hisakunnのブログ

日米の民主主義崩壊

菅2次内閣の一歩

2010-09-14 22:27:00 | 日記
 菅総理は、封印した財界との約束、消費税増税と法人税減税をいつ、表に出してくるのか大変興味があります。 改革や無駄の削減を優先するのか? 総理が自分の都合を優先するのか?
 この選択を見れば、総理の腹の内が見えてきます。 菅さんの場合、政権を維持するのに必要な資金は明らかに足りません。 国会議員の選挙はそれ程近くはありませんから、すぐにという事ではないですが、備えておかないと、次の選挙で勝てません。その為に、財界詣でをしてきたのです。
 後は、普天間の問題と、景気、円高に対して、どれだけ効果の上がる政策が打てるかも課題です。 以上のような点で具体的に結果を出せるかに懸っています。
 自民党は政策によっては、協調するような事を言ってますが、口だけです。 事ある毎に、解散総選挙に追い込む方向で攻める事しか考えていませんから、政局が安定するような状態にはなりません。

国民の選択

2010-09-14 16:47:30 | 日記
 国民は、民主党の議員は、自分たちが選択した、旧態依然の財界、官僚依存政治を理解しているのでしょうか? 昨年の政権交代時の方針とどのように変わり、どの方向に向かっているのか?
 いつも、結果は一つでしかないのです。 先に、言う彼らの言葉は、ほとんど読めています。 菅さんだからここまで頑張れた。 小沢さんだったら、もっと酷い事になっていた。
 いつの時代になっても、政治家の逃げ口上は同じです。 
 多分来る、国民の辛い日々。 一部の特権階級のみが、ますます豊かになる日本の未来。格差が拡がり、貧しい者は一層住み辛くなります。
官僚も、役所も横着な仕事で、杜撰な管理。 流れはこの儘です。国民にとっては苦痛ですが、 結果的に、小沢さんにとっては、良かったかもしれません。
 今、総理に成れば、野党や世論の風当たりが強いばかりで、政局を乗り切るのがたいへんですからね。
 政治はクリーンでなくても良いのです。 為すべき事を粛々と為し、国民に安定した生活を齎す事だけが義務です。
 民主党も菅さんも、為すべき事を、着実に実行してくれれば良いのです。
 私は、ほとんど無理だと思っています。 無知、無能が故の所業で終わらないように頑張って欲しいものです。 多分来る、近い内の行き詰まりまで頑張って下さい。 民主党議員にはそれだけです。

冷静な見方

2010-09-14 10:11:33 | 日記
 ほぼ菅総理続投が言われる中で、世論やメディアは別として、一番都合の良い人や集団は誰なのだろうか?という事を考えてみたい。
 先ず、逆論で言えば、小沢さんが総理になると一番都合の悪い人達は、官僚であろう。
次に都合の悪い集団は自民党ではないでしょうか? そして、何でも言い成りになりそうな菅さんに比べ、相当に扱い辛い小沢さんでは、財界もマイナス面が大きいでしょう。
 こうして視ると、結局、菅さん続投の流れは、旧態依然の”お上”の意向がそのまま反映された代表選挙で終わるのではないでしょうか? その意向をマスコミ、メディアがそっくり取り入れた形で、社会の流れは依然として変わらないという図式になっているように見えます。
 全てが、国民の選択で、国民が責任を負って行く訳ですから、これも致し方ないと諦めてしまうしかないのでしょう。 今日もまた、円高が進んでいるようです。
 池上彰の番組では、すでに円安に進み、経済も貿易も上向いている状況になっているはずの説明でしたが、現実は案の定、逆方向の動きになっています。 メディアで語る人達はもう少し、自分の主張に責任を感じて欲しいものです。
結果、財界もメディアも世論も一番都合の良い総理のままで万々歳という事です。
 この似非クリーンに踊らされた政局を選択した日本社会は、何処へ行くのでしょう?

欧と米

2010-09-14 08:01:14 | 日記
 日本では、何となく欧米という言い方で欧と米を包めて表現するケースが多いのですが、大変気に懸ります。 政治的にも、経済的にも、思想的にも欧と米には大変な違いがあります。 日本が腐敗を強めた、この20年ほどの時期に、その違いが鮮明になり大きく差が出来ています。
 経済で言えば、形振り構わず拡大ばかりを目指してきた日米とヨーロッパは違った方向を模索してきたのです。 特にEUという集合体を形成して、より安定を求めたEUは相互の信頼関係の構築が最重要だったのです。 
 この前のサブプライム金融不安の時も、大きな影響を受け、EU間での信用不安にも波及して、今も尚、回復されていない現状です。 この点でも、日米と大きな違いがあります。
 政治的にも、似た者同士の日米は一括りに表現できますが、欧の政治は日米のような、自分勝手優先で、利益追求の為なら何でもありのような政治ではありません。
 EUでは福祉を重視し、政府の責任を限定した中で国民の権利を守る事を重視した国家の集団になっています。 自由民主の中に、社会を中心に経済を成立たせると言う難しい選択をしています。 日米では、経済第一主義で、経済の為に形振り構わず、少々の犠牲を国民に負わせても手段を選ばないという、市場原理主義を優先した社会です。
 私達は、この表現の違いが、世界を見る目を誤らせる危険性を知っておくべきです。
 アメリカがテロだけを戦争とは別の反世界的悪事のような表現で表し、自分達の戦争を正当化している手法に惑わされているように、民衆の目を錯覚させます。
 日本の何処が正しくて、何処が間違っているかという判断にも、同様な思考誘導があります。 もう少し客観的に自分を、日本を、世界を視る目を養う必要があります。

裁判員と検察審査員のアンバランス

2010-09-14 02:27:06 | 日記
 法的な権限を有している、裁判員と検察審査会で、一方は密室で下した判断に対して無責任で居られるのに、裁判員は公開され責任ある立場で判断を下す。 密室だから全く無責任になりうるかどうかは、その人次第でしょう。
 しかし、公開された一部の傍聴人の前で下す判断と、密室で専門家の意見を聞きながら判断を下す場合とは大きく異なります。
 密室なら、同席する専門家にとっても、自分達のペースに事が運び易く、時には強く自分達の意向を反映させる事も可能です。
 この点からしても、公平化の為にも、検察審査会も公開すべきです。
 押尾学事件も大変難しい判断を下す裁判です。 これが密室なら少しは救われる部分もありますが、判断する裁判員も大変でしょう。
 村木事件も控訴されなければ、結局事件が捏造であったという結論になります。何が真実か、何が正当な判断かを決定する機構であるべき裁判の使命が、どんな結果を世論が受け入れるかという判決を前提に判断されてしまうところに矛盾があるのです。
 検察官も裁判官も自分の下す判断に、そこまでの信念と覚悟が無いのなら、その職を選択する事自体に無理があったと思うべきです。
 アメリカの陪審員とも違う、専門職にとって都合が良いだけの制度を取り入れた、体の良い職務怠慢でしかありません。 譲って認めるとしても、検察審査会も公開して、下した判断にもっと重い責任を持たせるべきです。