ガジ丸が想う沖縄

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弱き人々を救う映画『あん』

2018年05月24日 | 通信-音楽・映画

 約30年前、それまで籐家具を製作していたが、廃業して空き家になっていた建物があり、そこを「管理する」ことを条件に只で借りて、趣味の木工をやっていた。籐家具製作所だったので、木工機械がいくつもあり、木工をやるには好都合であった。
 建物の持ち主は、正式名称は忘れたが、沖縄県の公益財団法人でハンセン病に関わる施設を運営している団体。籐家具工房もたぶん、そこの管理経営だったと思う。
 その団体の職員の1人が高校の同級生で友人のK、私が木工が好きということを彼は知っていて、建物は「いつか整理処分するけどしばらくは空いている、使わないか?」と勧められて、「渡りに船」と応諾し、1990年前後の1~2年そこを使っていた。
     
 その間に、ハンセン病に関わる施設の関係者とも何度か顔を合わせ、話をしている。元患者であったという人達も多くいた。ハンセン病はライ病という名でも私は知っており、中学生だったか、高校生の頃だったか『ベンハー』というアメリカ映画を観て、ライ病は伝染性があり、患者は差別対象となる病気であったことを知っていた。しかし、
 「ハンセン病は危険な伝染病では無い」と、友人Kから教わっていたので、元患者の人達と会話したり、肌が触れ合ったりしても、さほど嫌だという感情は持たなかった。Kからは他にも、昔はライ病が差別対象の病気であり、、日本でもライ患者は差別され、沖縄には沖縄島の北部、屋我地島に患者の隔離施設があるということなどを教わる。だけど、もうその頃、1990年頃は、友人Kが言う通り「ハンセン病は危険な伝染病では無い」と認知されて・・・いたのか?・・・今、ネットで調べたら「らい予防法」が廃止されたのは1996年とのこと。まだ、20年少ししか経っていないのかとビックリ。

 最近、ハンセン病患者が不妊手術を強制されていたというニュースを聞いた。病気に対する偏見が酷かった頃の話なんだろうなと、さほど深くは考えなかったのだが、それとは全く関係無く、私は1枚のDVDを図書館から借りていた。DVDは映画『あん』。
 『あん』がハンセン病に対する偏見差別を題材にしていることは全く知らなかった。私がそのDVDを手に取ったのはその表紙に惹かれたから、表紙には樹木希林が大きく写っていて、彼女が主役らしかったから。彼女に私は魅力を感じていたから。
 映画にはキャッチコピーがあった。「やり残したことは、ありませんか?」と。それを見て、「老婆が人生の仕上げに挑む映画かな?黒澤明の『生きる』みたいなものかな?」と思いつつ観る。観終わって、私は心暖かくなり、とても満足。良い作品でした。

 映画『あん』はハンセン病が関わる物語で、今(映画の時代は現代、せいぜい10年ほど前か?)でもなお、ハンセン病に対する差別意識が残っているのかと感想を持つが、それは、私にとってはさほど強い思いではなく、「朝鮮人というだけで差別意識を持つ人もいるんだから、そういう人もいるんだろう」程度の思い。私がこの作品で強く心に残ったのは、樹木希林演じる吉井徳江のセリフ、映画の最後の方に出て来るセリフ。
 「私達はこの世を観るために聴くために生まれてきた。だとすれば何かになれなくても私達には生きる意味がある。」、これを聞いた時、不覚にも涙ウルウルした。
 「観るために聴くために」は「感じるために」に替えても良いと思う。「生まれてきたんだから生きる意味がある」となる。多くの弱き人々を救う言葉だと思う。
     

 記:2018.5.24 島乃ガジ丸