沖縄島の西海岸を走る国道58号線は、鹿児島市を起点として南下し、何度も海を渡りつつ、種子島、奄美大島などの島々を伝いつつ、沖縄島へ上陸し、北部、中部の市町村を縦断しつつ南部へ入り、那覇市の南で終点となる。
国道58号線は、沖縄が本土復帰する前は1号線と呼んでいた。幅の広い長い一本道は占領軍が作ったものである。幅の広い長い一本道は、那覇から嘉手納までのいたる所で長い直線ともなっている。臨時の滑走路に利用できるためにとの米軍の意図らしい。
当時、一般には1号線と呼んでいたが、正式には、起点の那覇から名護までが米軍の管轄する「軍用1号」、名護から終点の国頭村奥までを「琉球政府1号線」となっていたらしい。1号線は沖縄島の大動脈であり、子供も知っている有名な道であった。
1号線は大動脈らしく、朝夕のラッシュ時、休日の行楽帰りなどの際、著しく混んだ。それは、58号線と名前を変えてからも同じであった。復帰して数年後、沖縄海洋博公園の夏の大イベント、花火大会を観た帰り、会場から那覇までずっと渋滞だったことを覚えている。渋滞の嫌いな私はそれに懲りて、以降、そのイベントに出かけていない。
私は車の運転が好きでない。車の運転は気を使うからである。現場への往復、同乗者がいる場合、同乗者がアルバイトでは無く正社員の同僚である場合は、たいてい、私は助手席に座る。助手席に座って、主に妄想に耽る。運転しながらだと、なかなか妄想に耽ることができない、だから、私は車の運転が好きでない。
渋滞の時、ノロノロ運転と言えど、気を使うのは同じである。渋滞のときでも妄想に耽ることはできない。渋滞の時は、妄想に耽ることのできない時間が長く続く。なので私は渋滞が嫌いなのである。他人が運転しての渋滞はそう嫌いでは無い。
二ヶ月ほど前、国道58号線を夕方、久々に車を走らせた。夏が来るたびに、「夏ってこんなに暑いのか!」と腹が立つのと同様に、「58号線ってこんなに混むのか!」と腹が立った。車を走らせたが、車は走らず、ノロノロ歩いた。
復帰後、たくさんの新しい道ができたのにも関わらず、モノレールができたのにも関わらず、国道58号線は、沖縄島の大動脈に変わりはないようであった。その日、あまりの混みように腹の立った私は、国道58号線にコムドー58号線と渾名をつけた。
沖縄へ観光に来た際、那覇空港から那覇市街、首里へ行く場合は、国道58号線をちょっと通る。中北部のリゾート地へ向かう場合は、ほとんど全て国道58号線を通る。通る時間が朝夕のラッシュ時である時は、観光客も、コムドー58号線を経験できる。
記:ガジ丸 2007.8.21 →沖縄の生活目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行