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北海道新聞本日付の卓上四季に、日中戦争が始まった年に出版された吉野源三郎氏の「君たちはどう生きるか」に続けて、松井久子氏のドキュメンタリー映画『ふしぎなクニの憲法」も取り上げられていた。
学者や学生、主婦らが思い思いに憲法との関わりを語るシーンがあるそうだ。
車いすの人権活動家と呼ばれる安積遊歩さんの「障害者が真ん中にいられる社会が成熟や平和の指標」と述べているとのこと。
この映画は改憲の是非を示さず「あなたはどんな未来を選択しますか」という字幕で終わるそうだ。
明日、札幌プラザ2.5で上映されるとのこと。
この記事と合わせて、先日、第2回かでる講座で「冬季オリパラと北海道観光 そしてまちづくり」と題された札幌大学客員教授中田美知子氏の講演のひとこまが思いだされた。
講演の中で引かれていたパラリンピア河合純一氏の言葉。(河合氏についての概略は下段にて)
「障害は不自由、不便なものであっても、障害は不幸ではない。」
「夢から逃げることはいつでもできるが、夢を追いかけることは今しかできない。」
*この講演の中でも話されていましたが、障害者にとって住み心地のよい社会はみんなにとっても住みやすい社会になることは間違いのないことだと思います。
卓上四季(北海道新聞2016年5月27日付)
《河合純一氏について》 ウキペディアから概要を
1975年(昭和50年)4月19日生まれ。静岡県浜名郡舞阪町(現・浜名氏西区)出身の競泳選手。
先天性ブドウ膜欠損症のため生まれつき左目の視力はなく、右目の視力も非常に弱かった。3歳の時に手術を受けることにより右目は一時わずかながらも視力を取り戻したが、15歳には右目の視力も完全に失い、全盲となる。筑波大学付属盲学校高等部を経たのちに早稲田大学教育学部に入学、卒業後は母校でもある舞阪町(現・浜松市)立舞阪中学校に赴任した。 舞阪中学校を2年間休職し、早稲田大学大学院教育学研究科学校教育に進学・専攻後、舞阪中学校に復職。2008年(平成20年)、静岡県総合教育センター指導主事として着任。-中略ー
5歳から水泳を始め、トレーニングを続け17歳の時にバルセロナパラリンピックに出場、銀メダルを2枚、銅メダルを3枚獲得した。 その間、15歳のときに全盲になる。早稲田大学入学後もトレーニングを続けアトランタパラリンピックでは50m自由形B1、100m自由形B1で初の金メダルを2枚と銀メダルと銅メダルを1枚ずつ獲得した。教員となってからも、シドニーパラリンピックで金メダル2枚、銀メダル3枚、アテネパラリンピックで金メダル1枚、銀メダル4枚、銅メダル1枚獲得し、全盲の50m自由形の3連覇を成し遂げた。4連覇がかかった北京パラリンピックではスペインのエナメドに敗れ銀メダルに終わり、他種目も銅メダル1枚に終わった。以下略