曇り時々雪時々晴れ。最低気温-2.7℃、最高気温-0.2℃。
近所の文京台南公園のベンチもうっすらと雪化粧をしていました。
公園の全体は広いのですが、今日はその一部の我家からすぐのところを散策。
辛夷の冬芽には水滴が凍り付いていたものの、毛皮みたいなコートで中身は守られている造りになっているようです。
ストーブをつけて過ごしている身には、凍えそうな外気から自力で身を守り、次世代に命を繋ごうとしている植物たちはまぶしい限り。
さらに歩を進めると、突然、ヤドリギの元気な姿が目に飛び込んできました。
無彩色の世界に、赤と黄の実をつけたヤドリギは何と目を引くことか・・・。
ヤドリギをネットで引くと以下の記述がアップされていました。
ヤドリギは古代から、神聖な植物であった。
すっかり葉を落としてしまった木の上に、ヤドリギは緑の葉を保っている。そのため、ヤドリギは生命力のある聖なる木とされてきたのである。
ヤドリギは「宿り木」である。
宿を借りるように、他の木の上に映えていることから、そう呼ばれているのだ。
しかし、ヤドリギは、宿を借りているどころではない。
くさびのような根っこを、他の植物の幹の中に食い込ませ、他の木から水や養分を吸い取っている寄生植物なのである。
ヤドリギが落葉樹に寄生し、木々が葉を落としている間も緑色の葉を保っているのは、木々が葉を落としている間に、光合成をして力を蓄えるためであるとも考えられている。
じつにしたたかな植物である。
ヤドリギは春になると花を咲かせる。花は目立たないが、ヤドリギの花は蜜を含んでいて、昆虫を呼び寄せる。そして、受粉をして、秋になると実をつけるのである。
やってきた鳥がヤドリギの実を食べると、実といっしょに種子が鳥の体内に入る。
そして、腸内を通り抜けて糞といっしょに体外に出されるのだ。鳥は飛び立つ前に、体を軽くするために糞をする。
そのため、ヤドリギの種子は糞といっしょに、首尾よく木の枝に付着するのである。
ヤドリギの種子は粘着力のある粘液に包まれているため、枝に付着しやすくなっている。そして根を生やして、ゆっくりと木の幹に根を食い込ませていくのである。
死者を生き返らせる草
ヤドリギの花言葉は「困難に打ち克つ」である。これはギリシャ神話が元となっている。
ミノス王の息子であるグラコウス王子は事故で死んでしまう。そして、ミノス王の命を受けて、占い師は王子の墓に閉じ込められて、王子を生き返らせなければならなくなってしまったのである。
困り果てた占い師に、さらに困難が降りかかる。
墓の中のヘビが襲い掛かってきたのである。何とかそのヘビを仕留めると、仲間のヘビが草をくわえて現れ、死んだヘビの体を草で擦った。すると死んだヘビは生き返ったのである。
そのようすを見ていた占い師は、ヘビが使った草で王子を生き返らせ、無事に墓から出してもらうことに成功したのである。この死者を生き返らせる草がヤドリギである。
この話から、「困難に打ち克つ」という花言葉が与えられているのである。
『花は自分を誰ともくらべない』より抜粋とのこと。
この一文が取られた『花は自分を誰ともくらべない』という本の題名にハッとさせられ、ヤドリギの花言葉が「困難に打ち克つ」と知り、「開拓者精神!!」そのものと思いました。
また、本日付けの北海道新聞の「卓上四季」には参議院議員を務めた故茅野茂氏の母の言葉が引かれていました。「アイヌネノアンアイヌ エネプネナ」。「人間らしい人間、人らしい人になるんだよ」という意味で、品行方正で迷惑を掛けず、人の役に立つ人間になれとの教えなのだそうです。
言葉には確かに力があると。
けれど、言葉が真の意味での力を放つのは、誰しもが納得できる理念に加えて尊敬できる行いが伴ってこそなのかとも思いました。
それでは今日はこの辺で。
明日が皆様にとって良い一日となりますように・・・・。