20年ほど前までは結婚披露宴なるものにたびたび出席していた。友人たちが世間で言う結婚適齢期にあったからだ。ちゃんとした披露宴は15年前の、模合(相互扶助的飲み会)仲間KT、UT(この2人は同じ年に結婚している)が最後で、軽めのものは同じく模合仲間Mの、一昨年やった披露宴となる。・・・と思っていたが、
ちょっと調べてみたら他にもあった。友人の姪の結婚式と同僚のMの結婚式が2001年に、同じく同僚のTが2003年にやっている。それらの披露宴に私も出ている。従姉の子供たちが2~5年前に結婚し、披露宴もやっているが、酔ったら何する か分らないとでも思っているのか、私はそれらには呼ばれていない。念のため言っておくが、私は酔うとお調子者になってしまうことがまれにあるが、暴れたりはしない。
先日(4月28日)、友人Hの娘の結婚式があり、その披露宴に呼ばれた。本格的な披露宴に出席するのは、よって、同僚のT以来の4年ぶりとなる。
倭国での結婚披露宴に、私は3度参列している。1度目は従姉の披露宴、岐阜で30年ばかり前。それは、小さな会場でこじんまりとしたものだっ た。沖縄の結婚披露宴は新郎新婦の友人だけでなく、二人の両親の友人も呼ばれる。親戚はもちろん、職場からも大勢参列して、200人から300人くらいの人数となる。そういうのが当たり前と思っていた私は、岐阜の結婚披露宴には何か淋しい感じを受けた。でも、倭国の結婚披露宴はたいていそんなものだと周りの人たちから聞いた。
2度目は東京で20年ばかり前。新郎が付き合いの広い人だったため、場所は大きなホテルの広い会場で、たくさんの人が集まっていた。3度目は宮崎で10年ほど前。これは岐阜の時に近く、倭国の一般的な規模の披露宴のようであった。
東京での披露宴は大勢の参加者がいて、沖縄のそれに規模は近かったが、東京を含め、岐阜、宮崎の披露宴と沖縄の披露宴にはさらに違いがある。
沖縄では、新郎新婦の両親は礼服を着るが、その他の参列者は普通のスーツ姿である。また、最近はちゃんとした祝儀袋を使う人も増えているが、以前は薄っぺらな祝儀袋で済ます人が多かった。10年前までは私もそうであった。宮崎の結婚披露宴の時に、それを持っていこうとしたら、その前に立ち寄った鹿児島の友人に、「そんなのここでは使えない」と注意され、立派な祝儀袋に替えてくれ た。
沖縄の披露宴はまた、余興が多い。余興のための披露宴といってもいいくらいである。その代わり、倭国に多いスピーチは、乾杯の音頭の他に新郎の職場代表、新婦の友人代表などせいぜい3、4人である。新郎新婦の友人たちはスピーチよりも余興に力を入れる。いろんな出し物が見られる。観客を楽しませてくれる。
余興の最初はほぼ決まっている。めでたい時に演じられる琉球古典舞踊「かぎやで風」が新郎新婦の親戚の誰かによって舞われる。その後、数少 ないスピーチを挟み、新郎新婦がお色直しをして再入場するのを挟みながら友人、親戚による余興が続く。最後の舞台もほぼ決まっている。新郎新婦、両方の両親を含め、披露宴参列者の有志によるカチャーシーが舞われる。それが終わると舞台には幕が下りる。
その後、新郎新婦が両親に感謝の辞を述べ、二人が退場して、披露宴は終わる。飲みながら食いながら、周りの人々とおしゃべりしながら、余興を見ながら、短くても2時間、長い時は3時間が楽しく過ぎていく。この日は3時間の楽しい時間だった。
記:ガジ丸 2007.4.29 →沖縄の生活目次