「身体の性」は女性ですが、その点、私はいくら「性自認の性」が女性であっても「身体の性」は男性であるため、MTF女性の私は「身体の性」が女性のレズビアンとパートナーになれるのか心配になったのです。確かに、私の「性自認の性」が男性であった頃に、私が女性を異性の恋愛対象としてとらえていた頃と比較すると、女性を同性の友達としてとらえて関わることが多い昨今の私にはしっくりきます。それはいいのですが、やはり悩みなのです。
伊東さんのこの半生記を読ませていただきながら、性の多様性について改めて考えさせられました。そして「自分らしく生きる」ということを子どもの時から考えられる豊かな社会にしたいと強く思いました。
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MTFの私の歩みについて
伊東 晴子
1・以前の私と今の私のセクシュアリティ及びそのように変化した理由について
(1)トランスベスタイト(TV)だった以前の私とは?!
身体の性だけでなく性自認の性も男性でありながら女性のファッションをしたい人でした。
(2)狭義のトランスジェンダー(TG)となった今の私とは?!
私自身、SRS(性別適合手術=性転換手術)を望んでおりませんが、身体の性は男性であっても性自認の性は女性となりました。これを狭義のTGといいます。
SRSを望まない理由は生殖機能がなくなってしまうことの他、身体への何らかの変異が生じかねないリスクもあるからです。それよりも私は持って生まれた身体は大事にしたい考えです。
ということは、戸籍制度そのものの変更を願いたい考えでもあるのです。性別記載欄に「男性」と明記されたくありませんからね。そうかといって真の女性の身体を得られない等の理由もあるため、私には「女性」と明記できなくて悔しい面もあります。
ですから、「身体の性」と「性自認の性」の双方を明記されるものが望ましいと私は思います。またSRSされた人については、その履歴も明記するものが望ましいと私は思います。
(3)変化した大きな理由とは?!
2年前の春頃からメイクをやりはじめ、これが私のセクシュアリティの変化が生じたきっかけとなりました。しかしこれだけで私の性自認の性が変化したとは思えませんでした。ですから色々と考えてみましたところ、以下の二つのことが大きな要因ではなかっただろうかと分析致しました。いずれのことも男性嫌悪感の強さからです。
第一に、子供の頃から私はいわゆる女らしいという理由で、同級生から暴力やいじめを受けることが多かったのです。
第二に、TVだった頃に私が女性のファッションをしたいことや性の多様性について、友達関係だった男性達へ伝えても、本当に聞く耳を持っていただけずに嫌われました。だから私は彼らを恨みに思った時期もあったぐらいでした。
その一方で性について学習するサークル(性教協)と出会い、女性の人達が多い集いであることについても、またそれ以外の女性の人達と関わることが増えてきたら、私にとっては落ち着ける環境だと思いました。そしてかなり過ぎてみると、気がついてみたら私の性自認の性は女性ではないだろうかと思えてきたのでした。
2・変化した私の歩んできた経過について
(1)子供の頃からいわゆる女らしかったから・・・
私は殴り合いの喧嘩では弱かったので、同級生からはいつも暴力やいじめを受けて泣かされ、女みたいだといわれました。プロレスやボクシングなどの格闘技は、遊びでも嫌でした。また昆虫や両生類を触るのはかなり苦手で、多くの女子達同様に男子達から昆虫や両生類を見せられると怖がるぐらいでした。計算するのも好きでしたが、漢字や作文を書くことも好きでしたので、それを理由に女みたいだともいわれました。
しかし私としては腕力のある男子が子供社会の中で実権を握るのには許しがたかったこともありましたし、私の受けた痛みをわからせてやろうと思ってか、容赦なく相手への激しい復讐をよくやったものでした。本当に同級生とは突っつき合った思い出しかないぐらいの少年時代でした。そのせいか、人と話し合うことが苦手でもありました。
(2)なぜ私もMTFに多い鉄道好きなのか?!
いわゆる男らしいタイプですが、その人達とはなじめませんでした。そのような立場の男子であれば、どうしても落ち着けるような趣味に走りやすいものです。しかしいわゆる女らしいことをすることについては、子供ながらに自己肯定しがたい面もあったせいか、例えば鉄道趣味ならそうでもないと思ったのではないだろうかと私は分析しております。
何を言いたいのかといえば、それは子供ながらに女の子のようにスカート穿きたいと少年時代の私も思ったのは事実だったことです。
(3)両親からいわゆる男らしく育てられてきたから・・・
私には妹二人いますが、女の子であるという理由で穏やかに育てられていました。その点、私に対しては男の子であるという理由で、軍事戦士ならぬ企業戦士になってもらうべく育てられてきました。ですから4年制大学を卒業して一部上場企業へ就職するべく、学業成績のことではかなり厳しくいわれ続けました。この道以外に生きる人生がないかのようにでした。かといって、そういう私も女らしくするのには自己肯定できませんでしたし、とりあえず大学進学すれば人生はどうにかなると思い込んでしまいました。
(4)無理に男らしくしようとしたこともあったから・・・
女らしくすることに自己肯定できなかったせいからか、煙草や酒、麻雀に手を出したり、また単車で過激な運転をして格好つけるようになりました。しかし度重なる交通違反で免許停止になってしまい、その後の1年間はちょっとの交通違反でもすれば免許取り消しになるぐらいの時期もあったほどでした。でもそうやってみて、自分にかなり無理をしていたと思い知らされたのでした。
(5)自分探しの期間が長く続いたから・・・
その後、旅行ばかりするようになりました。本州内の高速道路を自走した上で、北海道や四国・九州をドライブ旅行したこともあったぐらいです。これはその代表例です。
しかし旅行してばかりいても、なかなか自分がどうなのかを見つけられませんでした。
(6)企業社会になじめなかったから・・・
4年制大学卒業後、入社時から大卒コース(キャリアーコース)と高卒・専門卒コース(ノンキャリアーコース)とに分かれて雇用されたメーカーに就職しました。
入社からの現場研修はわずか数か月間でした。しかしそんな短期間では現場のことが一通りわかるには程遠く、色々と戸惑うことばかりでした。ですからそのことを一通りわかるまで数年間の期間をかけ、その後にキャリアーコースに戻してくれても遅くないのではないのかと私から経営陣に申し出たこともあったぐらいです。しかし1年の短期間で直ぐに元のコースに直ぐに戻されました。それなのに、将来は役職にならなくてはならないことに嫌で仕方なかったのです。そうなっても部下に対していばるようになるだけで、彼らからは信頼されるようにはなれないと思ったからです。夫が妻へのDVと構図が似ている気がします。
ですから石の上にも3年も経たない期間中に退職しました。他所はよく見えすぎたせいか、他社へ転職しても似たような思いしかせず、履歴を増やすばかりで自分に不利なことをしてしまった時期がありました。そのせいか、どうせ私は努力してもだめではないかと悲観ばかりするようになってしまったのでした。
(7)女性的になろうと思うきっかけがあったから・・・
メーカー勤務は合わなかったため、思い切って違う職業へ変えました。元々、私は運転そのものが得意だったのもあったのですが、運送業で宅配便の乗務員をやることになりました。
しかし前述の通り、この職場以前に私が悲観的になっていたせいか、努力してもやっていける自信を全く抱けず、鬱になっていました。でもそんな最中、その職場のある人から私に対して努力したらやれるのではないのかなと助言されたことがきっかけとなり、段々と前向きにやっていく気持ちになれてきました。そして勤務先で特に誰にも仕事のやり方等を上司などから教育されずにいても、自分なりに努力したら乗務員としての売り上げも飛躍的に伸び、それが私自身も自分らしく生きて行ければいいのではないのかと確信できるきっかけとなったのでした。
ということで、女性のファッションをしてオシャレしたい想いからスタートしたのでした。今でもそうですが、私はほとんどスカートスタイルでパンツスタイルになることは滅多にないです。
(8)(性自認の性が)女性として生きようと思うきっかけがあったから・・・
そのきっかけについては前述しました。それがあったからこそ、今の私はようやく本来の自分の姿になれたと確信できたことを強く訴えたいです。かなりの回り道をさせられた上での達成感です。
(9)女性として生きていたら・・・
第一に自然にそう思ったことですが、日常、公衆トイレを利用する際は女性用を使わせていただきたくなりました。そのようにしていると、私には安心感を得られて落ち着きました。長距離特急用車両に女性専用トイレがあると、また通勤電車で女性専用車両があると、私はそういう気持ちになれます。ただMTFでもSRSを望まない立場の人には、さすがに女性用更衣室・浴室を利用するのにはちょっと躊躇してしまいます。温泉の利用にも消極的ですので、外泊の際は個室のビジネスホテルなどに限定されてしまうのが辛いです。
第二に労働についてですが、やはりMTFの女性として働きたいと思うようになりました。確かに、所得のことを考えたら男性として働くのも仕方ないと割り切っていた時期がありました。そして長年勤続できたものの労働条件悪化が顕著になった宅配会社を辞めた後、トヨタの部品輸送会社に転職して労働条件も休暇も適度でよかったのです。しかし昨年のいわゆるトヨタショック以降、段々と急激に仕事が減り、今年に入ってからとうとう失業しました。これをきっかけに、運送ではもうやっていけないと悟りました。そして同時に、MTFの女性として働くことを真剣に考えたくなり、未経験の介護分野を目指すべく、この4月以降、職安から専門学校へ委託される職業訓練を受講中です。2年間の予定で、私はMTFの女性として入学できたことに感謝しています。
第三に私の性的指向(恋愛対象)は女性であることについてですが、私の「性自認の性」が女性であると認知した際、私はMTFのレズビアンであると認知できました。2年前の関西レインボーパレードの時、レズビアンの女性達と出会ったことでそれを実感できました。しかし私には不安も生じました。彼女達の「身体の性」は女性ですが、その点、私はいくら「性自認の性」が女性であっても「身体の性」は男性であるため、MTF女性の私は「身体の性」が女性のレズビアンとパートナーになれるのか心配になったのです。確かに、私の「性自認の性」が男性であった頃に、私が女性を異性の恋愛対象としてとらえていた頃と比較すると、女性を同性の友達としてとらえて関わることが多い昨今の私にはしっくりきます。それはいいのですが、やはり悩みなのです。