10月23日(日)川辺からの帰り道、日置市吹上町永吉に立ち寄りました。
南さつま市金峰町 コスモス園に気づく 以下の画像は10月23日撮影

ようこそ「みんなのコスモス園へ」でしょうか、看板が一部だけ残っているのかも?
幅は30mほどで奥行が100m以上もありそうな広いコスモス園は、遠くからも目に付き今が満開。かすかに見える三角形は野間岳(591m)です。
初めて訪れた永吉川河口近くの南部 大田川の汽水域

普段通る国道270号から少し西側に入った日置市吹上町永吉地区の海岸近くです。背後(海側)は砂防林です。コンクリート護岸のない自然の川岸が珍しく感じられました。
海岸の方へ行ってみた

南へ歩くと薄い鉄板の簡易な橋があり、うっすらと土色の足跡が見えたので、慎重に渡り松林に向かいました。
砂防林内を南北方向につなぐ作業専用道

最近のタイヤ跡がはっきりついていますが、人の足跡はありません。橋の先に浜へ通じる近道があるはずと思ったのは期待ハズレ。
最近草刈をした道

南側に歩き、通行跡のない草藪の脇道を数か所見かけた先に、草刈をした脇道がありました。道幅は車が通るには狭く、西側の浜の方へ続き所々に馬糞が落ちていました。
砂山に出られた

思った通り浜に通じており、砂山の北側には永吉川の河口が見えました。浜の方の砂地には馬のような足跡が少しありました。
釣人、貝を取る人

日曜日のためか数組を見かけました。引き潮時で遠く南側には長い堤防が見えています。入来浜の吹上漁港にしては長すぎるようで、さらに南の小湊漁港かも知れません。
私が通って来た松林の道は一般の人が利用しないもので、釣人に道を教えてもらい反時計回りで出発地に戻ることにしました。ここより少し南側は吹上町の小野浜です。
砂防林(東)側から海側を見る

砂防林のはずれは10台ほど車が止められそうな場所でした。車のすぐ横は砂山で、海のレジャーには最適な駐車場でした。
ただし、水道もトイレもなく一般向きではありません。
途中の砂防林 ごく普通の海岸林のようだが・・・

この辺りは集落から離れており、グーグルマップのストリートビューはありません。砂防林の幅は200mほどですが、人気がなく薄気味の悪さを感じます。
ここよりも少し南側では、1978(昭和53)年に若いカップルの行方不明事件が発生しました。吹上浜に夕日を見に出かけた交際中の2人でした。当時は北朝鮮に拉致されたことなど想像もつきませんでした。
事件の半月ほど後のこと、行方不明者の勤務先である日本電信電話公社(現NTT)の人たちが手掛かりを得ようと、日置の家の近くにも数名で尋ねてきたことを記憶しています。
久多島と釣り人 日置では「ふたしま」と呼んでいます

北朝鮮が拉致を認めたのは2002年。事件では吹上浜沖合約8キロにある無人島の久多島が拠点になり、砂防林に隠した2人を夜陰に紛れて小型船で久多島に運んだのではと言われています。
右側奥へ進むと先ほどの場所に出る

東側から浜の方を写したもので、左手は加世田方向です。画面右奥は砂防林で、グーグルマップのストリートビューはこの辺りまでしかありません。
線路跡は自転車専用道路になっている 北側方向

この辺りでは鹿児島交通線(旧南薩線)線路跡が自転車専用道路になっています。4回ほど自転車が走ってきました。
高校時代に利用した区間は日置~伊集院でした。日置より南側区間を利用したのは、昭和30年代のさつま湖花火大会くらいです。
永吉駅跡

すぐ北側の永吉川には鉄橋の橋脚が残っていて、国道270号からはすぐ隣の石橋(浜田橋)とともに目に付きます。かめまる館は度々訪れていますが、永吉駅跡は初めてでした。
1時間20分程度のカメラ散歩でしたが、時には違った風景を見にするのも楽しいものです。松林の先に砂浜と海があるだけなのですが、私にとっては懐かしく自然に触れあい心が満たされる時間でした。
周期的な雨が欲しい

この後、日置の実家で少し藪払いをして大根に水を掛けました。次回は一回目の間引きをする予定です。
南さつま市金峰町 コスモス園に気づく 以下の画像は10月23日撮影

ようこそ「みんなのコスモス園へ」でしょうか、看板が一部だけ残っているのかも?
幅は30mほどで奥行が100m以上もありそうな広いコスモス園は、遠くからも目に付き今が満開。かすかに見える三角形は野間岳(591m)です。
初めて訪れた永吉川河口近くの南部 大田川の汽水域

普段通る国道270号から少し西側に入った日置市吹上町永吉地区の海岸近くです。背後(海側)は砂防林です。コンクリート護岸のない自然の川岸が珍しく感じられました。
海岸の方へ行ってみた

南へ歩くと薄い鉄板の簡易な橋があり、うっすらと土色の足跡が見えたので、慎重に渡り松林に向かいました。
砂防林内を南北方向につなぐ作業専用道

最近のタイヤ跡がはっきりついていますが、人の足跡はありません。橋の先に浜へ通じる近道があるはずと思ったのは期待ハズレ。
最近草刈をした道

南側に歩き、通行跡のない草藪の脇道を数か所見かけた先に、草刈をした脇道がありました。道幅は車が通るには狭く、西側の浜の方へ続き所々に馬糞が落ちていました。
砂山に出られた

思った通り浜に通じており、砂山の北側には永吉川の河口が見えました。浜の方の砂地には馬のような足跡が少しありました。
釣人、貝を取る人

日曜日のためか数組を見かけました。引き潮時で遠く南側には長い堤防が見えています。入来浜の吹上漁港にしては長すぎるようで、さらに南の小湊漁港かも知れません。
私が通って来た松林の道は一般の人が利用しないもので、釣人に道を教えてもらい反時計回りで出発地に戻ることにしました。ここより少し南側は吹上町の小野浜です。
砂防林(東)側から海側を見る

砂防林のはずれは10台ほど車が止められそうな場所でした。車のすぐ横は砂山で、海のレジャーには最適な駐車場でした。
ただし、水道もトイレもなく一般向きではありません。
途中の砂防林 ごく普通の海岸林のようだが・・・

この辺りは集落から離れており、グーグルマップのストリートビューはありません。砂防林の幅は200mほどですが、人気がなく薄気味の悪さを感じます。
ここよりも少し南側では、1978(昭和53)年に若いカップルの行方不明事件が発生しました。吹上浜に夕日を見に出かけた交際中の2人でした。当時は北朝鮮に拉致されたことなど想像もつきませんでした。
事件の半月ほど後のこと、行方不明者の勤務先である日本電信電話公社(現NTT)の人たちが手掛かりを得ようと、日置の家の近くにも数名で尋ねてきたことを記憶しています。
久多島と釣り人 日置では「ふたしま」と呼んでいます

北朝鮮が拉致を認めたのは2002年。事件では吹上浜沖合約8キロにある無人島の久多島が拠点になり、砂防林に隠した2人を夜陰に紛れて小型船で久多島に運んだのではと言われています。
右側奥へ進むと先ほどの場所に出る

東側から浜の方を写したもので、左手は加世田方向です。画面右奥は砂防林で、グーグルマップのストリートビューはこの辺りまでしかありません。
線路跡は自転車専用道路になっている 北側方向

この辺りでは鹿児島交通線(旧南薩線)線路跡が自転車専用道路になっています。4回ほど自転車が走ってきました。
高校時代に利用した区間は日置~伊集院でした。日置より南側区間を利用したのは、昭和30年代のさつま湖花火大会くらいです。
永吉駅跡

すぐ北側の永吉川には鉄橋の橋脚が残っていて、国道270号からはすぐ隣の石橋(浜田橋)とともに目に付きます。かめまる館は度々訪れていますが、永吉駅跡は初めてでした。
1時間20分程度のカメラ散歩でしたが、時には違った風景を見にするのも楽しいものです。松林の先に砂浜と海があるだけなのですが、私にとっては懐かしく自然に触れあい心が満たされる時間でした。
周期的な雨が欲しい

この後、日置の実家で少し藪払いをして大根に水を掛けました。次回は一回目の間引きをする予定です。