1986年4月26日にあのチェルノブイリ原子力発電所の事故が発生した。当時、フランクフルトに駐在していて、少なからずその影響を受けた。ドイツ語はよくわからないので、テレビを通じて、何か事故が発生した状況は何となく知っていたが、その詳細は不明であった。ドイツへの影響がどの程度のものかよくわからないまま数日を過ごしていたが、どうも放射能が流れてくるので、自己防衛したほうがいいとの情報が耳に入ってきた。すぐに、帽子を買って、外出する時は、子供にも帽子をかぶせることにした。そんなことで放射能を防げるとは到底思えなかったが、確かな情報はなく、そうするしか他に手立てはないというのが現実であった。
大使館・総領事館や日本政府から、在ドイツの日本人に対する有効な情報提供はほとんどなかったような気がする、ドイツ人はかなり防衛措置を取っていたようであるが、我々日本人は全く無防備であった。外出を控えよという指示もなかった気がするし、現に、5月1日には、予定通り、ケーニッヒシュタインへ、また、5月8日には、ポニーホフローミューレという所に遊びに出かけていた。本当は、外出を控えるべきだったのかもしれないが、よくわからなかったので、安全な行動は取れていなかった。突発事故で、当事国はもちろん、周辺国や日本でもパニック状態にあったのだろうと推測する。海苔を食べたらいいとかの情報で、日本から来る人に海苔を買ってきてもらったりもした。あれからもう32年経つが、未だに事故処理は完結していないし、自分たちも後遺症が出ていないことを祈るのみである。
写真は、帽子をかぶって遊園地で遊ぶ
大使館・総領事館や日本政府から、在ドイツの日本人に対する有効な情報提供はほとんどなかったような気がする、ドイツ人はかなり防衛措置を取っていたようであるが、我々日本人は全く無防備であった。外出を控えよという指示もなかった気がするし、現に、5月1日には、予定通り、ケーニッヒシュタインへ、また、5月8日には、ポニーホフローミューレという所に遊びに出かけていた。本当は、外出を控えるべきだったのかもしれないが、よくわからなかったので、安全な行動は取れていなかった。突発事故で、当事国はもちろん、周辺国や日本でもパニック状態にあったのだろうと推測する。海苔を食べたらいいとかの情報で、日本から来る人に海苔を買ってきてもらったりもした。あれからもう32年経つが、未だに事故処理は完結していないし、自分たちも後遺症が出ていないことを祈るのみである。
写真は、帽子をかぶって遊園地で遊ぶ
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