地元の卓球クラブでは今年創立20周年を迎えたが、この機にラージボールを考案したN氏を顧問に迎えた。N氏は、1988年、専修大学総監督就任中、荻村伊智朗氏の要請を受け、「日本卓球発展計画プロジェクト」一環としてラージボールを考案した方で、当クラブの運営に力添えをいただくことになった。
タモリの「卓球はネクラ」発言に端を発して、当時、日本卓球協会の専務理事であった荻村伊智朗氏が当プロジェクトを発足して、ボールやウエア、卓球台など用具のカラー化を図り、今色々なカラーのユニフォームがあるのもこうした流れからで、その一環としてラージボール卓球も誕生したものである。
地元の卓球クラブは平均年令75才で初級者も多いが、顧問の力添えで少しは技術が向上できるのではないかと願っている。今後、トップ選手による講習会等の企画もお願いし、早期に実現できることを期待している。
タモリの「卓球はネクラ」発言に端を発して、当時、日本卓球協会の専務理事であった荻村伊智朗氏が当プロジェクトを発足して、ボールやウエア、卓球台など用具のカラー化を図り、今色々なカラーのユニフォームがあるのもこうした流れからで、その一環としてラージボール卓球も誕生したものである。
地元の卓球クラブは平均年令75才で初級者も多いが、顧問の力添えで少しは技術が向上できるのではないかと願っている。今後、トップ選手による講習会等の企画もお願いし、早期に実現できることを期待している。