日本語は漢字、平仮名、カタカナと心を語る道具が多いので、やたらと複雑な表現をしてしまうものです。 その上に、戦後は外国語も沢山入ってきて、人の心を伝える手段としては、難しくなり過ぎてしまっています。
もともと、見えない心を表現したり、伝えたりする事は大変難しいことでした。
偽ったり、飾ったりで、きちんと伝えようとすればするほど、本心が見え難くなって、互いに疑心暗鬼になってしまうものです。
菅総理のように、口では挙党一致だ、国民第一だと言いながら、実態はその逆の動きになっていても、庶民には実像が見えません。
昔は、二枚舌だ、嘘八百だと嫌われましたが、何処を見ても同じような輩ばかりでは、皆、同類相憐れむで、納得し合っているばかりですね。
人の言葉に、心が入ってない会話ばかりで、残るのは虚しさばかりです。
人間の言葉の大切さなど、糞の蓋にもならない現代日本。 私達のような高齢な人間には何か置き忘れてきた大切なものが在ったような虚しさです。
高度成長や、経済ばかりの世の中で、歌を忘れたカナリヤのような気分です。
もともと、見えない心を表現したり、伝えたりする事は大変難しいことでした。
偽ったり、飾ったりで、きちんと伝えようとすればするほど、本心が見え難くなって、互いに疑心暗鬼になってしまうものです。
菅総理のように、口では挙党一致だ、国民第一だと言いながら、実態はその逆の動きになっていても、庶民には実像が見えません。
昔は、二枚舌だ、嘘八百だと嫌われましたが、何処を見ても同じような輩ばかりでは、皆、同類相憐れむで、納得し合っているばかりですね。
人の言葉に、心が入ってない会話ばかりで、残るのは虚しさばかりです。
人間の言葉の大切さなど、糞の蓋にもならない現代日本。 私達のような高齢な人間には何か置き忘れてきた大切なものが在ったような虚しさです。
高度成長や、経済ばかりの世の中で、歌を忘れたカナリヤのような気分です。