ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

老人性不安症

2018年05月28日 | 通信-科学・空想

 5月中頃、父の命日で位牌を預けてある寺へ行き、我が家のロッカー式仏壇を開き、お茶、酒、お菓子を供え手を合わせる。その同じフロアーに伯母一家のロッカー式仏壇もあって、我が家の位牌を拝んだ後にはたいてい伯母一家の位牌にも手を合わせていた。
 で、その日もそうしようと伯母一家の仏壇ロッカーを開けようとしたら鍵がかかっている。位牌を盗むなんて罰当りなことをする人はいないので、仏壇ロッカーの多くは施錠していない。私も我が家のロッカーに鍵はかけていない。伯母一家の仏壇ロッカーに鍵がかかっているのもこれまで見たこと無い。何か変事があったかと、伯母の娘であり私の従姉であるK子にメールした。が、彼女のメールアドレスは通信不能となっていた。
 K子はもう1年以上、脳梗塞で倒れた夫の介護をしている。今年2月に話をした時に、「疲れて、最近、体調不良なのよ」と言っていた。仏壇ロッカーに施錠、電話は、もしかしたら使われなくなった。ということは「彼女も病気で入院か?」と心配になる。

 それより数日前、埼玉から友人のKが遊びに来ていて、彼が帰る前日に我が家に招いて飲み食いした。その時の話で、彼は沖縄に着いたその日に携帯電話を紛失していたが、それが誰かに拾われて警察に届けられ、それを明日受取りに行くとのことであった。であったが、その「明日」になっても、その翌日になっても彼から電話が無い。「電話を受け取ることができなかったのか、ならば困っているのではないか?」と心配になる。
 2年ほど前に大腸癌を患って、手術して今は元気になっている友人Tのことも時々気にかかる。夜中目が覚めた時・・・目が覚めるのは怖い夢を見たとか、何か心配になるような夢を見てハッとして起きる・・・というのでは無く、頻尿の尿意で起きるのだが、小便してベッドに戻って、たいていはその後すぐに眠りにつく。ところが、いつ頃からだったか、今年4月頃からだったか、不安を感じて眠れないということが時々あった。その「時々」はしだいに増えていって、5月中頃になると「たびたび」となっていた。
     

 それまでそういったことはほとんど無かった。「何で俺は、いつから俺はこんな心配性になったんだ?」と不思議に思う。私はどちらかというと「他人は他人、自分は自分」と考える方で、他人のことをあれこれ心配するような性格ではないはずだ。で、そういった心配はどこから来るのかと考えた。他人のことを鏡にして、本当は自分のことを不安に思っているのではないかと考えた。腰痛となって一人で生きる自信を失って、考えなくても良い事まで考えて過剰な心配をするようになっているのではないか、過剰な心配は他人に対してではなく、実は自分に対してではないか?・・・たぶんこれが正解だと思う。
 歳取ると不安を感じやすくなると先日ラジオで言っていた。「それかなぁ、老人性不安症なんていうものなのかなぁ、不安多爺になっているのかなぁ」と思う。
 不安多爺と書いて思い出した。前に『脳廃る爺と不安多爺』という題で記事を書いている。2004年12月3日付の記事だ。友人から「学生の頃を思い出して涙が出てしまった」という内容のメールがあって、彼に「脳廃る爺」という称号を与え、夢と現実がゴチャゴチャになっている私自身に「不安多爺」という称号を与えるといった内容。
 その時は、「脳廃る爺」も「不安多爺」も冗談であったが、それから14年近くも経った今、それらは、私について言えば2つとも当てはまる称号となっている。
     

 記:2018.5.28 島乃ガジ丸