曇り時々晴れ。最低気温17.2℃、最高気温28.3℃。
カンパニュラ
ローマンカモミール
今日で6月もおしまいです。退院してから二日目。我家での生活は二週間の空白を全く感じさせないものとなっています。度々松葉杖を使うことがありながらではありますが・・・・。
北海道ではコロナによる感染者数が減少傾向ですが、全国的にはまだ収束の兆しが見えない状況に思えます。先日送られてきた賢治学会の会報第62号に、コロナ禍の今と対応が似通っていたというスペイン風邪がトシさんの死亡の遠因になったという興味深い一文があったので引用させていただきます。
「スペイン風邪は日本にも1918年10月ぐらいに入ってきて、感染が三波まで起きて50万人近くが亡くなりました。日本ではあまり語られませんが、賢治の妹のトシ(1922年11月27日没)が亡くなる遠因になったのもスペイン風邪です。というより、トシはスペイン風邪の初期の犠牲者の一人でした。1928年当時、隔離病棟に入院させられたので感染症の病気とはわかっていましたが、スペイン風邪だとはまだわかりませんでした。
日本女子大学で学んでいたトシを看護するため、賢治と母親が1918年の暮れに花巻から東京に急いでやってきました。賢治は防護服を着て病室に入り、毎日、花巻にいる父親にトシの病状を逐一、手紙で報告していました。百年前の東京でパンデミックのなか、人間がどう動いていたか、病院がどういう状況だったかが、その手紙でよくわかります。いまと本当によく似ていて、現在やっているような対策は当時もほとんどしていることがわかるのです。」(第30回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞/受賞者講演録「コロナの時代の宮沢賢治―(土)(風)(光)とともに暮らすことー」今福龍太)
トシさんの死亡の遠因がスペイン風邪にあったとは本当に驚きました。また、現在行われているコロナ禍の感染症対策は当時も同じように行われていたということ。また、それを賢治さんが花巻の父親に送った手紙から伺い知ることができるということにも瞠目させられました。賢治さんのこの手紙は市井の感染症対策について、後世に語り継がれるものとしての価値も大きいような気がします・・・・・。