雲上雲下(うんじょううんげ) (文芸書) | |
クリエーター情報なし | |
徳間書店 |
読書感想の前に自分を語ることから入ることをお許しを。
私は「弟子入り」していた経験がある。
当の本人は弟子入りしたことについて気がついておらず、師匠である先生から言われて、さらにいうと先生も亡くなって10年近くになった今頃になって「ああ、私はあのころ弟子だったんだ」と思う始末。不詳の弟子を許してほしい。
昔話研究の稲田浩二先生のもとに入門したのはいつを起点とするのか?
ともあれ、2年の学部ゼミ生を経て入試という通過儀礼を果たし一本の論文をほうほうのていで仕上げて先生のもとを巣立った。
そして、学問の道からは外れ、元弟子に。
ただやはりその時に培ったものは今でも自分の中にあるのでそういう意味でも片足を突っ込んだことは間違いではなかったと思っている。
後に文学学校で小説を書いていたときに昔話をベースにした短編も書き、自分の中では消化、昇華。
そして、今回のまかてさんの作品である。
手に取り、もしかしてと後ろの参考文献の一覧を見てすごくうれしかった。
稲田浩二先生、稲田和子先生(浩二先生の奥様)の著作がずらり。
とくに『昔話百選』は、学部ゼミでのテキストだったし、『昔話ハンドブック』は(私の卒業後に)先輩後輩も執筆に加わったもの。
ああ、先生の業績はこんなところにも生きていますよ。
『雲上雲下』は日本の昔話、そして語り人を題材にした小説である。
まかてさんがこのようなファンタジーを書かれたことに驚いたが、ファンタジーは作者の哲学や価値観が反映されやすいもの。確固とした世界観をもってこそぶれることなく描くことができるのであろう。
まず登場者それぞれが物語を持つものであり、それらは日本の昔話から造形を立ち上げているが、主人公である草どんだけはオリジナルの登場者であろう(似たものはあるかもしれない)。しかし、「物語を拾遺するもの」という設定、これは先達を含め昔話研究をする多くのものを反映している。私も研究に携わった期間は少ない間だったものの聞き取り調査にでかけ、話の中から物語を拾い、また「すっかり忘れてしまった」という話者が記憶をたどり引き寄せやがて、とめどもなく泉が湧くかのように語るという場を経験したことがある。
また昔話から派生し、いまや古典芸能の登場者として知られるものも作品にはでてくる。いわば日本の「物語」のオールスターの物語だ。
余談だが子狐のシッポが短い理由はシッポで釣りをしたのかと途中まで思っていた。なぜならこれはゼミで一番最初の私の研究課題だったからだ。
ともあれ物語はやがて現代と交差する。
これはまかて版の『はてしない物語』だ。
とっぴんぱらりのぷぅ。