笠狭宮跡は薩摩半島南部の南さつま市中心部から3kmほど東側の舞敷野(もしきの)地区にあります。案内標識に従って幹線道路を南側に300mほど入った場所です。日本発祥の地と記載した案内板末尾には紀元2634年と書かれていて日本書紀などの神話時代を思い起こさせます。
道路から階段を上がると桜が植えられた広場があり、もう一度階段を上がった場所も同様に桜並木の広場です。
中央奥に「笠狭宮跡」と刻まれた石碑が立っています。高千穂に降臨された天孫ニニギノミコトの居所跡とされています。笠狭は笠沙とも表記され、南さつま市笠沙地区にも笠沙宮跡(宮ノ山遺跡)があります。
石碑近くにも詳細な説明がありました。笠狭宮跡の石碑自体は高さ3m程度の長方形で地味なものです。裏面に刻まれた文字は小さくて読みにくいものでした。
殆ど訪れる人もないようですがわずかにお供え物や賽銭がありました。パワースポットとして紹介しているウェブページもありますので、たまに訪れる人があるのでしょう。神社のようなものを想像していましたが、石碑があるだけで少し期待はずれでした。
石碑の背後は上り斜面が続き杉や広葉樹が茂って厳かな雰囲気です。そんな場所が好きな人には興味深いかもしれません。
下の広場に古いトイレがあるだけで観光地でもなく単なる歴史遺跡程度の趣です。通りがかった近所の人の話では昔は多くの家が建っていたそうです。
朽ちた案内板にはこの辺りが祭祀場であったと書かれています。山の上には貯水設備がありましたが最近は使われていないようでした。
戦前に付近の学校生徒も勤労動員で建設に携わったという話を聞きました。時代の変遷とともに半ば忘れられ一帯は自然に戻りつつあります。
ここを訪れて唯一の収穫は桜並木です。若木であり春先には桜がきれいでしょう。花の時期に再び訪れたいと思います。
道路から階段を上がると桜が植えられた広場があり、もう一度階段を上がった場所も同様に桜並木の広場です。
中央奥に「笠狭宮跡」と刻まれた石碑が立っています。高千穂に降臨された天孫ニニギノミコトの居所跡とされています。笠狭は笠沙とも表記され、南さつま市笠沙地区にも笠沙宮跡(宮ノ山遺跡)があります。
石碑近くにも詳細な説明がありました。笠狭宮跡の石碑自体は高さ3m程度の長方形で地味なものです。裏面に刻まれた文字は小さくて読みにくいものでした。
殆ど訪れる人もないようですがわずかにお供え物や賽銭がありました。パワースポットとして紹介しているウェブページもありますので、たまに訪れる人があるのでしょう。神社のようなものを想像していましたが、石碑があるだけで少し期待はずれでした。
石碑の背後は上り斜面が続き杉や広葉樹が茂って厳かな雰囲気です。そんな場所が好きな人には興味深いかもしれません。
下の広場に古いトイレがあるだけで観光地でもなく単なる歴史遺跡程度の趣です。通りがかった近所の人の話では昔は多くの家が建っていたそうです。
朽ちた案内板にはこの辺りが祭祀場であったと書かれています。山の上には貯水設備がありましたが最近は使われていないようでした。
戦前に付近の学校生徒も勤労動員で建設に携わったという話を聞きました。時代の変遷とともに半ば忘れられ一帯は自然に戻りつつあります。
ここを訪れて唯一の収穫は桜並木です。若木であり春先には桜がきれいでしょう。花の時期に再び訪れたいと思います。
笠沙宮の跡地に立ち寄ります。
とても神秘的な魂が宿っているような
森の中です。
桜の時期にも訪れましたが、一般的な観光コースに
入っておらず静かな落ち着いた場所でした。
いわゆるパワースポットみたいな感じもします。
そのような雰囲気が好きな方にはお勧めですね。
春先にまた行ってみようと思っています。
内山田の陰陽石も好きなところでしたが
最近は周囲の木が茂り印象が変わっていました。
戦前は皆さん大事にされていた場所で、子供の頃動員されて作業したと聞きました。来春は忘れずに訪れたいものです。
家庭訪問で南薩摩を回っていました。笠沙、阿多などが神話にかかわっていたり、知覧の豊玉姫神社にはよく行きましたが、豊玉姫が海神の娘で山幸彦と結婚していたとか興味深いことです。
笠沙宮のブログを書いてから早いもので10年が過ぎました。桜の頃にゆっくり訪れたいものです。