テレビニュース等でご覧になられた方も多いと思うが、今日30日をもって初代新幹線の0系が定期運用から退いた。
JR西日本の山陽新幹線で「こだま」として最後の活躍をしていたのだがそれも今日で終わり。
好天に恵まれ、各駅や沿線では別れを惜しむファン達で賑わった様だ。
私も0系の最後の勇姿を収めようと、ここ数ヶ月は新しいカメラを手にしてよく撮影に出掛けたものだ。
この0系は、1964年の新幹線開業以来44年間走り続けた車両である。
もちろん最後まで走り続けていた車両は開業当時の車両ではない。
昭和60年前後に製造された0系としては最終グループの車両だ。
側面窓の大きさをはじめ、細かい所は生産グループ毎にマイナーチェンジされている。
しかし、このいかにも新幹線らしい顔は最後まで変わる事は無かった。
今の眼で見るとデザイン的に少し古ぼったい感じがするのは否めない。
だが、国鉄末期の1985年に100系が現れるまで新幹線と言えばこの顔だったのだから、私自身は逆に100系以降の車両デザインが奇抜なものに感じてしまう。
0系が東海道山陽新幹線を16両編成で当たり前の様に走っていた時代。
残念ながらそれが当たり前だったのだから、然程撮影した記憶は無い。
しかし、天皇陛下がご乗車される御召し新幹線だけは撮影に出掛けた。

ピカピカの白い車両とライト周りに施された識別帯は、正に0系の晴れ姿。
学校をサボッて何とか都合を付けてまで
撮りに行ったのも、今となっては良い思い出だ。
ともあれ、長い間お疲れさま。
12月のさよなら運転でまた会おう。
JR西日本の山陽新幹線で「こだま」として最後の活躍をしていたのだがそれも今日で終わり。
好天に恵まれ、各駅や沿線では別れを惜しむファン達で賑わった様だ。
私も0系の最後の勇姿を収めようと、ここ数ヶ月は新しいカメラを手にしてよく撮影に出掛けたものだ。

この0系は、1964年の新幹線開業以来44年間走り続けた車両である。
もちろん最後まで走り続けていた車両は開業当時の車両ではない。
昭和60年前後に製造された0系としては最終グループの車両だ。
側面窓の大きさをはじめ、細かい所は生産グループ毎にマイナーチェンジされている。
しかし、このいかにも新幹線らしい顔は最後まで変わる事は無かった。
今の眼で見るとデザイン的に少し古ぼったい感じがするのは否めない。
だが、国鉄末期の1985年に100系が現れるまで新幹線と言えばこの顔だったのだから、私自身は逆に100系以降の車両デザインが奇抜なものに感じてしまう。

0系が東海道山陽新幹線を16両編成で当たり前の様に走っていた時代。
残念ながらそれが当たり前だったのだから、然程撮影した記憶は無い。
しかし、天皇陛下がご乗車される御召し新幹線だけは撮影に出掛けた。


ピカピカの白い車両とライト周りに施された識別帯は、正に0系の晴れ姿。


ともあれ、長い間お疲れさま。
12月のさよなら運転でまた会おう。

