ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

鉄錆水

2011年01月07日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 塩分を摂り過ぎると高血圧、糖分を摂り過ぎると糖尿病になる。何にせよ摂り過ぎは良くないということ。饅頭より煎餅、ケーキよりポテトチップスが好きな私は、高血圧に気をつけなければならないが、全体の食事量が少ないので、たぶん大丈夫。
  摂り過ぎという点では、ニコチン(1日に10本近くタバコを吸う)とアルコール(平均して、週にビール350ミリリットル4缶、泡盛の水割り4、5杯、ウィスキーの水割り2、3杯、日本酒3合、ワイン1本を飲んでいる)がある。これらも健康に悪影響を与えるであろうが、「楽しくなければ人生じゃない」と思っているので、快楽と健康との折り合いを考えての量である。それで病気になったら諦めるしかない。

 もう一つ、摂り過ぎかどうか調べたことは無いのだが、たぶん、平均よりだいぶ過ぎているであろうと思われるものがある。それは鉄分。
  これは別に鉄分が大好物というわけでは無い。快楽を求めてのことでは無い。また、鉄分が足りないと感じて、積極的に鉄分を摂取しているわけでも無い。私は、私が記憶している限り、2日徹夜した後に1回、酔っ払って2回、ぶっ倒れた経験があるが、眩暈がして倒れたなんてことは無い。貧血は私の体には無縁の言葉だ。
 鉄分の摂り過ぎは、私のせいではなく、アパートのせい。倭国はどうか知らないが、沖縄の古い建物の水道管は鋼管が用いられている。年月が経つとその鋼管の内部が錆びて、水道の蛇口をひねると錆の混じった水が出てくるというわけ。部屋の水道の水が赤いということは、ここに住み始めた15年前から私は気付いていた。

  三ヶ月ほど前、アパートの、私の部屋の水道パイプ交換工事が行われた。「水道の水に鉄錆が混じっている。」と私が大家に訴えたから、というわけでは無い。
 私の部屋は2階だが、その真下の部屋が、天井から水漏れしていて、私の部屋の水道パイプが怪しいと水道工事屋さんが判断しての交換工事。水道工事屋さんの判断は正しかったようで、工事終了後、水漏れは収まった。ただ、そこで私は大きな勘違いをした。「パイプが鋼管から塩ビに替わったので、もう鉄錆水は出ない。」と。
 それまで、飲料用(飲み水、水割り水、味噌汁、 お茶、コーヒーなど)として利用する場合は、水道の蛇口をひねって、しばらく水を出して(洗い物などをして)から使っていたのだが、「もう鉄錆水は出ない」と信じ込んでしまったので、工事が終わってからの、この三ヶ月間は、飲料用も蛇口をひねってすぐのものを使っていた。
     
     

 「何か、色がついているような気がする。」とは何度か思ったのだが、「パイプをとり替えたんだ、気のせいだろう。」ということにしていた。しかし、今日(6月17日)の夕方、「やはり、色つきだ。」とはっきり認識して、そして、やっと気付いた。
 私の部屋の水道パイプは新しいのに替わったが、本管から建物にやってくるパイプは以前と変わっていない。40年も前の古い鋼管パイプのまま、内部が錆だらけとなっている鋼管パイプのまま、私はこの三ヶ月、たっぷりと鉄錆を摂取したということ。
 鉄分を摂り過ぎるとどういう病気になるのか不明だが、もしも私の体に何らかの不調があるとすれば、タバコや酒の他に、鉄錆が原因ということが考えられる。
     
     

  記:ガジ丸 2009.6.17 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


季節の鳥(冬)

2011年01月07日 | 沖縄01自然風景季節

 11月下旬から12月にかけて、家の近辺、職場、散歩道、新都心の公園などでウグイスを多くみかけた。ウグイスは春の鳥だとばかり思っていたので意外に思った。
  今年の1月は寒い日が多かったのだが、地鳴きのチョッチョッチョッはずっと聞こえていて、異常な暖かさとなった2月になると、再び活発に飛び回るのが見えた。
 参考文献にもウグイスは留鳥とあるので、春以外の季節に飛び回ったって別に不思議では無いのだが、この冬はいつもより数が多いように感じた。あるいは、じつは、そう感じたのは錯覚で、冬は元々、ウグイスが活発に動き回る季節なのかもしれない。やがてやってくる恋の季節を待ちわびて、ワクワクしている季節なのかもしれない。
     

 冬の鳥としてはサシバが有名。サシバが勇壮に飛んでいるのを見ると、「あー、冬がくるんだなぁ。」と思う。サシバは本土で夏を過ごし、秋、南へ渡る。沖縄はその中継地となっている。中には、「もう疲れたぜ」と中継地で越冬する根性無しのサシバもいる。根性無しは少なくない。毎年、職場の近辺、末吉公園などで何羽も見かける。
 ところが今年は、サシバの姿が一向に見えない。今年は1度も目にしなかった。昨年の12月、明けて1月にはとても寒い日があった。「何だ、沖縄は寒いじゃねーか、もっと南へ行かなくちゃ。」とサシバたちは思って、沖縄には立ち寄らず、通り越していったのかもしれない。2月の異常な暖かさを、サシバたちは予想できなかったようだ。

  前回の冬、一昨年の12月頃に初めて知った鳥がいる。それまで食えない鳥には興味が無く、よほど身近なメジロ、スズメ、ハト、ヒヨドリなどの他、名前を認識できる鳥はほとんどいなかったのだが、HPを始めてからは、私もいろいろと覚えた。
 その時の鳥はシロハラ。シロハラは全くの冬鳥である。冬になるとやってきて、春になると去っていく。文献によると、沖縄へいるのは11月から3月にかけてとのこと。
 で、この冬もシロハラはきちんとやってきた。しかも今年は家の近辺、職場、散歩道、末吉公園などでとても多く見かけた。いつもより数が多い、と感じ たのはしかし、実際に数が多いのでは無く、私自身がそれに気付くことが多くなったからかもしれない。以前に比べて、私の鳥(に限らず植物、動物全般)に対する関心が強くなっていて、まあ、はっきり言って、自然の動きに敏感なオジサンになってしまったからかもしれない。

 私の生活している周りには多くの鳥がいる。以上挙げた他にも、シロガシラ、イソヒヨドリ、キジバトなどは普通にいつでもどこでも見かける。まれにだが、カラス、ズアカアオバトも見かける。これらは留鳥。ツバメも文献には渡り鳥で、沖縄には春と秋に多く見られるとあるが、冬も多い。私の感覚では年中たくさんいる。

 以上、自然の動きに敏感なオジサンになってしまった、かもしれない私が、一人で検討した結果、沖縄の冬鳥というと、その代表はシロハラということになった。
     
     

 記:ガジ丸 2009.2.25 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


劣悪コンクリート

2011年01月07日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 高校卒業後、一年間浪人して翌年の春、大学受験のために上京した。沖縄島を離れたのは高校の頃、近くの慶良間諸島、ちょっと離れた久米島などへ行っているが、沖縄県を離れたのはこの時が初めて。飛行機に乗るのも初めてのことであった。
 それまで、テレビや映画で、映像としては見ているが、生では初めてのものをいくつか目にし、感動したのを覚えている。最初に上空から見る沖縄の海、そして眼下の雲海、それから、飛行機が羽田へ向かって降下していく時に見えた倭国の建物。
 映画『ゴジラ』でゴジラが、テレビ『ウルトラマン』で怪獣達が、蹴散らし、踏み潰していくおもちゃのような建物がそこにあった。怪獣に踏まれてベチャっと潰れる建物がそこにあった。「あー、あれは、それほど大げさではなかったんだ。」と納得する。
 沖縄の建物はコンクリート造りが多い。私が『ウルトラマン』を観ていた小学校の頃でも多くがそうであった。コンクリートは、いくら怪獣が踏んづけたとしても、ガラガラ、ボロボロと崩れ落ちるだけで、ベッチャとはなるまい。なので、怪獣達によって建物がベチャっとなるシーン、沖縄の少年にはなかなか想像しにくいのであった。

  私が小学校1年までは、我が家はトタン屋根の木造、しかも借家、それも我が家代々の土地から離れた場所にあった。が、私が2年になった頃、道楽者の祖父から家長の座を譲り受けた働き者の父は、コンクリートブロック造りの家を、我が家代々の土地にあたる今の場所に新築した。さほど大きくは無いが、2階建ての、まあまあ立派な家。
 その頃、父はまだ三十歳を過ぎたばかり。働かない両親と、働かない子供3人をコンクリートの家に住まわせ、養った。もちろん、母の力はさらに大きい。職業婦人として忙しく働いて家計を助け、その上、両親、夫、子供の面倒をみた。
  そうやって夫婦二人、奮闘努力して建てたコンクリート造りマイホームはしかし、建ててからすぐ(1年後か2年後か、はっきり覚えていないが)に雨漏りがした。
 2階は半分が室内で、半分はベランダとなっている。大雨が降ると、そのベランダのコンクリートの床から水が漏れ、1階に滴り落ちた。
 コンクリートから水が漏れるのは、コンクリートの質が悪い、コンクリートを施工する際の業者の腕が未熟だった、などの原因が考えられるが、父と母の努力の結晶であるその家も、20年持たずして建替えられたので、今となっては調べようも無 い。

 1972年に沖縄が祖国(倭国が琉球の祖国かどうかについては異論もあるが、一般的にはそう思われている)復帰して、1975年には一大イベントである沖縄海洋博覧会が開催された。その頃、海洋博をあてこんで(ホテルなど)沖縄は建設ラッシュとなった。ちゃんと調べてはいないので確かなことは言えないが、噂では、その頃建てられた個人のコンクリート造り建物はコンクリートの質が劣悪とのことである。
 建設ラッシュで、コンクリートの原料の一つである砂が間に合わない。で、海砂を、洗わずにそのまま用いたらしい。コンクリートに塩分が含まれていると鉄筋が錆びる。鉄筋は錆びると太る。太ると周りのコンクリートが割れる。終いには、崩れ落ちる。
 劣悪コンクリートを用いたらしい建物は、今でも見かける。何しろ、築40年ほどは経っていると思われる、私の現在の住まいであるアパートがそうである。
     
     
     

 記:ガジ丸 2009.2.21 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


牧志市場

2011年01月07日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 親を伴わずに一人で街へ出かけるようになったのは、中学になってからだと記憶しているが、当時、それは冒険であった。中学の頃、私は何度か、カツアゲにあっている。歩いていると、後から急に肩を組まれる。傍から見るといかにも友達といった感じ。肩を組んできたのは全く知らない奴、同じ年頃か、2、3つ年上。奴は小さな声で、「ちょっとこっちへ来い。」と言い、建物の陰、または、デパートのトイレなどに連れ込んだ。
  ここで言う「一人で街へ出かける」の街は、概ね牧志である。今では那覇新都心という遊び場が別にあるが、当時は、遊びに行くというと牧志と決まっていた。牧志には、少年が喜ぶ遊び場所、少年が欲しがる商品を売る店がたくさんあった。なので、少年達は牧志へ出かけるのだが、そこはまた、危険に遭遇する可能性も高かったわけである。

 那覇のメインストリート国際通りは、東端の安里から、牧志、西端の松尾、久茂地とそれぞれ呼ばれる地名に分かれる。いつ頃までかはっきり覚えていないが、少なくとも私が浪人の頃までは、牧志に2軒、松尾に1軒のデパートがあり、安里に1軒、牧志に4軒、松尾に1件の映画館があり、安里から久茂地までたくさんのパチンコ屋、スロットマシン屋があり、中高生、大学生に必要な本屋、文具屋、楽器屋、レコード屋がいくつもあり、中高生、大学生の溜り場となる喫茶店、レストランなど飲食店も多くあった。
 牧志は国際通りの中央部辺りに位置し、若者の需要となる店が最も多くあった。牧志の真ん中、国際通りに面した場所にデパート三越がある。私の実家から三越までは徒歩15分足らず。牧志での待ち合わせ場所、今の若者たちはオーパという名のファッションビルらしいが、オジサンオバサンたちは概ね三越前である。
 三越デパートは、私が小学生の頃は大越という名前で、東宝映画館もその中にあった。そこから別の映画館、今の桜坂劇場も含めて徒歩5分圏内に5軒の映画館があり、どの映画館へ行くにも、牧志は私の通り道となっていた。
     

  三越の正面にアーケードのかかっている道がある。平和通りという名前。現在は観光客の方が多いが、以前はウチナーンチュの買い物場所で、その西にある市場本通りも含め、壷屋通りまでの一帯を牧志市場と私は認識していた。「母ちゃん、ズボンが欲しいんだけど。」と言うと、「牧志の市場に行こうね。」となり、その辺り一帯へ出かけた。
 『沖縄大百科事典』によると、牧志は「平和通り商店街、公設市場、新天地市場、水上店舗、桜坂、十貫瀬の歓楽街を有し・・・」とある。公設市場は有名なので説明の必要は無いと思う。新天地市場は平和通のすぐ西に隣接し、ごく小さな店が並 んでいる。水上店舗は川の上に建てられたビルで、多くの店があり、その2階にあった卓球場やビリヤード場を私はよく利用した。桜坂は桜坂劇場のある一帯で、大人の男の遊び場。十貫瀬はジッカンジと読む。私の実家から三越へ向かう途中にある。ここも桜坂と同じ歓楽街。

 牧志市場は細い路地がたくさんあって、店舗も無数にある。ゴチャゴチャしているが、そういうところが観光客に人気があるのかもしれない。10年ほど前だったか、沖縄を何度も訪れているという女性に市場の中を道案内されたことがある。土着民の私でも面倒に思うゴチャゴチャした街、好奇心旺盛な若い女性にとっては魅力的なのであろう。
     
     

 記:ガジ丸 2009.2.8 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


花見

2011年01月07日 | 沖縄01自然風景季節

 倭国で盛んなお花見、沖縄の伝統には無い。とはっきり言い切っていいのかどうか判らないが、少なくとも沖縄での私の歴史、私の周辺には無かった。
 倭国のお花見、私の初体験は、大学に入って、東京暮らしをしてから。吉祥寺に住んでいたので、井の頭公園で大学の友人達とやっている。2、3回はやっていると思う。同じ頃に、熊本でもお花見を経験している。当時熊本に住んでいた従姉一家を訪ねた折、熊本城の夜桜見物に連れて行ってもらった。良い思い出となっている。

 その従姉の別荘で、この日曜日(18日)、お花見があった。当時熊本に住んでいた従姉も今は沖縄在である。その別荘も沖縄。招待されたので、私ものこのこ出席する。
  花見といっても酒宴ではなく、茶席。従姉に師事を受けているという従姉の長男の嫁が茶を点ててくれた。習って間もないということで手元は覚束なかったが、すらっと背の高い美人である。その姿は見事。「結構なお点前」であった。
 花見といっても花は桜ではなく、梅。沖縄では珍しく、従姉の別荘の庭には梅が見事に咲いていた。平安の昔は、花と言えば梅であったらしい。なのでおそらく、花見の花も梅であっただろう。よって、梅の花の花見、古式床しきといって差し支え無かろう。
     

 「沖縄では珍しく」と書いた通り、沖縄で梅の木、梅の花はあまり見ない。街路樹や公園、民家の庭に桜(ほぼヒカンザクラ、ソメイヨシノはほとんど無い)は多く見るが、梅は民家の庭でまれに見る程度。よって、沖縄に梅の花を愛でる風習は無い。
 前述した通り、伝統的では無いのだが、桜の花を愛でる行事はある。名護の桜祭り、本部の桜祭りなどが有名である。那覇市の与儀公園でも桜祭りをやっている。沖縄の桜は緋寒桜という種類で、ソメイヨシノとは逆に寒い所から順に咲いていく。で、名護や本部の桜祭りは間もなく、与儀公園のそれは2月中旬となる。
 本部八重岳の桜を若い頃一度観に行ったことがある。倭国の花見とは違って、酒宴という雰囲気では無かった。与儀公園の桜祭りには行ったこと無いが、そこは普段から人の多い場所だ。交通の便も良い。そこでの花見は酒宴となっているかもしれない。

  従姉の別荘での梅の花見、梅の花はきれいで、微かに甘い匂いを漂わせて、気分的には酒を飲む条件は揃っていた。が、酒は出なかった。もっとも、車を持っていた私は、酒が出ても飲めなかったのであるが、ちょっと残念な気分であった。
 2月になると、近所の桜も咲きだす。私の部屋からは向かいの桜が見える。毎年きれいに咲いてくれて、私の目を楽しませてくれる。もちろん、その花を愛でながら、私は毎年一人花見をやっている。それは数日間続く。「一人で花見は淋しかろう」なんて気遣いは要らない。一人でも二人でも、花はきれいだし、酒はいつも旨い。
     

 記:ガジ丸 2009.1.21 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行