ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

演奏会のチケット

2013-12-17 18:03:57 | 合唱

入場料、チケット料金は、団の金銭評価です。

料金を設定するのは、団の実力を良く知っているスタッフです。

この金額ならお客様をお呼びできると見込んで設定しているはず。

プロでも、ランクによって料金は様々です。

7,000円前後や、ディナー付きとかチャリティコンサートだったり、募金を兼ねて行うコンサートも

あります。

団員として、本番に乗るときに、チケットの料金が自分の演奏への評価と著しく違ったとしたら、

それは、努力を惜しんでいるか、練習をさぼりがちか、あるいは、その団にそぐわない実力なのかもしれません。

 

演奏会が近づくと、チケットノルマが必ずというくらいにやってきます。

広い交友関係を持っているか、否かがすぐわかってしまう、辛い時期でもあります。

 

古い知人や、過去の人たちに声をかけたり、楽友に頼ったり、日ごろの仲間づくりも合唱に関わる上では、必要なこと

かもしれません。

見ず知らずの人へは、そうそう売れません。

 

そして、舞台の自分の顔を見に来てもらえるということは、晴れの舞台を誇れる力をつけておかなければなりません。

 

少し前に、楽友、知人が多く舞台に乗るというコンサートがありました。

予定は空いていたのですが、1,500円のチケットに、気後れしていました。

 

段々と、本番の迫ったある日、他の合唱団の練習時に一人の出演者が熱烈な呼びかけを皆の前で行ったのです。

 

その宣伝の何日か前に、別の団員からチケットを譲られていました。

それでも、その団員の呼びかけを聞くまでは、何とか行かずにすまそうとさえ思っていたのです。

 

出演者の、熱い呼びかけに、行ってみようと思うに至りました。

 

客席の、上手の一番前の席に陣取り、最後の、お見送りの顔見世まで、付き合って、「よかったよ」と声をかけて

高揚した気持ちで駅に向かいました。

 

あの熱意は、舞台にもあふれていましたし、随分、力をつけたのが良くわかりました。

 

自分の演奏に自信を持てること。

お客様に、観に来てと熱く語れる、それだけの熱意は、練習に注いだ、情熱が伝わるものです。

 

今、手元に20枚のチケットが、あります。

「配ってないでしょうね」と言われてしまいました。

「払っていただける、演奏を目指しましょう」とも。

プレッシャーです。

 


モーツァルト

2013-12-17 08:35:47 | 日記

35年の生涯で多くの名曲を残した、偉大な作曲家。

35年の人生を駆け抜けて逝った。

とてもやるせなく、心がえぐられるかのような無念さの一方で、やり残したこと、もっとやりたかったことが

出来ないままに、断念せざるを得なかったことを、払拭する偉業を残してくれたことに絶大な謝意を表したい。

 

人の人生は、様々。

産まれ出ることさえできなかった、命があった。

産まれても不幸続きの辛い人生を送った者もいる。

先日は、病院で取り違えをされて、人生が変わってしまったと病院を訴えた人がいた。

60年前の産まれた時に戻りたいとのコメントが報じられて。

 

80歳、90歳と生きて、それでもやり残したことがあると、悔いつつ逝く人もいる。

人の一生の重みは、長さばかりではないと、常々思っている。

若いころは、30歳くらいで、人生が終わるかもと、単純に思っていたことがあった。

いつのまにか、それを倍以上過ぎて、自分の命の終わりの時のことを時折考える。

もう少し、もう少し生きていたい。

 

モーツァルトの人生をかけた(合唱)曲を、網羅したい。

 

愛の人モーツァルト

小塩 節

青娥書房