ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

コムドー58号線

2011年01月03日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 沖縄島の西海岸を走る国道58号線は、鹿児島市を起点として南下し、何度も海を渡りつつ、種子島、奄美大島などの島々を伝いつつ、沖縄島へ上陸し、北部、中部の市町村を縦断しつつ南部へ入り、那覇市の南で終点となる。
 国道58号線は、沖縄が本土復帰する前は1号線と呼んでいた。幅の広い長い一本道は占領軍が作ったものである。幅の広い長い一本道は、那覇から嘉手納までのいたる所で長い直線ともなっている。臨時の滑走路に利用できるためにとの米軍の意図らしい。
 当時、一般には1号線と呼んでいたが、正式には、起点の那覇から名護までが米軍の管轄する「軍用1号」、名護から終点の国頭村奥までを「琉球政府1号線」となっていたらしい。1号線は沖縄島の大動脈であり、子供も知っている有名な道であった。

 1号線は大動脈らしく、朝夕のラッシュ時、休日の行楽帰りなどの際、著しく混んだ。それは、58号線と名前を変えてからも同じであった。復帰して数年後、沖縄海洋博公園の夏の大イベント、花火大会を観た帰り、会場から那覇までずっと渋滞だったことを覚えている。渋滞の嫌いな私はそれに懲りて、以降、そのイベントに出かけていない。

 私は車の運転が好きでない。車の運転は気を使うからである。現場への往復、同乗者がいる場合、同乗者がアルバイトでは無く正社員の同僚である場合は、たいてい、私は助手席に座る。助手席に座って、主に妄想に耽る。運転しながらだと、なかなか妄想に耽ることができない、だから、私は車の運転が好きでない。
 渋滞の時、ノロノロ運転と言えど、気を使うのは同じである。渋滞のときでも妄想に耽ることはできない。渋滞の時は、妄想に耽ることのできない時間が長く続く。なので私は渋滞が嫌いなのである。他人が運転しての渋滞はそう嫌いでは無い。

  二ヶ月ほど前、国道58号線を夕方、久々に車を走らせた。夏が来るたびに、「夏ってこんなに暑いのか!」と腹が立つのと同様に、「58号線ってこんなに混むのか!」と腹が立った。車を走らせたが、車は走らず、ノロノロ歩いた。
 復帰後、たくさんの新しい道ができたのにも関わらず、モノレールができたのにも関わらず、国道58号線は、沖縄島の大動脈に変わりはないようであった。その日、あまりの混みように腹の立った私は、国道58号線にコムドー58号線と渾名をつけた。

 沖縄へ観光に来た際、那覇空港から那覇市街、首里へ行く場合は、国道58号線をちょっと通る。中北部のリゾート地へ向かう場合は、ほとんど全て国道58号線を通る。通る時間が朝夕のラッシュ時である時は、観光客も、コムドー58号線を経験できる。
     

 記:ガジ丸 2007.8.21 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


ブチクン

2011年01月03日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 私の敬愛する漫画家の一人に、いしいひさいちがいる。彼の本は、私の部屋にある漫画本だけでなく、その他文芸書、仕事に係わる書籍、美術音楽関連の全ての中で断トツに多い。ちゃんと数えてはいないが、おそらく100冊近くはある。
 いしいひさいち作品はほとんど好きで、特に時事問題を扱っているものが好みで、『いしいひさいちの問題外論』は愛読していた。他に忍者もの、武芸人もの、地底人ものも大好きである。その他のものについては、読んだことはあるが、蔵書にするほどの愛情は持てなかった。そんな、あまり愛情の持てなかったものの中に『タブチくん』がある。
 で、表題の『ブチクン』、その『タブチくん』に対抗して「ぶち犬を主人公にした面白い話」や「沖縄の県魚グルクンの親戚ブチクン(なんてのはいないが)を主人公にした面白い話」なんてことも想像できるが、そんな大それた意図は、私は持っていない。

 ブチクンは沖縄語辞典にも載っている由緒正しきウチナーグチ(沖縄口)で、
 ①卒倒、気絶。②気分が悪いこと、元気の無いこと。
という意味。語源は書かれていないが、素人の私が推理すると、クンは根気のこと、根気のことをクンチとウチナーグチは発音する。クンチを略してクン。ブチは「仏」という意がある。仏壇をウチナーグチではブチダンと発音する。ここではしかし、その意味では無いと思う。沖縄語辞典に載っていないのでウチナーグチにあるかどうか不明だが、ブチは没のウチナーグチ発音ということにしたい。ブチクンは没根気ということになる。

  今日は7月7日。二十四節気の小暑。23日には大暑となる。太陽のギラギラが最高潮に達する季節となった。こんな日の日中、ギラギラ太陽の下で肉体労働をすると、ウチナーンチュの労働者たちは大量の汗を流しながら、肩で息をしながら、
 「ブチクンないっさー」と言い合う。その気分は、あまりの厳しさに「気絶しそうになるなあ」ということである。この時期は実際に、熱射病で気絶する人も多い。
 ブチクンは、主に肉体が疲労困憊した時に使われる。肉体が激しい痛みで参っている時には主に「シニハンジャー」という言葉が使われる。沖縄の夏の太陽を甘く見て、激しく日焼けをした時など、その痛さに「シニハンジャースン」と喘ぎ声が出る。
     

 シニハンジャーはシニハンザーがより近い発音表記のようで、その意味も正確には「死に損なった者」のことを言う。「死に損なう」はシニハンズンと言う。ハンズンは外れるということで、死から危うく外れたという意味となる。
 だから、我々が口にする「シニハンジャースン」は、間違った使い方となる。ハンを半と誤解して「半分死にそう」という意味で使っているものであろう。ウチナーグチで半死は、和語の直訳でハンブンジニと言う。

 さて、連日、炎天下の肉体労働でブチクンになっている私は、家に帰ってから本を読むなどという元気は全く無い。いやいや、本を読まないのはブチクンのせいでは無い。じつは、老眼のせいである。大好きな『いしいひさいちの問題外論』も長いこと続きを買っていない。1999年9月発行の17巻で止まっている。その頃私は老眼になっている。
     

 記:ガジ丸 2007.7.7 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


ちょいと良い季節

2011年01月03日 | 沖縄01自然風景季節

 今は2007年7月6日の朝、「サン、サン、サン、サン、サン、サン・・・」とサンサナー(クマゼミ)が激しく鳴いている。サンサナーは真夏のセミという印象を、私だけでなく多くのウチナーンチュが持っているはずだ。「サン、サン、サン」は「太陽、太陽、太陽」と言っているみたいにも聞こえ、「暑いぜ!」とつい思ってしまう。
  私の住まいや職場の周辺では、セミは先ず、シーミーグヮー(くろいわにいにい)の声から始まる。シーミーグヮーは清明小と書き、清明の頃に出てくるセミということ。その後、ナービカチカチ(りゅうきゅうあぶらぜみ)の声が聞こえるようになる。ナービカチカチは鍋の底を叩くような音という意味、鳴き声がそうだということ。ナービカチカチは梅雨明けの頃に出る。今年は早かった。6月15日に職場の庭に出現した。
 文献には、ナービカチカチは6月下旬から、サンサナーは6月中旬からとあり、サンサナーの出現が早いようであるが、私の印象ではサンサナーはナービカチカチの後である。サンサナーの声が聞こえると真夏である。死ぬほど暑い夏。
     

 このところずっと現場仕事が続いている。梅雨の頃は合羽を着ての肉体労働で、サウナスーツを着ての運動と一緒で、したたか汗をかいたが、私の肉体に対するダメージはそう酷いものでは無かった。梅雨が明けて夏となった。合羽を着ることは無いが、したたか汗をかく。沖縄の夏の直射日光は厳しい。肉体に対するダメージも激しくなる。
 私は身長が170センチある。5年前までは70キログラム近い体重だったが、粗食小食に加え毎日のちょっとした運動によって体重が徐々に落ちていき、3年前からはだいたい62キログラム前後となっている。その適正体重が、この時期、現場に出ると60キログラム前後となる。その体重で体脂肪率は12から14%となる。
 その数字だけ見るとカッコいい体型だが、実際はそれほどでも無い。旧日本人の骨格を遺伝している私は顔が大きく、脚が短い。「風采の上がらないオッサン」という表現がピッタリくる。顔デカ短足のオジサンはその上、加齢臭を持つ。去年まで、夏に現場仕事は年に2、3日あるか無いかであったのではっきり気付かなかったのだが、一ヶ月以上も現場が続いている今年は、加齢臭を確実に認識した。汗の浸み込んだシャツや作業着を洗濯して干す。それらが洗濯洗剤の匂いでなく、オジサンの臭いがするのだ。

 我が身の加齢臭を認識したからといって、私が落ち込んでいるなんてことは無い。加齢臭はたいした問題では無い。女性にもてなくなるということはあるかもしれないが、加齢臭のせいで仕事ができなくなるなんてことは無いからだ。問題は加齢臭では無く、体力の衰えである。10年前なら真夏の現場仕事も、そりゃあきついのに変わりは無かったが、ちゃんとこなせたのである。重いのを持ったり、穴を掘ったりの重労働も何とか一日もったのである。今はしかし、重労働に長時間耐えられない。30分動くと10分の休憩を必要とする。重労働そのもののせいでは無い。空に輝く夏の太陽のせいである。
  今のところはしかし、そうやって休み休み仕事をすれば一日の労働は何とかこなせる。家に帰ってビールを飲めば、元気が戻る。ナービカチカチの鳴く頃はまだ、木陰は涼しいし、夜も涼しい。沖縄の梅雨明けは夏至の頃である。その頃からしばらくは南風が吹く。南シナ海から10~15mの南西季節風で、これが涼しさを与えている。この、ちょいと良い季節は梅雨明けから7月の初め頃まで続く。今年はその時期が延びていて、昨夜も良い風が吹いていたし、今(7月6日の朝)も窓から風が流れ込んでいる。
 沖縄の、梅雨明けから10日間ばかりは、ちょいと良い季節となっている。この季節が終わるとあの恐ろしい「含み笑いの季節」がやって来る。
     

 記:ガジ丸 2007.7.6 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


原付天国

2011年01月03日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 職場が忙しく、このところずっと現場に出ている。先週、梅雨が明けたと沖縄気象台が発表した。そして天気はその通りとなって、連日、晴天が続いている。炎天下での肉体労働はきつい。したたか汗をかき、そして、疲れる。
 したたか汗をかくのはしかし、私は好きである。家に帰ってからのビールがすこぶる旨いからである。家に帰って、服を脱ぎ、パンツとTシャツ姿になって、手と顔を洗い、肴を用意して、ビールをジョッキになみなみ注いで、一息でその6割方を飲み干す。汗がまたどっと噴出す。その汗をタオルで拭いながら肴を食い、ビールを飲み、煙草を吸い、ビールを飲む。1缶は約10分後には空になる。ジョッキに泡盛の水割りをつくり、その一杯が無くなる30分後くらいには汗が落ち着く。シャワーを浴びる。その後、もう1缶のビールを飲む。それだけ飲むと、労働の疲れもあって気分はでれーっとなる。でれーっとなると、文章書きやお絵描きは進まない。それらは週末の仕事となる。
 オジーオバーのためのパソコン講義もやっているため、週末は今、とても忙しい。忙しくなった週末、犠牲となったのは畑仕事と散歩。二つとも最近ほとんどやっていない。しかし、忙しくなったために真っ先に犠牲となったのは他にある。
  私の愛されていない愛車250CCのバイクが犠牲となった。1年以上も主人に放ったらかされて、ついに動かなくなった。錆だらけとなり、車体に蟻の巣もできていた。
 バイクは時々手入れしないとすぐに錆びる。その手入れが半日仕事なので、そのうちにと思っている内に1年が過ぎてしまったのである。記事を書いたり、絵を描いたり、調べ物したり、ガジ丸HPのために費やす時間は週に20~30時間である。HPを立ち上げた約3年前からそれは続いている。その時間を得るために、バイクの手入れがおろそかになった。そして、愛されない愛車は、愛されないまま死んでしまったのであった。
     

 バイクがまだ元気だった頃、実家へ用がある時、私は概ねバイクで通っていた。那覇の中心部にある実家から、はずれにある首里までの往復は、道路が混んでいることが多い。バイクだと混んでいても脇からすいすいと走れるのだ。
 那覇首里間に限らず、那覇周辺の道はたいていどこも混んでいる。ラッシュ時の幹線ともなると著しく混む。国際通り、国道330号線、国道58号線、県道27号線など、軒並みメチャメチャ混む。鉄道の無い(今はモノレールがあるが)沖縄では、移動手段の主たるものは車となっている。よって、単位面積辺りの車の占める比率は相当高いのではないかと思われる。ラッシュ時、それらの多くが道に出る。で、混む。
  そういう統計があるのかどうか不明で、確認はしていないが、単位面積辺りに占める比率がおそらく日本一高いのでは無いかと思われるものが他にある。それは、原動機付き自転車、50ccバイクである。道が混んでいると知っているので、車の傍からすいすいと走ることのできるバイクがウチナーンチュには人気なのである。
 倭国から観光で来て、レンタカーを借りて運転する。その車の右から左からバイクがすいすい通っていくのに驚かれた人も多かろう。倭国で多い自転車が逆に、沖縄で少ないことにも驚くかもしれない。自転車は自分でこぐ→疲れる。自転車はバイクに比べ目的地までの到着時間が長い→太陽に長時間晒される→暑い→疲れる。と言ったわけで、怠け者の多いウチナーンチュはバイクを選ぶものと思われる。沖縄は原付天国なのである。
     

 記:ガジ丸 2007.6.23 →沖縄の生活目次


ヒヌカン

2011年01月03日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 前にガジ丸通信で『久高島オデッセイ』という映画の話をしたが、そこでは祈りが日常生活の中にあるなんていうようなことを書いたが、じつは、久高島ほど頻繁では無いが、神への祈りは沖縄島の日常にもある。私の実家でも旧正月や清明祭、旧盆などの年中行事の他、母は月に2度、ツイタチジュウルクニチ(1日、16日)に仏壇とヒヌカン(火の神)へ供え物をし、線香を立て、何やら祈っている。また、街のあちらこちらにあるウガンジュ(御願所)には、誰かが祈ったであろう形跡をよく見ることができる。
 トートーメー(仏壇)もヒヌカンも実家にあり、子供の頃から慣れ親しんでいる。トートーメーには先祖の位牌を祀っており、盆や正月にご馳走が捧げられ、親戚の人たちがやってきて、線香をたてたりするので、あの世との交信場所、または、あの世との連絡口なのであろうという認識を、子供の頃の私は持っていた。
  ヒヌカンについては、ヒヌカンが火の神というウチナーグチであることを知っており、台所にあることから、「火事にならないでね」とか、「食べ物に困らないようにしてね」とかを祈るものであろうという認識を持っていた。それらの認識が当たっているのかどうかちゃんと調べてみようと思い立った。トートーメーは、『トートーメー万歳』なんて有名な沖縄芝居があるように、ウチナーンチュにとっては大切なもの。ぜひ書いておきたいが、これにについては次の機会ということにして、今回はヒヌカン。

 ヒヌカン(火の神)
 台所に祭られる神。普通、3個の石が置かれ、それを神と見なし、崇める。奄美から沖縄、宮古、八重山、与那国まで南西諸島全域に分布する風習。
 呼び名は地域によって、ウミチムン、ウカマ、ピアンガナシなどいろいろある。
 元々は竈そのものを拝したもので、3個の石は竈をかたどったものとのことである。現在では、石の代わりにウコール(香炉)を置くことが多い。実家では、私が知る限り3個の石だったことは無く、ずっとウコールであり、今もそう。
 トートーメー(仏壇)よりもこのヒヌカンの方が歴史はずっと古いとのこと。トートーメーは先祖の霊を祭る場所で、そこはご先祖様である。ヒヌカンはその名の通り神様である。先祖よりは神が先にあり、偉いのである。家庭を守る神として昔からあり、現在でも祈りの際は、先ずヒヌカンから拝し、次にトートーメーとなる。

 写真は実家のヒヌカン、ウチナーンチュの家のほとんどにこのようものがある。常緑の花とコップの水は常時供えられており、旧暦の1日、15日にはお茶とウブク(ご飯)を供える。手前側にコンロがあるが、実家は今、オール電化にしている。薪でもガスでも電気でも、神は分け隔てなく宿る。

 ヒヌカンが「火事にならないでね」とか、「食べ物に困らないようにしてね」を祈るところと上述したが、それらは資料に無く、私の推量である。貧乏だったウチナーンチュには先祖のことを祭るより、今日の食い物のことが大事だったとの推理である。
     

 記:ガジ丸 2007.6.3 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行