ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

プライベートなイベント

2014-01-10 09:29:33 | 合唱

楽友が、もうすぐ、結婚します。合唱で知り合ったカップルです。

同じ合唱団のなかからの結婚は団員にとっても、嬉しいことです。

団員のなかには、ご夫婦、ご姉妹、母娘さんが所属していることがあります。

趣味を同じくする家族がいるというのは、良いものです。

 

合唱団で出会った二人が、結婚する。その後も二人で練習に来てくれるのは、さらに嬉しいことです。

 

今回、団員からのお祝いに、披露宴で、歌ってお祝いをということになりました。

お二人からの要望に楽友と指揮者が、それならば、お祝いとしてということでお受けしました。

今、選曲中です。

 

過去にも、披露宴で某合唱団が歌でお祝いすることが何回かありました。

お二人とも、合唱のなかに入って一緒に歌いました。

それが、2008年頃までのことでしたから、6年ぶりくらいのことになります。

 

「お別れの会」に参加したことがありました。

その団の立ち上げの際に、尽力をいただいた元事務局長。

面識の記憶はなかったのですが、団員としての参加でした。

故人が好きだったというMOZARTのRequiemから2曲と、もう一曲を歌った覚えがあります。

 

自分も音楽葬にしてもらおうと勝手に心に決めた出来事でした。

 

M合唱団、K合唱団では、歓迎ソングというものがあって、見学者がいらっしゃると、団員が歌います。

M合唱団では、月に一度、その月の生まれの人に、「HAPPY BIRTHDAY」を歌います。

 

合唱団ならではのイベントでしょう。

 

団の結束、などにも、効果になっているように思います。

 

 


合唱団のスタッフ

2014-01-09 22:59:14 | 合唱

プロの合唱団のことはほとんどわかりません。

けれども、アマチュアの合唱団を支えているのは、熱意のあるスタッフと、団員の支援です。

指導者に惹かれて、団員の知り合いから誘われて、団員募集のちらしに興味を持って、等々。

 

様々な仕事に従事。

様々な環境、様々な意識、様々な思いの者がつどって、団を形成しているはずです。

 

団の運営は、無料では成り立ちません。

練習会場の確保。練習会場の利用料。

指導してくださる指導者の確保、および練習指導の継続。

団費をきちんと支払ってくれ、練習に参加してくれる団員の存在。

団の運営に関わるスタッフの存在。

スタッフの代表は、団長と呼ばれることが多いです。

次に、副団長を置いているところもあります。

 

それから、一般的には会計・広報・会場確保の係り・パート内をまとめるパートマネージャー、

技術面を担当する、パートリーダー・技術委員と称していることも、先生対応というのも必要になることもあります。

練習日に、指導に来てくれる指導者、練習ピアニスト、他にヴォイストレーニングを受け持ってください指導者、がいる場合

練習日にどの先生がきてくれるのか、団内のメンバーが、対応する必要がある場合もでてくることがありますので、重要な係です。

 

定期演奏会のための実行委員を、立てているところもあります。

実行委員長を筆頭に、会計、チケット係・ホール担当、先生対応係、ゲネプロに来ていただけるのか、本番に来ていただいた時の連絡

など、マネ―ジャー的な仕事があります。

 

某、合唱団には、人事、WEB担当、ライブラリアン、事務局、イベント担当、等々までありました。

打ち上げの場合の担当も、たいてい通常のスタッフとは違う者が担当していました。

どこで、打ち上げるか、先生たちはどなたが参加してくださるか、何人の参加者になるか、2次会はどこにするか、地図を用意するか。

参加費の集金、お店への支払い、収支の差額が出た場合の処理。

 

そうした、様々な作業を担ってくれる者が必要です。

たいてい一年間くらいの任期で、立候補、推薦、選挙などによって大半を決めることが多いかと思います。

総会で投票によって決めるような場合は選挙に関わる人選も生じることになります。

合唱団の規模や、主宰状況によって、色々なパターンになります。

スタッフは、ほとんどボランティアでこなします。

 

練習時間を犠牲にしなければならなかったり、練習時間後に打ち合わせを行ったり、得ることもありますが、きついこともあります。

余計な仕事を増やしたり、スムーズな運営を邪魔などすることのないように、一般団員はできるだけ御協力お願いします。


思想

2014-01-09 08:34:24 | 日記

思想、信念、世界観、人は、自分なりの世界を持っている。

自然体でいようとする人、信念を貫こうとする者。

どういう生き方をするにしろ、貫くのは、結構精神力がいる。

日本人は、以前は、世間を気にしている人が多かったよう。

「世間様に申し訳ない」とか「ご先祖様の顔にどろを塗る」

との言い方をした。

今は、「自己中」といって、自分中心の考えをするものは、批判の対象になっている。

元々は、自己中での思考で生きるのが、一番自然なのではないかと思う。

思考の中心にある原点は、その人の生涯で培われた思いの集約になるから。

一人ひとり自分なりに生涯を通せるのが一番。

 

悲しい生涯を送った者。

翻弄され続けた者。

貫き通した者。

世間に合わせて、優柔不断に生きた者。

 

どれだっていい。

けれども、他人への様々な影響を少しだけ考えて欲しいと思う。

 

 

鶴見俊輔コレクション1

思想をつむぐ人たち

鶴見俊輔

河出文庫


マイ楽譜へのすすめ

2014-01-08 10:02:23 | 合唱

「マイ楽譜」

通常、楽譜は、出版社から発行されたものを団員全員が購入して使うことになります。

当然表紙は、皆同じ。

自分のも他人のも、はじめのうちは、見分けがつきません。

練習が開始されると、楽譜を購入し手元に、おいて、練習に臨みます。

初回は、仕方がありませんので、皆同じ楽譜で練習していきます。

ですが、時間が経って、何曲も書いてある楽譜を最初のページから、ページを重ねていくことは

あまりありません。

1番は、楽譜の2ページから、次に、6番を楽譜の43ページからということもあります。

本番も、1番と8番と23番などということも出てきます。

そういう場合は、練習の時から、ぱっと一番を出す。次は8番をぱっと出せるように自分用の楽譜に

手を加えていくことをお勧めします。

 

自分にとって、やりやすい、めくりやすい、さっと練習曲が出せる。

そういうことを目安に、手段を考えてみてください。

 

一番、必要なのは、何番の曲がどこにあるか、ということです。

今は色々あるので、お好みの付箋で楽しむことができます。

画像では、付箋として、昔ながらの「インデックス」を天に貼っています。

曲のタイトルも書きこんでおくと、探すのが容易になります。

人によっては「小口」に貼っている人もいますが、横に張り出してしまいお客様から見えてしまう

こと、楽譜のサイズが大きくなってしまうことから、前者の方法を利用しています。

 

楽譜の外側に薄い膜上のものがお分かりでしょうか。

楽譜にカバーをかけています。

半年とか一年とか、楽譜を開いたり閉じたりしていると、劣化してきて楽譜がよれよれになってきます。

最近では、短時間の練習が多くなったので必要がないかもしれませんが、本番で楽譜カバーをせずに、楽譜の表紙の図をそのまま使うことが増えてきていますし、よれよれ楽譜は、一寸いただけない気がするので、あえて、自前のカバーで保護しています。

一冊の楽譜の場合について、述べてきました。

楽譜が1冊でないこともあります。

2冊とか3冊になる場合、4冊なんてことも出てきます。

そういう時は可能であれば一つにまとめます。

無理なら二つくらいにまとめます。

インデックスを付ける意味と同じことから、他の曲に練習が変わるときにも素早く楽譜を開くための

工夫として、行っています。

1冊の練習をしていて、2冊目に、3冊目にというときに、一冊づつ、バラバラではぱっと開くことができません。

一日の練習は、たいてい2時間。発声練習、連絡事項、休憩が入るので実質、90分くらいになります。

だらだらとならないように、効率よい練習ともなるように、一人ひとりが工夫して、有意義な90分にいたしましょう。

ひとりの行動が、団全体にも影響します。

ロス時間は、ちりも積もれば、です。

プロの指導者は、1時間1万円だとしたら、1分166,6円。

5曲練習したとして、ロス時間は、およそ、5曲の前後で4分、間で8分合計12分にもなります。

12分あったら、もう2,3曲の練習ができます。そして謝礼金の1999,2円 およそ2,000円分は無駄になっているということになります。

ロス時間は金銭面ばかりでなく、集中度や、疲労にも関係してきます。

息抜きしながらは必要ですが、無駄なロスは、なるべくカットしたいものです。


音取り

2014-01-07 10:21:57 | 合唱

久しぶりの団での練習に参加しました。

知っている顔、初めての顔。今日からの練習に意欲的な空気が感じられました。

 

隣の席は、最近入団した新人さんのようでした。

 

「鉛筆忘れた」の声に、いつも余分に持参しているうちのシャープペンを提供。

それが、引き金になったか、次々と話題が出ました。

 

声質が、似ていて、すぐにアンサンブルが楽しめました。

 

久しぶりに、声を合わせての合唱を楽しんだ感激で、心がうきうきした帰り道。

「合唱っていいな」

声を合わせる楽しさって合唱ならではなのです。

 

複団者でも、最近入団したばかりという人も、一緒に楽しめるのです。

吹奏や弦では、そうはいきません。

新人さんへの先輩からの一言は、「邪魔をするな」だと聞いたことがあります。

違う音で乱さないのが、礼儀ということでしょう。

 

「合唱は、違ってもいい、練習は、どんどん間違って」と指導されることがほとんどです。

声を出さなければ今、あっているのか、どう間違っているのかわかりません。

合唱は、団員全部が揃うことが目標ですが、音を出してもらわなければ、違いはわからないからです。

音取りで音符だけを追うことは少なくなったのでしょうか。

最近の練習は読み方をやって、リズム読みをして、パートで音だしして、アンサンブルになるというのが多くなっていました。

某団では、音取りは各自の予習。

一同集っての練習は、アンサンブルからというところもあるそうです。

 

この練習の重ね方の違いも団の特徴になるようです。

自分に合う団の練習方法も、まず、知ることから始めると、いいかもしれません。


遅延

2014-01-07 09:43:32 | 日記

「危ない!」という声とほぼ同時に走り始めようとしていた電車が急停止した。

立っていた乗客の5分の1くらいは、身体が大きく揺れた。

駅員が二人ほど走っていくのが見えた。

すぐに車内アナウンスがあり「荷物が挟まった」ということだった。

5分ほどして運転再開になった。

何度も「申し訳あrません」のアナウンスが流れる。

次の駅に着くと、運転調整しますとのアナウンスで発車時間の修正があった。

すぐに、再度時間調整があり、もう1分の時間追加となった。

ようやく発車。

「荷物挟まりと急病人」とのことで6分遅れとなった。

最近は、ほとんど毎日、どこかで遅延、中止が相次いで当たり前状態になっている。

秒まで性格だった国鉄は、もうない。

ホームから駅員が消えた時期。

ホームの監視員が駅員でなく警備会社の人になり、ラッシュ時間は、ホームに3,4人いることも多くなった。

駅の工事が増え、携帯電話関連の事故も増え始めたこの頃。

ホームの監視員が増えても、車内アナウンスが、事細かくなっても、緊急停止、時間調整はなくならない。

時間の確認に使われていた鉄道の時間の正確性は、神話になりつつある。

それは、いったい誰のせいなのか。

何のためなのか。

 

現在、駅探によると、メトロ、東武鉄道、京成など 8社にトラブル等が発生している。

 

 


練習に参加するということ

2014-01-06 11:21:30 | 合唱

昨年の8月から休団していた団に、1月から戻ることにしました。

5月に本番があるので、1月あたりから、ともに練習しないと、との思いから、気持ちとしてはもう少し先まで休団時期を延ばしたかったのですが、きりの良い1月からにしました。

これから練習する曲は、本番を3回経験しました。

T合唱団では、シンプルな読み方でした。

O合唱団では、ドイツ語読みと、シンプル読みの2回でした。

練習だけなら、Y合唱団で、3か月ほど、お世話になったことがあります。

今度の団では、どういう読みになるのでしょうか。

1,2,8,24の4曲を練習するとのメールがきました。

「25」も追加になるのでしょうか。

 

練習期間は、団によっても、曲によっても大きく異なります。

期間が一番長かったのは、T合唱団およそ1年かけました。

つぎがO合唱団の一回目。

2010年の6月に入団して、11月に試演会というものを行いました。

暗譜を目標にした練習でした。

O合唱団の2回目は、某オーケストラの演奏会への協力という形でしたので、3か月もなかったように記憶しています。

 

合唱団が曲を演奏するときに、経験者がいるというのは、曲の練習の進みに影響します。

全員が初心者だと、歌詞から音符から一つひとつ確認していく作業になるからです。

経験者がいると、同じ団であれば、なお練習期間の短縮が望めます。

 

経験しているからと、ぎりぎりまで、練習に参加しない団員が時折いることがあります。

同じ曲、でも指揮者が違うとかいう場合は少なくともリハーサルくらいには参加するほうが

いいでしょう。

曲の解釈の違いなど、団員の習熟度によっても、演奏が変わるからです。

同じ曲、同じ指揮者、同じ会場、同じ時間だとしても、2度と同じ演奏にはならないのが生演奏なのですから。

そして、「本番には何かが起きる」かもしれません。

何かによって、団によって、指揮者によって、その時のソリストの顔ぶれによっても対応の仕方は、夫々です。

面白いけど、怖さの潜むのが本番。

何が起きても、うまく乗り切るための、手段は、練習や、リハーサルなどでの経験によってしか、得ることはできません。

本番は、「楽しんで」とヴォイストレーナーからよく言葉をかけられます。

できるだけの、事柄を積んでいけば、対応の仕方も備わってくるということです。

練習は、できるだけ、参加し、どんどん、吸収していってください。

 

 


合唱でのリズム

2014-01-05 09:22:21 | 合唱

リズムというと何を思い浮かべますか。

音楽で言うリズムは、「音の時間的進行」だそうです。

参照→http://www.weblio.jp/content/%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

 

リズム感とも言われる、リズムは人によって、国によっても異なります。

一人ひとりのリズムも、少し違うようです。

曲によっても様々。時代によっても変わってきています。

♪=65とか♪=120とかで表示されていることがあります。

「65」だとゆっくりした曲、「120」なら速い演奏をする。

と判断されます。

♪=○○ が ♪≠○○または♪≒○○ だったり♪=C.○○ になっていることもあります。

2番目3番目は「およそ」つまりイコールでないという意味になります。

今回「いこーる」とキーを打つと、「≠」「≒」に変換できることに気づきました。

 

某指導者から

「日本人は農耕民族だったので、足を踏み込む。西洋人は狩猟民族なので、踏みこまずに挙げる」との説明を受けたことがあります。

歩行時の「1,2,1,2」は、2に重みが加わり、拍手をするときには、パン、パンと手を重ねます。

西洋の人は、

行進では、前に出した足はふりあげ、拍手では、パン↗、パン↗と掌が離れます。

 合唱の時にも、この傾向が出やすく、日本人が西洋の曲を歌うと、強、弱、強 弱になる傾向があります。

主に西洋の曲は、弱起と言い、弱拍から始まることが多いそうです。

 

こうした違いが演奏にも影響します。

リズムとして反対になりやすくなります。

強 弱 強 弱 → 弱 強 弱 強 を心がける必要があります。

「日本人の拍手はきれいじゃない」と言った指導者もいました。

「パン↘パン↘」となるからです。

合唱のなかで、拍手をするところがあって、拍手の仕方を練習したことがあります。

それ以来、拍手する時も、先の言葉を思い浮かべ「パン↗パン↗」を心がけるようになりました。

 

テレビの映像などをみていると、観客の拍手の場面を見ることがあります。

宴席などは前のタイプが多く、イベント会場などでは、後のタイプが目立っていました。

 

日本人と西洋人との違いで、荷を引っ張るというのもありました。

日本人は荷車を曳いて歩きます。

西洋人は、カートを押していきます。

スーパーが、生活に浸透してきて、カートを押す機会が増えました。

そのうち、荷車も押すようになるのでしょうか。

 


強弱記号の演奏

2014-01-04 07:38:39 | 合唱

クレッシェンド・デクレシェンド

音楽の強弱記号のひとつとしてのデクレッシェンドは次第に弱くという意味とされています。

注意する点としては、次第に弱くという意味は、音を弱くしていくのであって、音程は、もちろん

安定したもので、徐々に弱めていくということです。

 

弱めていくときに、下がりやすいので、注意が必要です。

音程は下がらないように、消えていくような、演奏を心がけます。

 

「お香の煙が立ち登っていくように」と指導を受けたことがあります。

がくんとならないように、静かにスーッと消え入るイメージが良くわかる表現でした。

明かりを弱めていって、静かに消え入るかのように、表現します。

余韻を持たせていくことで、より表情をつけられるところです。

「>」の始まりから終わりまでしっかり演奏しましょう。

次の演奏の出だしによって、多少の余韻のつけ方が変わります。

気持ちの上で、少しつなげるとか、次の音につなげるとかで、変わります。

指揮者の意図をしっかり、受け取って、演奏します。

 

クレッシェンドは、反対に次第に強く演奏することを意味しています。

こちらは、大きくしていくので、やりやすい感じがします。

大きくしていくと、音が濁ったり、ぶれたりしやすいので、きれいに演奏することを心がけます。

音程が上がりきらないことも起こりやすいので、注意します。

音が割れないくらいの音を目指しましょう。


目標を持って

2014-01-03 07:47:43 | 合唱

芸能は、ドラマがあり、ストーリーがあります。

 

歌舞伎、能、狂言、都都逸、落語、オペラ、バレー、民謡、踊り、合唱にも、ドラマがあります。

ドラマの現し方は、それぞれに特殊な方法や、独自性があることがわかりようになっています。

歌舞伎といえば、衣装、仕草、言い回し、すべてに関連を持って、一目でこういうジャンルとわかります。

 

ジャンル別に表現の仕方は多様です。

ルールに則って表現されるからです。

 

夫々のジャンルは、歴史を重ね、独自に創られてきました。

そのジャンルの約束事、に応じて、表現をしていくのは、当たり前のことです。

どの分野でも、道を究めた達人の表現は、観客を魅了します。

表現の中にあって、はじけていても、大きな約束事を踏まえている限りは、許容されます。

 

ジャンルにおいて、初心者、経験者、卓越者の存在は大きいものです。

初心者、未熟者がどれほど、熟達者に近づけたかが大きなカギになっています。

 

初心者は、先輩に追いつく。

熟練者は、如何に初心者を取り込んでいくかが重要なことと考えています。

 

初心者は、模倣から入るのをお勧めします。

指導者が指摘できることは限りがあります。

地道な努力を求められていると、考えて前向きに前進する気持ちで対応してください。

 

タカラジェンヌの修業時代のドキュメンタリー番組を見たことがあります。

ハードなスケジュール、ハードな練習の連続、長い歴史の中で育まれてきた、一人前になるための修業。

それは過酷と厳しさと、愛情の上に、成り立っていると感じました。

 

アマチュアだからという考えは忘れて、自身の成長のために、それが団員、そしてそれを支えている沢山の人々。

自身の喜びのお裾分けを分かち合うことを、願いつつ励んでほしいです。

 

 


アンチCM

2014-01-03 07:16:01 | 日記

「NCIS]という海外ドラマをよく見る。

 

ストーリー、展開、テンポ、演出、いずれも、群を抜いている。

とくに演出はすごい。

 

ドラマなのに、ドラマを一瞬忘れさせるほどにリアル。

 

爆発シーン、乱闘シーン、交通事故、追跡、事件、日常の会話など、いずれも、見ていると、錯覚するくらい。

通行人、背景に配置されている者、その他大勢の者さえ、ドラマに溶け込んでいて違和感がない。

 

爆発があれば、本当にけがをしたかのよう。

事故が起きれば、実際に事故ったかのよう。

殺人、喧嘩があれば、実際に起きているかのよう。

 

会話は、日常の会話から、緊迫したやりとりまで、芝居と言うことが、間違いのよう。

このドラマをみていると、日本のドラマがあまりにお粗末で、見るのが辛くさえなる。

ただ、それほどのドラマなのに、時折、ストーリーが、気にいらない時がある。

イライラさせられることがある。

 

それから、ドラマに直接関係がないけれども、CMの低レベルに辟易させられる。

10分おきくらいに流れるCMは、どれも、見るに堪えない、聞いていられないほど。

CMが始まると、音を消し、画面をちらみして、CMの終わるのを待つ。

CMが終わると、音を戻してまたドラマの世界に没頭する。

 

本当に、台無しにするCMの氾濫。

何とかならんものかと、思う。

一番の不満は、台詞。

 

まゆつばものの、台詞を何度でも人を変えシーンを変えては、連続して出てくる。

以前は、何度でも見たくなる、何回でも聞きたくCMがあったものだった。

最近は、一元のドラマばかり見ているのでCMも一元。

最近、台詞が少し変わったのだが、それでも、二度以上聞きたくはない。

 

CMの料金は高いと聞く。

CMに流すと、販売数が増えるという話を聞いたことがあるが、これらのCMもそうなのだろうか。

ユーザーをなめているとしか思えないCMの垂れ流し。

 

流されやすい、信用しやすい、ユーザーが、増えているということか。

 

 

 


「靖国」参拝

2014-01-02 21:25:00 | 日記

「訪中冷え込み、訪日は最多 「政治」で揺れる日中の観光」というニュースがあった。

 

首相が靖国神社の参拝したことによりキャンセルが増え影響がでているとのこと。

先の首相の時も、水面下で相当な影響があったと聞く。

今回も、様々な影響がある。

 

先の戦争で、日本がアジア諸国にしてきたこと、日本が大戦に参加してきた経緯。

本当の所は、どうなのか、いまだに、はっきりわからない。

「なかった」と言い切る人もいるし、「罪は深い」と言う人もいる。

どちらにしても、こういう状態の国々があるということ。

 

他国は、「あった」と言い切っていることに、対して逆なでをするような行為は、慎むべきではないかと思う。

先の戦争の犠牲となった者への鎮魂、哀悼であるならば、他国もこうした、態度はとらないだろうと思う。

 

「靖国」だから、問題になる。

「靖国」はかつての日本の軍国主義、かつての侵略の象徴だから。

 

自分自身、高校生頃は一度は、靖国へお参りに行きたいと考えていた。

その後、負の侵略のことを知り、731部隊のことを知り、慰安婦問題を知った時、靖国への魅力が失せた。

日本が行ったかもしれない凄惨な行為を思い起こさせるものとしての靖国となったために、鳥居をくぐることは、

望まなくなった。

 

かつての「戦争犠牲となった魂への祈りとして参拝する」というようなことを先の元首相は言っていたようだが、そんなことを

考えていることが、日本国の代表者と言っていることに、日本の姿勢への失望さえ感じたものだった。

今回の首相の靖国参拝が、はたしてどの程度の意思のもとでおこなっているものかは、計り知れない。

 

しかし隣国同士の国と国との関係をよくしたいと思うのであったら、隣国が嫌がることを、堂々とするのは、いかがなものだろう。

人の気持ちを逆なでしているとしか思えない。

「相手の意思を尊重することは自分の批判されたことの行為を否定することだ」という説を言う人があるが、その節には賛同できない。

 

隣国同士、仲よくしていきたいと思う。

隣同士なのだから、「遠くの親類より近くの他人」で行きたい。

首相も、日本のためにも、相手の嫌がることは控えて欲しい。

 

 


合唱の母音

2014-01-02 11:10:18 | 合唱

「母音」言語音の一つ、母音は日本語においては「あ・い・う・え・お」の5個と言われています。

国によって、7つだったり、4つだったり、また、母音と言っても実に、様々な顔を持っています。

 

最近では、様々なweb辞典が充実してきました。「コトバンク」の辞典を参考にしてください。

参照→ http://kotobank.jp/word/%E6%AF%8D%E9%9F%B3

 

合唱の練習時に、母音で練習をすることがあります。

たとえば、

「もう、いくつねると おしょうがつ」の歌詞なら

「おう、いううえうお おいぉうあう」となります。

母音は口の形を変えて出すのですが、合唱の場合は口の形は、あまり変えない方法をとります。

参照→ http://blogs.itmedia.co.jp/nagaichika/2010/07/post-f568.html

こうすることで、音色がひとつになりやすく、響きがそろってくるのだそうです。

 

また第一音で出す場合には、

息を流しておいて、出す。「・・ぁ、あー」

声帯を閉じておいて、出す。「、あー」

の2種類があります。

曲によって、どちらで出すか変わります。

 

以前、ヴォーカルのセミナーを受けた時に、

「なんでもよいので出しやすい母音を出してください」と言うと、「あ」の人が圧倒的に多いとのことです。

次が

「お」

「う・え」の人は少ないとのことでした。

 

喉を解放して緊張せずに出せるのが「あ」ですが、合唱のための「あ」は「い・う・え・お」を同じように発声するための「あ」と

考えて、出しましょう。

 

日本語の「あー」と合唱の「アー」は違うものと思ってください。

合唱は、団員皆が一つの同じ言葉を発声しているように聞こえなければなりません。

男声でも女声でも、です。

「アー・イー・ウー・エー・オー」から、融けあう声を目指してみてください。


「m」の発声

2014-01-01 08:56:45 | 合唱

日本語の「ん」は、ローマ字にすると、「n」となります。

 

しんじゅく → shinjuku

かんだ   → kanda

 

こうした言葉は、口を閉じない発音です。

 

外国語の「m」は口を閉じて発音します。

「Tvoim」

「Requiem」

 

なので「m」を発音するときは、きちんと口を閉じて発音する必要があります。

言葉の終わりをはっきり発音しない日本語のように発音しやすいので、注意が必要になります。

 

けれども、ハミングと同じように、口の中を開いて、「m」を発音します。

口の中まで閉じてしまうと、つぶれた音になって、響かなくなります。

「鼻に抜く」と表現する指導者もいます。

 

鼻から出すように、響かせましょう。

「むㇺー」にならないように、音を解放してください。

 

飲み込む発音をする人が時折いるようです。

 

歌うときは、前に出すことを心がけてください。

お客様はたいてい、10m以上離れています。

 

本番の会場が800人以上ならば特に、後ろのお客様に届ける気持ちで、出すようにしましょう。