ボイストレーニング基礎の基礎1週間
歌が好きな人は、沢山います。
一人で鼻歌を歌う人。
カラオケで、練習する人。
防音の部屋で練習する人。
ボイトテレーニングの教室へ通う人。
上達したいと思いながら練習する人は、歌っている人の内のどのくらいになるのでしょうか。
歌えればいいと、思う人もいます。
上手になろうと努力する人もいます。
上達することを目標にして歌う人は、もしかすると、少ないかもしれません。
繰り返し、繰り返し歌っていれば、段々上手になると、思い込んでいる。
または、別に上達は望んでいない。という人もいるかもしれません。
一人で歌っている人なら、それも自由です。
しかしながら、もし、合唱、斉唱するならば、上達を試みてください。
アマチュア合唱団は、入団も退団も自由です。
練習に、必死で参加できなくても、退団を進められずにすみます。
でも、礼儀として、上達を目指して欲しいと思います。
上達のための手段は色々あります。
楽友のなかには、ボイストレーナーについて、レッスンしている人もいます。
時間やお金にゆとりのある人にはお勧め。
けれども、時間が取れないとか、先立つ物がという人は、日々の練習、あるいは、時間をやりくりするなり、生活のなかに取り入れるなどして、みてください。
結構、一人で、生活の中でできる上達方法はありますから。
ご自分にあった、あるいは、あう方法をみつけて、トライしてみてください。
亀淵流ボイストレーニング【失敗しない歌の上達方法】
ボイストレーニング
http://supuhuri.sub.jp/boisutore-ningu.htm
ボーカル請負人
http://www.ones-will.com/blog/vocal-lecture/
母国語である日本語でも、アクセントが違うことがあります。
歌の場合はそれに曲がつくので、話し言葉とだいぶ、違ってきます。
歌の場合の発音は日本語だけでなく外国語の場合も歌唱の発音は異なるようです。
以前、イタリア語やドイツ語の歌の練習の時に、夫々のお国の人を招いて発声を聞いていただたことがあります。
初めに歌詞を読んでくださり、私たちが読む。
意味などもその時に教わりました。
そして、実際に歌ってみる。
そうすると、歌ように多少アレンジされます。
アクセントをもう少し多めにするとか、発音を会場の人に伝わるように少し変えるのです。
それで、聞いていただき、伝わる歌詞にしていくのです。
苦手な発音。言いにくい言葉というのがあります。
耳になれないというのもあります。
育った環境で、聞き取れない言葉があるそうです。
耳慣れして聞けるようになることが求められる場合もあります。
そして発音できるようにすることも、課題になったりします。
単語を何回か発声する方法があります。
歌詞をなめらかに発音するのに効果的です。
宗教曲の単語の意味と日本語訳
http://jfly.iam.u-tokyo.ac.jp/music/musica_sacra.pdf
宗教曲の発音
ラテン語の発音
合唱歴14年と11か月たちます。
演奏した曲は、200曲はゆうに超えるはずです。
けれども、今でも、日々、学ぶことはたくさんあります。
声を高めたい。望む声を出したい。という願いを抱きつつ、指導者の声に耳を傾け、どうしたら良いのかを、試行錯誤しています。
スポーツでも、同じようですが、皆さん、上を目指し、努力を重ねていることでしょう。
プロの人もアマチュアの人も、自身を磨かんと日夜努力を重ねていることと思います。
プロの声楽家も、よりいい声で歌おうと、努力していると聞いたことがあります。
合唱にも、これで良い。という終点はありません。
演奏は生き物とも言われます。
これで良いと、自分の天井を決めてしまったら、それが成長の停止になります。
成長し続けていないと、キャリアも停止してしまいます。
何年も経った。何回も歌ったと言っても、成長のない合唱団は、誰も聞いてくれなくなるでしょう。
リピーターは、今度はどのくらい成長したのかを確認に来てくれるのです。
難易度のある曲を、どれだけ自分たちの曲にできたか。
その手ごたえを知りたくて、会場に足を運んでくださるのです。
「演奏は、発表会ではありません」と先日、指導者から言葉をいただきました。
日々の努力。たゆみのない生長を心がけることは、プロでもアマでも垣根はありません。
チケットが1,000円だったら、今度は2,000円を目安にするとか、具体的な目標をたてるのも一つの方法でしょう。
良かったよかったと賛辞の言葉しか耳に聞こえないとしたら、それは不幸です。
背伸びするもよし、足元を固めるでもよし。
マイペースで、自身を高めていきましょう。
目いっぱいの背伸びをする必要はありません。
けれども、このくらいでと妥協したら望みはなくなります。
年を重ねても、やっているというだけでは、成長は望めないからです。
貶されたばかりいても辛くなります。
適度に刺激になって、適度に伸ばそうとしてくれる温かい手があれば、嬉しい限りです。
もし、周りにそういう環境がなかったら、自分から呼び込んでみましょう。
強く願えばあなたの前に現れて導いてくれると思います。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ おすすめ、声へのアドバイスサイト ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
饗和音の合唱講座
http://plaza.rakuten.co.jp/hibikiwaon/diary/?ctgy=0
うまくなる合唱のテクニック
http://ameblo.jp/hibikiwaon/theme-10023497586.html
「アートジャム ★声の個性」
http://artjamu.com/voice/nayami/rokuon/
コンビニが新しく出店する時、企業が、新商品を発売する時、様々な折に、人は、選択を迫られる。
判断を要する。
そんな時に、市場調査をしたり、サンプルを作って販売したり、する。
用意を完璧にしても、失敗することはある。
準備を万端整えても、上手くいかないこともある。
そんな、話が興味深い。
裏事情とか、裏話そういう話にも飛びつく。
それで、経営のウソ・ホントも面白そうだと手にした。
人は色々模索をし、様々なことを考え、あれこれ、手を尽くす。
しかしながら手を加えただけ、頑張った分に見合った、見返りがあるとは限らない。
1000の失敗。一つの小さな成功ということもありうる。
この逞しい人々の、地道な努力が暮らしを変える。
しかし、惜しくもすたれていってしまう、こともある。
それが人の世界の面白さか。
『おもしろきこともなき 世をおもしろく、すみなすものは、心なりけり』高杉晋作+野村望東尼
ドラッカーさんが教えてくれた経営のウソとホント
酒井綱一郎
日経ビジネス人文庫
新宿文化センターでの演奏会があった。
満員に近いお客様。
この演奏会は、団員の礼儀正しさが印象的。
指揮者も礼儀正しい。
無理のなお自然にみせる礼儀正しさはみていても気持ちが良い。
半年後に50回目の演奏会があるとのこと。
時間が取れたらまた聴きに、団員の笑顔を見に足を運ぼう。
演奏については、少し不満が残った。
2部の初めから、なにやら、雑音が入り、二部の終わり近くまで続いたことに、せっかくの
気分が台無しになった。
主催者側のもんだいではないことに、かき乱されるのはなんとも残念。
けれども、引っかかった問題は、ここにもあった。
2部の演奏が終わった時に、男性から「ブラボー!」との声が。2度あった。
たぶん女性の奏者にたいする賛辞のことと思うが、「女性なのに、・・・」と気になった。
ブラボー は男性
ブラバー は女性
ブラビー は複数 と聞いていたので、違うのではない? と。
区別は差別になるかもしれないと思う身にとっては複雑です。
こういうサイトが。
TVで後半を観た。
初めから見たいと思い、ネットでDVDを借りた。
YOUTUBE版だとDVDなしで観られたが、別のDVDも借りたかったので、2枚とも借りることに。
「ティモシーの小さな奇跡」は期待通りだった。
初めは日本にある一寸法師とか桃太郎版かと思ったが、違う物だった。
メルヘン。ウォルトディズニーらしいほのぼの物語との印象。
内容は、紹介しないことにする。
一度くらいは観たい話の一つに推薦。
ティモシーの小さな奇跡 本編プレビュー映像(約10分)
『荷車の歌』のDVDを観た。
何回目になるだろう。
見るたびに、ハンカチが要る。
見るたびに色々考えされられる。
大東亜戦争の頃の、某家庭の喜怒哀楽。
隣近所との助け合いやら、悲哀。
平凡な妻の目を通して言葉で語られる、半生記。
日常の普通の出来事。
深い意味を持った、時代の翻弄のなかで、人は逞しく、時代を生きていく。
それは、周りの人々との絆や、営みのなかで、人は決して一人だけで生きていくものではない。
今回は、そんなことを考えた。
いくつかの童謡などが澄んだ声で斉唱される。
懐かしい一つがYOUTUBEにあった。
からすの赤ちゃん 川田孝子 カラ
gooブログを開設してからまもなく6年になる。
我が家にデスクトップpcが来てエクセルを教わった。
パソコン通信とインターネット、イントラネットの区別もよくわからないまま、ネットサーフィンにはまった。
サーフィンをたっぷり堪能して次に手を出したのが自分のホームページ。
無料で開設できるというサイトを探して、簡単サイトを立ち上げた。
FTPもよくわからず、PC-VANとビッグローブのこともよくわからずにとにかくホームページを開設。
はじめは、ローカルとか言われてもよくわからず、マイマシンのデータを送り始めてしまい、さすがに、あわてて、中止をかけた。
一部送られてしまったデータをどうすればよいのかわからず自宅の情報処理技術者に助けを求めた。
それでも、懲りずに、幾つかのブログで簡単な情報発信を始めた。
知人の開設しているブログを何度か、見ていて、gooブログに引っ越すことに。
引っ越しの仕方がよくわからず、IPの数字を変えられることにまで気が回らず、gooブログに変更した。
その頃には、趣味のグループや、活動の情報の場としてのホームページをいくつか、運営していた。
でも、それは、グループとしての情報公開であり、活動の場だった。
自分の考えや意見を発信したかった。
ネチケット、をわきまえた大人の情報。
誹謗や中傷でない、正当な意見の場として、の運営を信条とした。
本来なら相互の意見交換ができる場としての提供が望ましいのだけれど、掲示板への嫌がらせとしか思えない書き込みや、出会いを求めているのか、吐き気が起きそうな書き込みが某サイトに、氾濫し、掲示板を閉鎖する事態を経て、已む無く一方通行の発信として、運営してきた。
サイトの運営状況、もTwiter、facebookなどが目覚ましい進出を見せてきて、呟きたいユーザーの場が整備され、webの技術もどんどん躍進をするようになり、一方通行だけのサイトの運営から背中を押されて一歩外へ踏み出す運営へとよっやく変わり始めた。
最近では、未知のブログを見に行ったり、コメントを書いたり、読者になったり。
これは、進化なのだろう。
2万人以上の死体にふれてきたという筆者の、体験、思い、驚き、発見。
知らないことって、まだまだたくさんあるのだと、再認識。
様々なことを学んだ。
死体の教科書
―「8何の原則」が謎を解く―
上野正彦
朝日文庫
ISBN978-4-02-261778-1
高校生の頃、「橋のない川」という映画を見たことがある。
白黒の映像が、最後に映し出された太陽が赤く燃えているのに、いいようのない感動を覚えた。
エタとか、そんな言葉を何度も反芻した。
人には、身分があって、士農工商と言われた時代があった。
職業の差別、人の身分に差別がなくなったとされた時代にも平民、などと、称された。
人の心に潜む他人への差別。
これは人が作り出し、再生産される人為のもの。
生まれ育ちに、とやかく言う人。気にする人は多い。
しかし、差別の材料とする者は、なんでもネタを探し出す。
いわれのないことでも、よくそんなことをと思えるような些細なことでも、差別は、優越感への表れ。
差別は、自身への慰め。
人間の弱さへの防御。
なので、無くなることはない。
無くならないことが、口惜しい。
日本の路地を旅する
上原善広
文春文庫
The River With No Bridge Trailer 橋のない川 予告編