Dalla Cucina

イタリアの旅の記憶を中心に
あれこれ書いています。

フィレンツェへたどり着くまでの長い一日 その1

2008-12-22 01:58:13 | ☆イタリア 記憶の風景


 2日間のウルビーノ滞在の後、
 私たちはフィレンツェへ行かねばならないのでした。

 現地集合現地解散の「トスカーナ食べまくりツアー」に
 参加するためです。
 その日の夜、参加者はフィレンツェの指定されたプチホテルに集まることに
 なっていました。

 ウルビーノは、素敵だけど行きにくい、ということは戻りにくいのと同じです。
 フィレンツェへ行くには、アレッツォまで車がベスト、
 バスもあるけれど早朝と夕方のみ。
 そこで、私たちは思い切ってタクシーで行くことに決めました。
 ホテルで聞いてみると、レセプショニスタの知り合いが、
 私たちが考えていた値段より安く行ってくれるということで即決定。
 アレッツォに着く前に寄ってみたい美術館にも行くという条件でした。

 当日、ホテルに迎えにきてくれたタクシーの運転手なるシニョーレは
 学者タイプのもの静かな人。

 ↑の写真は車窓からの風景です。
 彼は穏やかに車を走らせながら、ウルビーノやりミニの説明、遠くに見える
 山や街についても語ってくれました。
 私たちは遠足の生徒のように「はあ~へえ~」と感心するばかり。

 アレッツォに抜ける山道でシニョーレが突然車を止めました。
 「ちょっと待ってて」・・・と、大きな空のペットボトルをとりだし、
 脇道にある水汲み場で水を入れはじめました。
 「ここの水は最高なんだよ、君たちも飲んでみる?」・・・と、
 これは予定のことだなと、気づきました。

 シニョーレの予定は道端で売られていた「きのこ」も入っているのでは?
 「きっと私たちを送って帰りに買って帰るねんよ」と相棒。

 
 
 


 ↑そしてモンテルキにある約束の美術館。
 ここにはピエロ・デッラ・フランチェスカの「出産の聖母」Madonna del Parto
 のフレスコ画があるのです。
 というより、それしかないのですが・・・
 何年か前「芸術新潮」の表紙で見てから、
 マドンナの青いドレスが気になっていました。

 




 シニョーレによると、
 このフレスコ画は昔は墓地に移された元教会の礼拝堂にあって、
 妊婦さんが安産を願ってここを訪れ、マドンナのお腹をさわって祈ったのだとか。
 「すっかり有名になって、ここに移された」のだそうです。
 ガラスケースに大事に保護され、周りは暗い中、浮かび上がったフレスコ画は
 かなり大きいものでした。
 あとで調べたところ、昔、二度も地震の影響を受けて修復もやり直したそうです。
 あの青いドレスの色は「ラピスラズリ」。
 当時も高価だったこのアフガニスタン製の青い顔料はピエロがヴェネツィアを
 経由して持ち込んだそうです。

 お腹がちょっと苦しくてボタンをはずし、大地を踏みしめるように立っている
 マドンナ。
 フレスコ画というより、スクリーンを見ているような感覚でした。



 フレスコ画を堪能したあと、タクシーのシニョーレは、アレッツォ近くの
 とあるパン屋さんで、また車を止めました。
 「ちょっといいかな」と店に入ると、買うわ買うわ、すごい量のパンと
 クロスタータを抱えてレジに向かいます。
 「ええと、これは家族の分、これは息子の家族の分、これは私の母の・・・」
 とシニョーレ。
 きっと皆に頼まれたのでしょうね。
 これも予定のことだったのでしょう。(笑)

 レジには人気のせいかお客の行列ができていました。

 店内は焼きたてパンのいい匂いが漂っています。
 私たちも切り売りピザやパンをいろいろ選び、レジでお勘定。
 「いくらですか?」「3ユーロ」「ええ~っ!」
 信じられない安さです。でも間違いではありません。
 タクシーのシニョーレの大量買いも納得です。

 ↑はアレッツォ駅で電車を待つ間に食べたパンの袋。
 無添加、自家製石釜パン。
 美味しいと、どんどん胃袋に入ってしまうものなのでしょうか。
 中でもサフラン風味のレーズン入りパンは絶品でした。
 今でも忘れられない美味しさ、
 アレッツォに行くことがあれば、車を飛ばしてでも買いにいきたい!
 ね、相棒。
 
 
 そのアレッツォは大好きな街。
 荷物を預けて歩きたかったのですが、
 セキュリティーの関係で預かり所やコインロッカーがありません。
 仕方なく「ちょっと早い到着になるけどフィレンツェへ行ってしまお」と
 切符を買って、ホームで、いつものように遅れている電車をのんびりと
 待っておりました。
 
 次回に続く・・・

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