先々週、飲み会があった。友人のHとその女房のE子も一緒である。飲み会の場所は首里にある居酒屋、私の家から徒歩30分ほどの距離。集合時間は7時。
夕方、ついでがあったのでHの店に行った。用事を済ませたのは6時前、二人を乗せて私の家まで行き、車を置いて、三人で、飲み屋まで歩いて行く十分の時間があった。
二人には高2の息子がいる。その時間になって、学校にいるその子を迎えに行って欲しいとHが言う。子供を家まで送って、すぐに飲み屋に向かえば10分程度の遅刻で済む。「まあ、その位ならいいか」とHの言うとおりにする。ところが、息子を家に届けると、「息子に晩飯を作ってあげたいから、後30分かかる」とE子が言う。「高2の時、俺は朝晩、自分で飯を作っていたぞ!」と思いつつ、「先に行ってくれ」というHの言葉に従う。彼らに振り回された結果、私は30分遅刻し、彼らは1時間半の遅刻だった。
そもそも、HとE子には、時間に間に合わせようという意識が無いのである。これっぽっちもないのである。遅れてあたりまえ、というか、遅れたいのである。何故だかは不明だが、まあ、ウチナーンチュの性(さが)とでも言うしかない。
Hが幹事で飲み会を開くこともたまにある。その際、私と相談して話を決めることも多い。「じゃあ、集合は7時半ということで」と私が言うと、「おー、皆には7時集合って連絡しておくよ」と彼は答える。そのくらいがちょうど良いと言う。ウチナータイムとは、ウチナーンチュは時間に遅れるのがあたりまえで、沖縄の時間は常に遅れているというようなことを表している。Hのウチナータイムは30分遅れということになる。
ウチナータイムは確かに存在する。H(彼より女房のE子の方がもっとひどいが)のようなウチナーンチュは今でも多くいる。であるが、昔に比べるとだいぶ良くなっている。昔はホテルの結婚式などでも30分遅れはよくあった。最近(10年前か、あるいは20年前くらいからか)はもう、そういうことは無い。仲間内の忘年会などでもHのような数人を除いては概ね時間通りにやってくる。最近のウチナータイムはよって、平均して5分から10分遅れといったところであろう。その程度は何の問題も無い。・・・ということはつまり、私のウチナータイムは5分から10分遅れということである。
HやE子との飲み会があったその一週間前、アメリカから帰省している姉と飲み屋で待ち合わせた。私は約束の時間に5分遅れた。テーブルに着いてビールを頼み、そのビールを半分ほど飲んだ。約束の時間から20分が過ぎた。ここで、「おかしい」と気付く。姉はそう遅刻しない人である。20分も遅れることは無かろうと店内を回る。奥のテーブルに彼女はいた。約束の時間の少し前には来ていたとのことであった。
姉はアメリカ生活が長い。人生の半分以上はアメリカである。アメリカ生活が長いからというわけなのかどうかは不明だが、少なくとも沖縄生活から長く離れているからという理由は当てはまるに違いない。彼女からはウチナータイムが消えている。
記:ガジ丸 2007.1.30 →沖縄の生活目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行