南魚沼~わが故郷から~

四季折々姿を変える豊かな自然を次世代に
活き活きとした顔が溢れる元気なまちをつくろう

ブログについて

2010年12月04日 | Weblog
いつも拙い本ブログを読んで頂いてありがとうございます。

本ブログは、以下の12のカテゴリーに分類しています。(今のところ)

 デジブック(6) 
 Weblog(101)
 子育て・教育(73) 
 地域・まちづくり(66) 
 南魚沼市議会(61) 
 行政情報・行政改革(64) 
 卯年まつり(9) 
 産業振興(37) 
 大原運動公園(38) 
 医療・福祉(25)
 天地人(77)
 政治・社会(86

それぞれのカテゴリーのみをごらんになる場合は、画面右のカテゴリー欄のタイトルをクリックしてください。

また上の各カテゴリー・タイトルにもリンクを貼っておきました。

ここのところやや自制気味に書き込んでまして、時折我慢できずに暴走することもあります。(^^)

 運動公園と図書館だけが、市政の課題ではない。この二つは必要な施設であり、道具であり、戦力だ。
 3000人内野スタンドの公式サイズの野球場、規模から言えば「中途半端」の域は出ないが、これが委員会の結論だ。
 改修とか修繕とか、わけのわからない表現を用いることは理解できない。
 運動公園整備に賛成で、具体的にわからないなら、「適正規模の野球場」と言ったほうが良いのだ。(^_-)

卯年大祭 8

2010年12月04日 | 卯年まつり
卯年祭りの思い出 1975年(昭和50年)

このときは学生の頃で、ゴールデン・ウィークの帰省のとき、親戚のみなさんと見物した。
自分のこれまでの4回の卯年祭りの中では印象は薄い。
この年も当日は良い天気で、当坪池地区は祭りの行列の昼食休みの場所でもあり、本当に
大勢の祭りの行列の方々が神社にいたことを覚えている。
厳かに村の重鎮の方々に担がれる天照大神の神輿を近くで見た記憶も、稚児行列の美しさの
記憶もこの年からだ。
天狗やおかめ、ひょっとこのお面を被った方々が行列を先導していることも新鮮だった。
近所の同級生が神楽についていて、だいぶバテたように「きつい、きつい」と言っていた
のも記憶にある。

この舞子大山組の卯年祭りの行列の全体像をしっかり見たのがこの1975年だった。
家では長年床に伏せていた祖父が起き上がり、縁側から通り過ぎる祭りを楽しそうに見て
いたとの祖母の話だった。
祖父はこの年の秋、73年の生涯を終えた。
祖父にとっては6回目の卯年祭りだったわけだが、若い頃神楽人足で走り回ったことなど、
多くの思い出を語ってくれたものだった。

以前はは厄払いと言うことで、家の中に神楽に入ってもらうこともあったそうだ。
あの大きな獅子頭と数十人の若い衆が家の中を走り回る姿を想像すると、とても今の時代
では無理かなあと思う。高床式のつくりだと・・想像できないですね。(^^)

写真は、1999年舞子大山組 万条区の出発 (撮影 星俊夫氏)