雨。最低気温11.4℃、最高気温16.3℃。
朝からの雨は、午後から音をたてるほどの強い降りとなってきました。
その中をやってきたスズメさんはびしょぬれになっています。「雨が降ろうと、食事を取らなきゃ生きていけませんからね!」とこのスズメさんは軽く言うのでしょうね、きっと。
水や食事が当たり前のように取れることが、生きる上でまずは保証されなければならないことでしょう。けれども、それは災禍や資源の枯渇でいつまでも続くものではないのです。
昨日の北海道新聞には、それらのことが数値で示された記事が掲載されていて、納得させられました。元北大総長の丹保憲仁氏の「私のなかの歴史」というコラムの最終章です。
丹保憲仁氏は化石燃料も地下資源もなくなりかけた2050年には、全く違う社会が現れ、近代社会は終わりを告げると予測しています。
以下にまとめてみました。
それは人類が経験したことのない状況で、多分、人々はそんなに速く動かず、、そんなに遠くまで行かず、自立しつつ分散して何とか皆で支え合う分散自立社会となるだろうと。
ちょうど中世の姿と似ていて、物資は閉ざされた中で回るようになるが、情報は世界に開かれているだろう。
人類は水と食料なしでは生きていけず、また、地球上の生物多様性をなくしても存在できない。
日本の国土は水資源が豊かだと思われがちだが、日本の水で生産可能な食料は必要量の4割。今は輸入で間に合わせている。
仮に日本が農業を頑張っても、水量の限界から自給率は60%に届かない。人口が7000万人まで減ったときにバランスが取れるくらいだ。世界レベルで水も食料もなくなったとき、隣国の中国がどうなるかが一番心配であり、東京やニューヨークなどの大都会がどうなっているのかも分からない。
札幌市は区の単位をずっと小さくして、それぞれ独立して維持させる道があるかもしれない。地方は、水システムと同様に、必要な基盤を分散自立化することで生き残れるのではと。
氏は水道環境区(圏)という考え方を提案している。世界共通の基準になる「1人1日飲料水50ℓ」だけは、きれいな自然から確保し、川の水は生態系保全のためにできるだけ残す。日常生活用水は井戸水の非飲用水を使い、使い終わった水は環境湖をつくって、そこにためる。この水を浄化して、「中道水」として何度でも都市の中で使いまわす。
小規模な分散自立型の水処理システムには、水処理膜という新技術が使えるという。
2050年には化石燃料も地下資源もなくなりかけるので、全く違う社会となるだろうという設定のもとに展開される考え方に一つ一つなるほどと思いながら読み終えました。
読後、不思議に不安はなく、逆に知恵を絞って助け合えば、生き残る道が開けるような気がしたのでした。