晴れのち雨時々曇り。最低金9.5℃、最高気温25.1℃。
今日は賢治さんの命日です。昨年の今日も賢治さんの命日にふれていました。昨年のブログから。
晴れ。最低気温6.4℃、最高気温21.7℃。(2014年9月21日)
今日は賢治さんの命日。忘れないようにタイマーをセットして、午後1時半に黙祷する。それにしても37歳とは若すぎる死だ。賢治さんの両親にとっては1922年に長女を1933年に長男を失うことになり、その悲しみはいかばかりだったろうか。病死で子を失うことが今よりはるかに多かった時代、その頃の親の精神的な強さや覚悟のほどが偲ばれる。
先日、『宮澤賢治に聞く』(文春文庫 井上ひさし編著 2011年3月15日第4刷)を読み終える。とても読みごたえがあった。井上ひさし氏は2010年4月に逝去されたが、本当に残念なことだとしみじみ思った。この本については後日、感想等書いてみたいと思っている。
今回、井上ひさし氏のこの本を読み返してみました。1993年9月11日、12日の二日間、一関市で開かれた、文学の蔵設立委員会主催「文学の蔵づくり・井上ひさし講座パートⅢ」での講演内容をまとめたものが収録されていて、これがとても興味深かったのです。
その講演の最終章にあたる10章の最後の方で、賢治は教育者、芸術家、宗教家、科学者、そして預言者でもあると言っています。預言者という意味は、21世紀に人間が生き延びるために、どういうふうに世界を考えたらよいのかを示唆してくれるということです。
ひさし氏は科学、宗教、芸術、それぞれが独走してもだめで、互いに批判し、支え合っていくことが大事なことだとした上で、賢治は「輝く多面体」(賢治自身の言葉)として、我々の前に存在しているのだと述べていました。
優れた作家の作品というのは、どんなに世の中が変わり、文明が異なっても、あらゆる時代の難問、あらゆる人間の疑問に答えを持っているもので、シェイクスピアなどと並んで賢治はそういう作家の代表的な一人だとも。最後に「われわれの読み方次第で、人生上の、あるいは世界のあり方に対する答えを引っ張り出せるのではないかと思います。」と結ばれていました。
なるほど、「困ったときに宮沢賢治」という私のおまじないは的外れではなかったという思いを強くしたのでした。