かねてから考えていたことを、今年は実現に一歩近付ようと一年の計として決めた。一歩近付けるのである。実現は来年以降の話である。鬼が笑うが。
先ず、計画を文書化し、スケジュールを立てる。そして、実現に必要な情報を集め、具体的な方法を考え、決定し、スケジュールに組み入れる。予算や時間に無理が無いと判れば、実行する。絵に描いた餅にはしないつもり。予算や時間に無理が無いという条件下では、やはり、実行は来年以降となりそうなのである。鬼が笑うが。
芋を作る。塩の作り方を覚える。以上を最初の目標とする。芋があり、塩があれば少なくとも生きていける。その次に、水の確保(雨水などを溜める)、トイレを作り、小屋を建てる。衣食住の住とい うことである。これについては10年後の目標となる。
『芋の時代(ンムヌジダイ)』という琉球民謡がある。古い唄だが、私は、2、3年前に民謡スナックで飲んでいた時に聴いて、初めて知った唄。その時に「良い唄だ」と気に入ったのだが、今、その曲や歌詞を思い出すことができない。その曲が収録されているCDも手元に無い。が、工工四(くんくんしぃ:琉球民謡の楽譜)はある。
『芋の時代』は歌詞が5番まである。その5番を和訳の意訳をすると、
三度三度の食事を芋と塩でお腹を満たし、生き延びてきた。
それは親のお陰、その恩を忘れてはいけない。
となる。歌全体の大意も概ねそういうことになっている。
昔の沖縄では、庶民の主食は芋であったらしい。戦中、戦後のしばらくもそうであったらしく、私の父は子供の頃ずっと芋ばっかし食わされたと聞いている。
私が子供の頃はもう、三度三度の食事は概ね白いご飯であったが、芋の食卓も稀にあった。芋を主食として、汁物がつき、おかずはスクガラス(小魚の塩辛)、またはスクドーフ(豆腐の上にスクガラスを乗っけたもの)などがあった。塩辛は塩分たっぷりである。『芋の時代』の歌詞にある「芋と塩でお腹を満たし」に近い食事であった。
芋はデンプン質が多く、米などの穀物と同等の主食になる。さらに。ビタミン・ミネラル・食物繊維が豊富で、野菜の代わりにもなる。これ一つでご飯とおかずを兼ね備える優秀な食品なのだ。足りないのはタンパク質くらいらしい。タンパク質は豆腐に豊富。そうか、だから我が家の芋食卓にスクドーフが添えてあったわけだ。
沖縄では芋の葉も食べる。芋の葉のことをカンダバー(蔓葉)と言い、カンダバージューシーは子供の頃何度も食べている。今回参考にした『甘藷の文化誌』には、カンダバーも含めて、芋の食べ方もいろいろと紹介されてあった。このHPでも既にウムクジソーミンを紹介しているが、芋のデンプンからは麺も作ることができる、などとわざわざ述べるまでも無い。芋のデンプンは春雨の原料にもなっている。
なお、芋は単位面積当たりの供給熱量が米の約2倍あるらしい。つまり、1人が生きていくための量を、芋は米の半分の面積で供給できるということ。そういったことも含め、芋が不況の世の中を救う作物になるかも・・・といった話は後日、別項で。
記:ガジ丸 2009.1.1 →沖縄の生活目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『甘藷の文化誌』比嘉武吉著 比嘉菊発行